本庄で福田さんと関口コウさんが切り絵の展覧会をしていたので行ってきた。全国的に知られているという点では関口さんは日本で、滝平さんを除けば一番の人気者だろう。
切り絵交遊録というところで、関口さんを紹介しているが、やはり依然と同様で、子供の路線からつやっぽい女性のほうに路線変更をしていた。ご本人が絵がうまく描けないとおっしゃっていたが、その通りの絵だった気がする。路線変更からかなりの年月がかかっているから、ご本人も不安だろう。
関口さんとの話の中で、一つだけ提案しておいた。みんな良い子ばかりだから、悪いこのシリーズをしたらいかがですかと。
関口さんは切り絵界にはかけがえのない人である。楽しい仕事をして欲しい。
柳沢京子の巻(5月19日)
(上記の、柳沢京子という氏名をクリックすると氏のHPが見られます。)
柳沢京子氏に昨日長野に行って、会ってきたのである。
彼女を初めて知ったのは、NHKの「みんなの歌」の絵を見たときだった。シンプルな切り絵でオシャレで、郷愁も感じられて。
切り絵のあり方の一つだと感じたものだ。その頃といえば、滝平二郎さんが朝日新聞の日曜版に切り絵を連載した影響からか、関口コウ・にいみずよし・井出文蔵とか活気ある人が現れている。その前に大御所、故宮田雅之も出ている。
私はといえばようやく切り絵を始めた頃であった。
関口コウさんは一度お会いしている。にい氏とは一時展覧会をした仲間であり、とても仲がいい。井出氏は私の展覧会にいらっしゃってお話をしたことがある。
メールでいただいた道筋をたどり、車を走らせアトリエに着きいた。外壁は木造の部材をたて張りにてありとてもオシャレな建物だと感じて、恐れ入った。初対面であるので、ちと尋常じゃない気持ちではあったが、とにかくドアチャイムを鳴らした。
写真も見たことのない方なので、それに、田中康夫知事を担ぎ上げた、組織の会長さんだったということだから相当いかついおばさんを意識していた。
お会いしたら、テレビで見た女優さんにお顔がダブってしまったが、そうなとても軽やかな方だった。お年は60を越えたとおっしゃっていたが若々しく、可愛らしい人だった。他に3人の若い人が、アトリエにいて、その方々がアシスタントだとしたら、すごいと思ったが、息子さんと娘さんとだった。息子さんは建築設計士、娘さんはステンドグラス?をしているそうで、もう一人は息子さんの仲間だそうだ。旦那さんは最近なくなられたということで、家族で全員が集まって、作業している現場であった。
アトリエの中はとてもきれいで、美術館になっていた。シンプルなラインの切り絵作品が並ぶ。うらやましい。
長野の自然を切り絵にしていくというテーマで、仕事をなさっているということで、私と決定的に違うことは「自分の作風を壊してまで、仕事をもらうということはしない」ということだった。
私の場合、オーダーに合わせて作るのが仕事であり、楽しみでもあるのだが。
展覧会を2ヶ月に一回のペースで全国を回っているという。何から何まで私と違う。ただ、組織に入るのが嫌だというのは私と同じであった。彼女は切り絵協会的なものには所属したことがないという。
私は立体作品・平面作品をもって行った。とても感心していただいた。切り絵の実験をしていっていると私の方向性も支持していただけたし、立体も大歓迎だと切り絵はつながっていなければという約束事から外れてしまっても良いのではないかと幅の広さも感じさせていただいた。
近頃、切り絵だと称して、単に写真や絵をコピーしてなぞり切りするする人が多くて嘆かわしいとおっしゃった。指導者自体が自分で絵を描いていないことが多いのである。埼玉も山梨もそういう団体があり、200人300人と人を集めている。あれは切り絵ではなく「手芸」だとおっしゃっていた。私も同感である。
下絵を描くということは、大変な労力なのである。それなしに、ほんの上澄みをもらって切り絵と称し、展覧会ではそのことを披露しないとしたら詐欺に等しい。見に来た人間はちゃんと下絵も描いたと思うからである。
互いに感じ入り、4時間あまり、間断なくしゃべり続け楽しい時間を過ごした。
そば屋さんに行ってご馳走になった。そこへたどり着く前に、ベンツを走らせた路地がしだいに細くなって通れなくなり、とても難しい状況で、お留守の家の広くない庭に車をいれてターンをした。その誘導を私がしたが、的確なハンドル捌きには驚いた。困った割には解決策が早く、そば屋に遅くならずにたどり着いた。
そば屋は満席だったが、私たちと入れ替えに出て行った人たちがあり、座れた。みんな荒っぽそうなそばをすごい量食べている。それが普通かと思ったが、どうも大盛りのようである。私たちは普通盛りだったが、食べてみると腹へたまりそうなほどしかりしたそばだった。
柳沢さんは、長野県内のさまざまな方と交流があるようだ。多分女性としては県内一のフットワーカーなのかもしれない。
私が、今度チーム百鬼丸を立ち上げたこと、来年の大河ドラマに向かって、山梨県内の観光用のキャラクターを作ることなどを話をしたら、長野も武田信玄だとつながりがあるので、長野でも展覧会をしてほしいとのこと。来年、小布施の美術館ですることになりそうである。全く、山梨県外は考えていなかったので、思っても見ないことであった。
まだまだ、おしゃべりしていきたいところであったが、お仕事もあろうかと2時半くらいには立ち去った。一緒に写真をとって、HPに載せたかったが、そんなことも思い出しもしなかった。
帰りには画家の玉村豊男さんの経営する農場およびギャラリー・レストランに足を運んだ。とてもすばらしい、環境で、嫉妬しきりであった。
久保修の巻


上の写真、右久保修氏、左百鬼丸 久保氏顔がでかいなあ!
さて、ホームページの「ごろちゃん日記」に書いたように、切り絵作家交遊録を立ち上げたぞ。
第一回は、久保修。切り絵作家としては初めて全国版の切手をやった作家だ。今年は何と、年賀葉書の、表左上の、何と言うのだろう、スタンプのイラストといえばいいんだろうか、それに採用された。すっきりとしたイラストデザインが、素晴らしい。
彼は、今年の私のギャラリー高野での個展に足を運んでくれている。そのときは秘書という女性を伴ってであった。切り絵作家に秘書がいるというのは、故宮田雅之しか聞いたことがない。関口コウさんの展覧会に行ったときも、女性はいたがアシスタントだった。まあ、とにかくそのとき若くて、チャーミングな女性連れだったわけだ。
鶴ヶ島から、バイクを飛ばして40分。浦和駅にある伊勢丹に着いた。7階にある展覧会場に、緊張しながら入場した。久保氏に会うのは二度目なのだ。致し方ない。むかし、私がラーメン屋の出前をしていたデビュー前、テレビの「徹子の部屋」に出ていた「にいみずよし」という切り絵作家と、新宿伊勢丹の個展会場で会ったときはもっと緊張した。そのときを思い出した。まだ無名の私が、一方的にライバル心を燃やして緊張してたんだから、本当に私は馬鹿者だった。今はその「にい」氏とは親友なのだが。
今度は、そのときと同様にライバル心はあるんだけど、こちらもそれ相当の実績を引っさげての面会だし、たまたま年齢が久保氏とは同じと言う特殊事情もあるし、それに初の取材ということで、いろいろ入り混じって複雑な緊張で臨んだ。久保氏は山口県生まれの、53歳。私が切り絵を始めた頃には、日本切り絵協会の展覧会に出品していたから、かれこれ30年近くは切り絵をやり続けているプロ中のプロだ。
絵を見た。彼の絵を生で見るのは初めてなのだ。つい癖で、絵をざっと見てしまう。麦の束だろうか。とても細かいのがあった。これはいい。切り絵の細かい作業が生きるモチーフだ。黒い紙を切ってさらに違う色の紙をその下に引いて、それをさらに黒い切り絵と少し離して立体的に重ねている。私も平面を浮かして見せているが、こんなやり方は初めてみた。彼の研究熱心さの表れだろう。この額の入れ方はあと10年経てば切り絵の見せ方の定番になることだろう。
展覧会の全体的特長は、風景と静物ということだろう。葉書にあった竹で編んだうなぎ捕りの「びく」というのか、その中から出てきたうなぎがとても可愛い。民家も、民家の幾何学的な部分や、細かいとことまで念入りに切っていて、お客さんは堪能できるだろう。また、カレイを、何点か横に並べて、切り絵にしている作品はデザイン的にいいし、ユーモラスでいい。
年間を通して、月に一回全国どこかで、個展をしているというからうらやましい。私なんかは頼まれ仕事で、いつも缶詰状態なわけだから、対照的な生活をしている。全国を回れば、たびも出来るわけだし、これまたうらやましい。おっとそのまえに、お若い秘書さんが会場にいたかというと、ちゃんといらっしゃいましたよ。帰る際には、つれて帰りたい。美人だ。
それから、現代は外国にスケッチに行って、その作品を個展でシリーズとして発表する準備をしているそうだ。なかなか意欲的ではないか。その発表が楽しみだ。彼は最近の切り絵作家の中では、一番アクションを起している作家だろう。どんどんやって欲しい。
最終日で、まもなく展覧会も終わる時間になって、気分的にもせかせかしてしまった。長い雨で、バイクでいけなかったのと、風邪を引いてしまったためだ。
新宿で、酒を飲む約束をして会場を後にしたが、たまに一緒に飲むという文藝春秋の名取さんによると、相当酒が強いそうで、私なんぞは酒をなめたとたんに、へべれけみたいなもんだから、そのときは手をやわらかくして欲しい。そのときの話も、載せることにする。
不慣れな取材で、皆さんお粗末でした。
久保修プロフィール
1951年 山口県美祢市に生まれる
1976年 第一回個展(山口)
1980年 関西テレビ主催個展(大阪)
1982年 出石町主催個展(兵庫)
1984年 スペイン遊学(1985年)
1987年 フィリピン・マニラ市で切り絵の講演・展覧会
1988年 奈良シルクロード博「切り絵・シルクロードの旅」展
1989年 朝日新聞「久保修の切り絵紀行」連載
1990年 美祢市市民病院ロビーの壁に切り絵/「美祢の四季」(200号)製作
1991年 切り絵100号による10回展(大阪グランドギャラリー)
関口コウの巻
関口コウさんは、井出文蔵氏とともに現在日本を代表する切り絵作家だ。露出度だったら、井出氏をしのいでいるだろう。名前は知らなくても絵を見た人は多いと思う。同じ童画の切り絵を製作する滝平二郎さんがいなかったら、彼のその立場が入れ替わっていたことだろう。素晴らしい仕事をし続けていらっしゃる。彼は群馬県在住で、63歳くらいだと承知している。群馬に切り絵の愛好家が多いのは、彼の存在のせいだ。これほどの求心力をもつ関口氏が、ねたましくなるほどだ。
彼と会ったのは2003年だったと思う。高崎のデパートで個展をやってらっしゃった。そこに例によって、バイク(スズキの250ccジュベル・売りたいので、買いたい人は連絡下さい)で訪ねた。前の沼田にある彼の美術館を訪ねたことがあったが、そのとき感じたのは、彼が童画から抜け出そうとしていたことだ。そのとき美人画があった。だが、まだ彼が満足していない作品なんだろうなと思った。つまり、童画の延長線上のキャラが見え隠れして不自然だったからだ。ただ、その中の完全に童画からの決別を目指している意思が感じ取れた。だから、高崎の個展でその後の展開がどうなっているか非常に気になった。ある面では、その方向は、私の作風とリンクしてくる可能性があり、ライバル関係になる可能性がでてくるからだ。
私は芳名録に百鬼丸と書いた。関口さんがまもなく近づいてきた。意外な言葉が聞いた。「何とお読みするんですか。あのお名前では何かやってらっしゃるんでしょ」とおっしゃったのだった。私を知らなかったのだ。
ジャンルは違うにせよ、20年以上もプロとして平行して歩んできた二人であったから、当然知っていると思っていたが、そこが大変面白かったし、よそ見をしない関口さんの性格と姿勢が垣間見れて、頼もしく思う。
さて、作品である。美人画がある。かなりの大作だった。いろんな手法を駆使している。正直まだ関口さんは自分の目指す方向に到達してないなと思った。だが、彼のファンから愛されている童画の吸引力から脱出しようとしているそのエネルギーには頭が下がる。
童画も、展示してあった。やはり、素晴らしい。もう極まっている感じだ。このくらいのハイレベルだと最高傑作をなかなか出すのは難しいだろう。牧歌的な風景の子供たちということでなく、ある叙情が見て取れる。ぐっと、心に迫り画面の子供が見る側と同化する。童画の良さは、絵の子供がイコール私だったりするから、普通の絵の見方とは違うんだと学習した。これは、完璧な一つの絵のあり方の類型なんだろう。それを意識してやっていったらいやらしいことになるのであるが、関口さんのエネルギーはそんなことにはかかわずらっていないことを物語っている。次の個展を楽しみにしている。
もうちょっと絵のことを描きたいのだが、忘れてしまっている。またまた申し訳ない
にいみずよし(「にい」が苗字)の巻
彼との付き合いは古い。20年以上にもなるだろう。年齢は一つ上だ。私が、山梨の上野原に住んでラーメン屋の出前をしていた頃、昼のラーメン屋の喧騒が人段落して、テレビをつけたら「にいみずよし」が「徹子の部屋」にでていたのである。当時私はデビュー前で、出前の仕事を3時に終え、その後は切り絵の創作に打ち込むというような生活をしていた。負けず嫌いな私は、彼への対抗心を沸せたものだ。
その後、彼の新宿伊勢丹で個展を見にいったことがある。彼はいた。私は名乗ったのであるが、とても緊張していた。後年、彼がそのときの様子を話すのであるが、とても怖い顔をしていたということで、今では笑い話だ。
私が、初の個展を銀座でやったとき、ふらっと入ってきたのが西島やすお氏だった。切り絵作家だという彼を私は知らなかった。、3人でグループを組んでいるという。「メンバーにならないか」と誘われた。メンバーを聞いて驚いた。にいみずよしが入っていたのだった。それに個展の最中、朝日新聞の記事になっていた「杉江みどり」が入っているではないか。こんな凄い人たちの中に入っていいのという気持ちで、私は嫌もなく入った。
というわけで、四人四様展と銘打って、銀座でグループ展を続けたのであった。5年後私はグループから離れたが、一昨年西島氏がなくなられた。まだ、にい氏と杉江氏は2人展を続けている。2人では寂しいなあと思う。
というのが、彼と私のかかわりであるが、とてもなかがいい。
彼の作風というのはミュッシァを切り絵にした感じなんだが、エキゾチックな女性像の周りを、花や動物の緻密な切り絵で埋めていくというのもで、この緻密さは日本の切り絵作家にはいない。彼のこの姿勢はずっとくずしていないのは、素晴らしいと思う。2年前の展覧会で、中国の武者絵を出品していたが、新しい彼の動きだろう。
今は、あまり活発が展覧会活動をしていないが、いずれ彼はまた出てくると思う。