日記10
(2011年6月6日・月)
還暦前日、物忘れがひどい。とにかく酷い。頭の中を見てもらいたいほどだ。
今日は展覧会前日で、その飾り付けがある日である。今月は珍しく、本の仕事が、会員誌以外ない。とても暇そうな一月である。展覧会があって、良かったと思っている。
(2011年6月5日・日)引退
今日は、東洋大学川越硬式庭球部創立50周年の大会の日である。企画は、私と後4人のOBでやったが、ほとんどが私がやったのである。
それというのも、20年万年幹事で、とうとう3年前には会長職になってしまったのである。それまでは会長というポストはなく、ほとんど一人で運営していた、個人色が強いOB会だった。
3年前に会長になったのも、大学側が近頃運動部が強くなったのに呼応して、OB会を学校が認知しようということで、届出をしなければならなくなり、会長になったのである。
午前中はテニスがあり、午後から、50周年の式典がある。OBなんて実は集まらないのである。多分15人くらいだと思う。それに先生に現役部員。私は、即興ライブで3月に退職した部長先生の似顔絵をライブでするのである。盛り上げるためじゃあしょうがない。
ということで一日がテニスでつぶれるのである。
(2011年6月4日・土)目先と遠く
誰でもそうだろうと思うけど、将来自分はどうしたらいいんだろうという遠くのことを思うことは、時々している。といっても、目先の稼ぐこともやっていかなければいけないと思っている。両方を見渡しながら、やっていかなければならない。
それに、この頃といったら、電子ブックなるものが出てきて、その進捗といったら凄いのだと思う。もうすぐ私は文庫の仕事がなくなるのかもしれないと思う。といっても、かなり回りから楽観的なことを聞くのだが。多分、私は文庫のカバーをする最後に残る絵描きになるのだろうと思うが、その時期が意外に速いのかもしれないと思うのである。
iPad2を買った。電子ブックを買うことも出来る。それで、私は電子ブックの拡がりが早いと思ったのである。ただ、私も切り絵の電子書籍を作ることも出来る。マイナスばかりではない。
展覧会は、一月に一度はやっていこうと思う。守備範囲は、埼玉・山梨・東京だが、もっと広げようと思う。切り絵教室もかなり沈滞したが、また盛り上げて行きたい。
それに、アニメーション学校に行って、アニメーションをしてみようかとも思ったりする。
そんなこと考えてると、とんでもなく忙しい。
(2011年6月1日・水)霧隠れ才蔵について
霧隠才蔵は、くノ一だった。
霧隠才蔵と聞くと、ちょっとニヒルでかっこいい忍者のイメージがあるが、才蔵が変じた姿である。才蔵の本当の姿を見た人間はいない。それというのも、得意とする寝屋での才蔵のあられもなく悶える姿を見た者は、全員殺されてきたからである。
才蔵は諸国を薬売りとして歩き回り、日本の薬草の知識に長じ、また諸国の情勢をつぶさに見てきた。ある日、才蔵が信濃の山の薬草を採取している折り、巻き狩りに来ていた真田幸村の姿に一目で惚れしまった。
この世に自分を虜にする男はいないだろうと思っていた才蔵が、ついに心からひき付けられる男があらわれたのである。
それからというもの、幸村の家臣となり、彼を献身的に支えた。幸村の目を受けるだけで、体がしびれ、男を虜にして来た魔術は、幸村の前では影を潜めることになる。幸村が才蔵を女だったと知ったのは、才蔵が命を落としたあとのことになる。
才蔵が、跳梁した男に徳川秀忠がいる。秀忠が、家康の命で真田を攻めた時、遅参し関ヶ原の戦いに間に合わなかったのは、秀忠が才蔵の虜になっていたからである。
秀忠が、江(ごう)以外に、側女を持たなかったのも、江を愛していたのではない。才蔵との信濃でのあれこれが、頭を目眩いていたからである。しかし、秀忠が才蔵に殺されなかったのも、不思議だが、秀忠の物が立派で、殺すには惜しかったという説もある。
才蔵は、幸村と共に大坂夏の陣で奮戦するも力尽き、名も無い雑兵に打たれる。幸村と共に死ねたことは、才蔵の本望だったことだろう。しかし、とどめを刺される直前、秀忠が抱き起こし、これまでの才蔵への思慕を語るのであった。この世でたった一人正体を知っていた秀忠に抱かれ、息を引きとったのである。
これは埼玉伝統工芸会館で行われる真田十勇士の一人、猿飛び佐助の話である。私の創作である。
(2011年5月30日・月)猿飛佐助について
真田昌幸の四男として生まれるも、赤子の折、屋敷に侵入した猿に連れ去られ、育てられた。猿の名はエテ候という。現在猿のことを「エテコウ」というようになったのはこれ以来である。
佐助は、猿語では「神の遣い」という意味で、佐助がエテ候と一緒に捕らえられた時に、「佐助、佐助」と叫んでいたことから、その名前が付いた。
その名の通り、猿の世界で霊力を発揮、若くしてボスの座にあった。家康との戦いで、真田の家臣達はなくなっていくが、最後まで生き抜いた猿飛佐助には、信濃猿群の働きがあったことは知られていない。
佐助は、懐柔して兄・幸村の家来となり秘術を尽くして敵と戦った。終生言葉が不自由で、寡黙な男であった。
佐助を忍術遣いというが、本当は霧隠才蔵のような、生粋の忍者とは違う。猿界での霊力と、幸村の家臣になったあとの忍術の師範・深沢忠斎翁の教えを超人的に会得したからである。
佐助の得意技は、猿のような身のこなしと、俗にいう「猿真似」による「生き写しの術」である。家康に化けたこともあるが、一つだけ弱点があった。臭いである。猿に育てられた故に、その動物臭が抜けず、時として、スカンク級の放屁は武器にもなったが、平常時では術が暴露てしまう元となったりもした。
また、主君・幸村の墓前で最期を遂げる佐助であったが、呪文を唱え、忍術合戦で戦った服部半蔵への呪い(後に、服部半蔵は3代で廃嫡となる)と敵ではあったが、家康に国家安康への望みを託した。28歳の最期であった。
徳川260年はこの猿飛佐助の、念力のおかげともいわれている。
これは埼玉伝統工芸会館で行われる真田十勇士の一人、猿飛び佐助の話である。私の創作である。
(2011年5月28日・土)
今日は、埼玉伝統工芸会館のライブがある。今から行って来る。
帰ってきて、東洋大学川越キャンパス硬式テニス部の創部50周年記念会の打ち合わせがある。私もその万年OB会幹事長の職を辞する事になる。
さて、梅雨に入ってしまった。仕事も、ひと段落して、ミニ切り絵なんかをしているが、眠くてなかなかはかどらない。
(2011年5月25日・水)
ふと、どんどん忙しくなるこの有様を、やめてみたらどうなるのだろうと想像してみた。とんでもないことになる。
それはそうとして、作品を生み出していくわけだから、作品の山に囲まれてしまっているが、これをどうしようと思う。これが途方もなく、難問なのである。焼却処分か?これは気持ちいいだろうな。でも、もったいないなあ。
売る展覧会じゃなくてあげる展覧会をする!長蛇の列となるだろうが、そうならなかったりして。
(2011年5月24日・火)寒い
嫌なんでこんなに寒いのか。「孫」の歌で、歌いたくなる。
歯医者に行ってきた。私のアトリエの近くに「鬼丸」というなの歯科医があるのでいっている。院長は気づいているのかもしれないなあ。
実は先日の宴会で、がりっと固いものをかんでしまったのだ。そのときに左奥歯の、詰めた金属が取れてしまったのだ。
歯は定期的に行くが、この頃、この歯医者、歯石を取ってくれなくなった。まだ、歯は自前のが全部ある。
頼まれ仕事が途切れたが、何を使用か迷ってしまう。迷うほどやることが沢山あって困る。
(2011年5月23日・月)シンプル・・イズ・ベスト
絵の作品というのは、シンプルなほどインパクトが強くなる。ところが、編集者や出版の営業は、色数を増やしたり、登場人物を多くしたりと、心配のあまり、てんこ盛りにしがちである。
蛇足だが、赤色が目立つと思っているし、寒色より暖色を好む。好んではいなのだろう、それの方が人は惹かれると思うのだろう。
しかし、どうしても、本屋の平台では、シンプルな装丁ほど目立ってしまう。色も、沢山使わない方がいい。
先日の原宿の展覧会で、私が中央公論社の文庫でデビュー作を手がけた、矢的竜さんが来られた。話をしているうちに小説もそうですね、複雑なものを取り払ってシンプルにしないと駄目ですね、と言われた。
人との関係人生も、それがあるのかもしれない。
この次の展覧会で、回顧展をするが、その際に展示する若かりし頃の写真を物色していた。しかし、大学生前後の顔の、情けないほどの険があることか。今の私だったら、友達になりたくない。写真は素朴顔を数点選んだ。
それに、あかんぼの私の顔をTシャツにする。
(2011年5月22日・日)ふと
日本人は凄いなあと思った。手仕事のことである。江戸時代から、手仕事の懲り方が凄いと思う。
昔技能オリンピックがあったが、日本人は凄かった。あんな時代でいいんじゃないかなあと思うんだが。
(2011年5月21日・土)やはり今年も花粉症絶頂期に
今日は暑い。いよいよ花粉が凄くなってきて、夜寝ているときの鼻づまりは、ひどくなってきた。
それで、耳鼻咽喉科の病院に行った。少しは収まってくれるといいが、またマスクをつけて歩かないと。
(2011年5月20日・金)人生音痴
いろいろな人と出会うが、いかにも口が強い人(悪い意味で)がいる。だけど、いかにも強そうな人は実はひ弱な人であると思う。
強い人というのは、強そうに見えない。強い人というのは、強いということが分かった段階で、ひ弱である。
一つ文庫の装丁が終わった。今度の締め切りは月曜日の午前中。何とか今月の修羅場が終わりそうである。
(2011年5月19日・木)木に固有名詞
CO2削減に、CO2を出さないことだけが論議になっているが、木を植えて、CO2を吸収するという話にはなっていない。たぶん、それだとたいしてCO2削減にはならないのだろう。
もし、効果があるとしたら、木も人格があると認めて、戸籍を作ったり、木に固有名詞、つまり「名前をつける」なんて事態にならないのかと思う。
戸籍にある木をきると、犯罪になる。そして、木に「なっちゃん」とかの愛称があり、私の本名のように「渡辺文昭」というがっちりした名前の木があったりする。
それも楽しそうである。いつかはそんな時代が来たりして。
(2011年5月18日・水)また別れ
花粉症のせいか、展覧会にマスクをしてくる人がいる。そういう中の女性に、目のきれいな人が何人かいた。
目のきれいな人というのは魅かれるものである。しかし、取ったとたんにイメージが違うことがしばしばである。申し訳ない。
禁煙をしてから、10年以上経つと思う。禁煙をして良かったと思う。
この頃酒を飲んでは、二日酔いの頭痛で、大切な早朝の仕事が出来ないことがある。酒をやめようとは思わないが、早朝の仕事をするときは、ワイン一杯くらいでやめようかと思う。
昨夜は、東洋大学の先輩・内野さんの送別会があった。鶴ヶ島に越して来て、飲み屋で出会った人ではあるが、強面の見た目と違って、素晴らしく人柄がいい人だ。彼が、糖尿病が進んで、実家の佐世保に帰る事になった。ご両親が迎に来て、今日帰る事になっていた。
糖尿だと気づかず、突然脳梗塞が襲い、調べたら糖尿だったらしいが、相当進行していたようだ。目も見えない状態らしい。私にとっては恩人である。忙しさにかまけて、数々の気づかいに対して答えることができていなかったのがとても心残りである。
昨夜は、私のTシャツ二枚と、仲間の前で、今、隆盛の東洋大学の陸上部で、長距離選手だったから、「韋駄天」を即興で切って、プレゼントした。
また一つ、将来の旅行先が増えた。
健康にお互い気をつけて、再会を望みたい。
(2011年5月17日・火)今日と明日
東京での展覧会は、今日と明日になった。
広告業界、出版業界についての昨今の状況を来場の方々にお話していただいき、自分の進むべき方向が、迷いなく定まった。
イラストという業界が、コンピューターグラフィックの方向とコンピューターアニメの方に行くことは確実。また、電子書籍は、コンピューターアニメが出来ないと駄目であること、つまり画像が動かないものだとパンチが弱いということから採用されないということ。
つまり、進む道は素朴な「絵描き」を基本的にして活動にするというものだと思うのである。当然、まともにしていたら駄目である。日本は「絵描き」が生きられるところではない。活動範囲をもっと広範にして行くことが、当然のこととなる。
しかし、日本は「とほほ」の状態である。
私は出版からはなれるということもなく、将来は仕事が少なくなるはずである。これから、これまでもそうだったように、遠くを見て、近くを見て活動をしていきたいと思っている。
(2011年5月11日・水)いや意外
私は以前より出版の仕事は少なくなったから、編集者も懇意の人は少なくなった、はずだった。しかし、出版関係の人、それも退社してフリーの編集者になっている人が、展覧会には多く来ている。
これは意外だった。出版の仕事はしているものの、的からは外れていると思っていた。私もまだまだなんだなと思いなおした。
といっても、業界が薄氷を踏むように頼りなくなっているようだ。その中で、私のように生活している人間はまれなのだろうと想像がつく。恵まれているとしかいいようがない。
でも、実感として恵まれているとは思えないから、他の方の大変さが思われる。
それから、あれほど多かった広告制作会社が原宿から姿を消したという。銀座もめっきりそういう事務所が少なくなったが、原宿もである。それで、私の友人に電話してみたのだが、明日にでも、デザイン会社をたたもうと思っているそうである。
私が想像した以上に、冷え込んでいる。
私は今守りというより、攻めているような感じの状況である。それをまい進するだけだ。
(2011年5月8日・日)新緑の身延
昨日は二日続けての身延・切り絵の森でのライブのつもりだあたったが、展覧会の前で、一日で切り上げてきた。
連休中は切り絵の森もすごい人出だったと聞く。
蔵里で、外れたことをしていたのが残念だが、蔵里を過大評価した私の判断ミスということで仕方がない。
今回の切り絵の森のライブ作品3点は、全て売れた。切り絵の森での切り絵ライブ健在である。また、来月行く事になるが、楽しみである。
(2011年5月7日・土)寂しい鯉のぼり
テレビに映し出される、川をまたいだたくさんの鯉のぼり。だけど皆さん、あの鯉のぼりは、各々の家庭から譲られた鯉のぼりを集めて作られているというのはご存知ですよね。
言葉を代えていえば、棄てられた鯉のぼり。何か寂しいものを見てしまったような気がします。
それは三月のひな祭りもそうです。長い階段一杯に置かれたお雛様も、何か寂しい気がします。
何か違う手立てはないものだろうか。棄てるんじゃなくてリサイクル鯉のぼり、てのはどうなのか。でも、作っている業者はそれをしてもらっては困るだろう。
手仕事の工芸品が、今瀕死の状態です。
大量に安く作ったお陰で、鯉のぼりも、お雛様も一時は良く買われたのでしょう。こんなお雛様も、値段が高い時代には、粗末にされず、代々引き継がれていったことだろうと思う。そんな時代がまた来て欲しいとも、もの作りの私としては思うのだが、物が高いというのも手が届かなくて寂しいし。
(2011年5月6日・金)
今日は蔵里ライブを辞めた。昨日は、私のファンが偶然たくさん集まってくれて、まるで展覧会でやるライブのようだった。にぎやかで良かった。あの雰囲気を常時、蔵里で再現したい。
今日は久々にテニスをしたい。仕事の締め切りもある。
(2011年5月5日・木)教訓
結局蔵里という場所では、展覧会と同じように、ファンに案内状を送ってきてもらうところということが分かった。
観光客相手にやっていては駄目ということがわかった。そして、今のままでは大掛かり過ぎる。一人でふらっと来て、ライブをしてその作品が売れていくようになるのが理想だろう。売るものは小規模でいい。Tシャツは売らなくていい、私がカバーを担当した本の原画は一つ、それに本は数冊でいいと思う。
車も使わず、極端な話、道具を持って自転車で出かけ、評判になればそれに越したことはない。ということで、これから、何百枚も葉書を出したくないので、川越の人くらいには出そうと思う。いずれメールアドレスを聞いて、メールで発信する方向に行きたいと思う。服部さん、金子さん御一行、関口さん御一行、ううふさん御一行、有難う御座いました。
(2011年5月5日・木)
この日記は前日書いているが、5日の日付ということで。
やはりミニ展覧会という風にしたのは正解だった。昨日に比べれば、「凄い凄い」と見てくれた人は確かに多かった。しかし、売り上げはさっぱり。
まあ、よしとしよう。しかし、ここで見切りをつけるか、「継続は力なり」とするか。
(2011年5月4日・水)さて今日は
先日のギャラリー「ううふ」の展覧会は、当初予想していた地元の友人たちが、それほど来なかった。その面では当て外れというものだったのかもしれない。
しかし、次第に絵の好きな方が集まり始め、かなりの盛況のうちに終わった。大成功といっていいだろう。ある種の教訓を生んだ展覧会である。
今日はめげずに、蔵里のライブである。今日はディスプレイを変えて登場である。そのディスプレーは今から作業して作るのであるが。
ちょっと展覧会色を強くして、売ろうという意識を止めようと思っている。昨日のように客が素通りするようなことのないようにと願う。
そういえば(このことは書いたのかな?)、東洋大学から、東洋大卒業生だけの芸能人の集まり「東洋大芸能人クラブ」が旗揚げになった。
漫才の「ねずっち」なんかもそうだし、私が知らない芸能人が沢山いるのだと思う。きっと集まりもあるだろう。楽しみである。
(2011年5月3日・火)蔵里ライブ惨敗
いや、不特定多数の人が来るところのライブは完敗だ。出店も5つあって、埋もれた感じ。
困ったもんだ。どうしたらいいのか、撤退か。前回良かった分、落ち込みは大きい。しかし、何とか考えて見たい。これから、ちょっとその準備をしてみようか。
青空展覧会ということにしたらどうだろう。ミニ展覧会である。スペースが必要で、売るTシャツとかを限定しなければならないが。それから、テントはなしということで。
明日はそうしてみよう。看板も必要かな。徒労に終わるかもしれない。
(2011年4月30日・土)自転車
荷台がない自転車が、昔に比べると多くなった。私の自転車のドロップハンドル自転車もそうだ。
昔テレビや映画で見る外国の自転車には、荷台がなくて、不思議な感じがしたし、さすが「アメリカ恰好いい、いつかああいう荷台のない自転車に乗ってみたい」何て思ったもんだ。
考えてみれば、荷台がないのをファッションとしか捕らえなかった幼い頃であった。
先日、友達が「アメリカの自転車に荷台がないのは、物を積んでいると盗まれるからつけないんだよ」といった。
私は目のうろこが取れた感じがした。あれは格好良さでやっていたんじゃないんだ、盗難防止なんだと納得した。今の今まで、そういう理由とは思わなかった。
そうわかったら、これから、ドロップハンドルの自転車にも荷台を付けたくなった。
(2011年4月29日・金)
キャンディーズのスーちゃんがなくなってしまった。私は、彼女たちがデビューしたとき、大学生だったから、それほど、うっとりすることはなかった。
私たちは、天地真理とか南沙織とか小柳ルミ子の時代である。だから、南沙織が良かったかな。彼女が引退する寸前は、私生活で何かあったんだろうな、顔つきが全く変わってしまって、魅力はなくなっていた。ちょっと前に、紅白に出てきて不評だったようだが、あの顔つきで中年になって出てきても受けないと思う。
中年になっても、惹かれる顔つきの人というのはある。それがいくら不細工でもである。
まあ、とにかく当時は南沙織であった。他に秋吉久美子。「赤提灯」かな、高岡けんじが彼女の恋人役になっていた。だが、彼には目に光がない。光のない役者はそのうちしぼむ。
話は変わるが、よく暴走族とかが、辞めて俳優としてデビューしたりするが、そんなに感田にテレビのセリフがある役がまわってくるものだろうか。それは努力はあるだろうが、日本にものすごい数の役者が底辺にいる。その役者を飛び越えてデビューするのであるから、才能か、それから何か。
私は、芸能界に暴走族閥というのがあるのではないだろうか。あるいはやくざ閥、あるいは在日閥が。
車で、よく渋滞しているところへ、路側帯を走っていく車を見かけるが、俳優の二世・三世は、それとおんなじだと思う。確かに、家の雰囲気で、芸能界に慣れ易いというメリットもあるだろうが。
でもしょうがない。人間社会というのはその辺を織り込んでいかないともうどうしようもない。そうして前に進んでいっているんだもの。
(2011年4月27日・水)
展覧会も好調に推移している。震災の影響もあるだろうが、少しずつ消費も回復しつつあるのだろう。
中学から、講演会の依頼が来た。地元である。300人というから、その人数だと初めての体験かもしれない。どうするか迷っている。
文庫本の依頼が3本たまっている。今月はゆったりのスケジュールだった。展覧会だったのでちょうど良かった。
眠りから少し覚め、布団の中であれこれ考えると、いろいろなアイデアが浮かんでくる。そういえば、蟻の富士登山という絵をやりたかったが、暫くそのことを忘れていた。忘れないように、このHPにでもメモしておこうか。
やりたい作品が沢山ある。依頼された仕事も沢山ある。このまま一生忙しいんだろうな。そういうのも幸せなんだろうな。・・・・な、が沢山あるが、それもいいんだろうな。
(2011年4月24日・日)
展覧会も後半に入った。あと少しだ。今日はいい天気。午前中に、埼玉伝統工芸会館に、新しく出来た本を置きに行ってくる。
(2011年4月22日・金)金字塔
昨日、K社の文庫副編集長が、鶴ヶ島にやってきて呑んだ。
話の中で驚いたのが、文庫のカバーの絵をやった数が、去年が誰よりも一番多かったのだという。彼はカバーに対しては、あるいは絵に対しては、観察眼をお持ちで、その人が言うのである。
現代小説のカバーの絵をしている人は、多分、毎月コンスタントに私のように仕事が来ないことは想像がつく。とすると、時代小説で毎月4から6冊くらいやっている私は、全部の本のカバーをする人の中で一番多く仕事をしている事になりはしないかとおもうのである。
としても、私に売れっ子という実感はそれほどない。「売れっ子のはずだが」と思うくらいはある。
まあとにかく自信がつく言葉をいただいた。胸を張ろう。
昨日来ていただいた、太郎さん有難う。また会いましょう。
(2011年4月20日・水)
昨日は病院にって来た。胃腸が悪かった。栄養剤と胃腸薬を点滴でとった。
何か日記に書こうと思っていたが、忘れてしまった。
いままで、出版社から仕事が来てそれをこなして仕事をしてきたが、いまいち気持ちの中で盛り上がりに欠けてずっときた。
このところ、商品を開発しては展覧会で売っている。切り絵の森とか川越の土産品店「つちかね」とか、埼玉伝統工芸会館とかにしか置いていないにしても、当たるかどうかが、商品開発の時には凄い楽しみである。
さいわい、私は絵描きであるので、自分の思ったような絵を結構人が買いたくなるレベルまで高めて販売することが出来る。とても小回りが利くのである。
最近は商品開発のことが頭に浮かんでは、それを作ったら売れるだろうかとか楽しみにして、気持ちが浮かれている。
何をそんなにとお思いだろうが、私にはそんな印税生活のような体験が少ないのである。700冊作った本のカバーも皆、一冊いくらの請負でやっている。
だから、今まで少し夢に乏しかった。これから、どんどん商品を作って、いろいろな場所で販売できるように頑張ってみようと思っている。
(2011年4月20日・水)
体調わるし。
(2011年4月19日・火)
何か、また首相が変るような報道があるが、もううんざりだと思う。
菅さんが辞めて、誰がやるんだよ。やる人いないよ。皆、昔みたいに徒党を組めないから、内閣の内部からも首相批判が出たりする。鳩山さんが駄目だから、菅さんになったんだ。皆いいと思ったんだろう。
そのまえ、自民党の安部さんが良いと思うから選んだ。次の三木さんだっけ、あの人もなんかやってくれ沿うという期待があった。そして麻生さん、あの人だってべらんめーでいいとかいうイメージで首相をやってもらった。
誰が何を言っても、責任をとるわけじゃないから言いたい放題。
自民党の谷垣さん、打たれ弱そうだったのが、無責任にいえるから、まあ、元気のいいこと。石原さんもそうだが、怒った顔しか浮かばない。怒るのは楽だよ。責任ないし。
小沢もそう。誰だって、自分がやれば出来るといったて、証明できないからね。比較は出来ない。
菅さんが、どうのこうのの詳しいことは知らないが、とにかく、盛り立てたい。
どうのこうのといったって、俺たちが選んだ首相だもの。
(2011年4月18日・月)切り絵のネタ本新発売
川越祭り会館に行ってみた。時代とともに、出しの形、数が変わっているようだ。昔は川越商人は金持ちが多かった。
今山車を作ると2億円ほどかかるのだそうだが、今川越の商人でそんな金をはたく人はいないと思う。寂しいことだが、私の業界と同じように旦那衆というのがいなくなって、存続は難しくなっているはずだ。
それに、祭りに携わる人も少なくなっているという。学歴社会で、子供がお祭りのお囃子や踊りの稽古の出てこないという。
この祭りはよそから人を入れて担がせないから、維持は大変だと思う。
さて、川越のこれぞという手拭いを作ってみたいのだが、時間がなくて難しい。だが、いつかやってみたい。
そうそう、絵本はやっていないんですかという質問があるが、紙芝居の原画をやってみたいなあと思う。
そんなことを言っていられない。百鬼丸の切り絵の本が出たのである。これは切り絵を普段やっていて、絵はかけないが、切り絵を切るのだけは得意である、あるいは趣味にしているという方々のための切り絵画集である。
是非、お買い求め下さい。
(2011年4月17日・日)
K市会議員の候補者の看板が並べてある。人柄がさっぱり分からないから、やっぱり、顔つきのいい人に投票したくなる。
私の大学の教授が、退職して?出ている。この人は、私が大嫌いな先生だった。
東洋大学の体育会の役員をしていた学生の頃、体育会の顧問だったのか、宴席で私が日本酒をこぼしたら、すすって飲めといった。周りの同僚は「先生それは何でも、させないで下さい」と止めたが、酒癖が悪いのだ。
今も集まりがあると話をして、自慢話が多いそうだ。それが有名人を知っているとかの類が多いようだ。それだけ、自分が凄いんだったら、市会議員でなく、市長選とか、代議士にでもなればいいのにと思うが。
とにかく性格は悪い。友達も出来るはずがない。肩書きがあるから同類の擦り寄ってくる人を当てにして当選するんだろうが。こんな人を議会の一員にして、ろくな町になるはずがない。
(2011年4月15日・金)トランプめくり
今日はいい天気だった。午前中少しテニスをした。10日くらい前、上級者とやって、思い切りやったものだから、その次にやったときに筋肉痛で絶不調になり、テニスがいやになってやっていなかった。
テニスは進歩しないと、面白くないタイプである。下手な人たちは、うまくらなくてよくテニスが面白いなあと、首を傾げてしまう。しかし、人それぞれだからなんだろうが。
嫌になるときが年に何度かある。その時はさすがにテニスのことは考えない。しかし、ほとぼりが冷めると、考え出す。あの時どこが悪かったんだろう?こうしたら、できるようになるかもしれない、何て考える。
そして、それを試さずに入られなくなる。それが私のテニスのやりたくなる動機である。
早く行くと、私よりかなり悪いが下手な人が多い。年齢も上である。その人たちが、言うのである。「百鬼さんは、我々とやって面白いの? 申し訳ないねえ。」なんて。私は、ほとんど勝ってしまうんで、申し訳ないと思うのであるが。
それも、彼らとやりたくて早く行くのではない。やってみたいテニスのあれこれを試したい一心で早くやりたいのである。本当は上級者とやりたい。上級だとこれ見よがしに、意識してやっている奴に、すぐ喧嘩をふっかける奴がいる。それで、避けているのもある。私ばかりでない、みんな嫌っている。テニスをする資格がない奴だから、早くクラブからいなくなって欲しい
ということで、私はトランプの「神経衰弱?}と同じようなことをテニスでしているのである。裏になったトランプをめくって、もう一つの裏のトランプと照合して、同一だったら、ひとつ得点みたいなものである。
そうして、こつこつ私は進歩してきた。本当に時間がかかる。
その中の半分以上は、昔できたことを取り戻すためのトランプめくりであるから、情けない。
(2011年4月14日・木)ファンはいない
展覧会は来客が少なく、不調である。いやこけちゃった。鶴ヶ島の住民に私のファンは少ないことを知った。地元だが、そんなものだろう。
一応、まだまだ頑張ってみる。絵描きの名が浸透するには大変な努力が必要なのである。
改めて思い知った日々である。
(2011年4月12日・火)ギブアップ
昨日、飾りつけを中断して、これからある2つの展覧会の案内状の校正に印刷会社に行ってきた。
そしたら、くたくたになっていた。森村さんのパーティは勘違いして、5時からとある。間に合わないし、身体もかなり疲れていた。
多分電車の中では眠るだろう。今日の展覧会のことを考えたら、パーティ出席を断念した方がいいと判断した。それで、東京へ行くのは止めた。花粉症の影響もあったんだろうか。異様に疲れていた。
さて、今日は川越ケーブルテレビの取材がある。体重が70kgに到達して、撮影したらさぞかし私のまん丸顔が映されることだろう。
まだ、完全に飾り付けていない。ライブもあり、なかなか完全な展覧会にするには時間がかかるだろう。
もしかしたら、かなりの数の人が展覧会に来るのかもしれない。期待している。
(2011年4月11日・月)ひさびさの東京
今日は、締め切り一つ終わり、展覧会場の飾りつけ、それから森村誠一さんの吉川英治賞受賞式典への参加とめまぐるしい。
そして、久々の東京である。
昨日の蔵里は、広場に行くと二人の生徒が前触れもなくいたので、ライブの準備を手伝ってもらった。そして、桜になってもらった。
ありがたい事に、何人かの方が食い入るように見ていただいて、予想よりいい感じだった。
知らない人を宛てに刷るより、川越付近の私のファンに見に来てもらったほうが良いんで、チラシを作る事にした。
(2011年4月10日・日)さあ
さあ、蔵里デビューの日が来た。多分、客は私のことを知らない人ばかりだから、素通りする人ばかりだろう。ライブも出来ず。ただ、子供に小さな切り絵をプレゼントするというくらいのことしかできないのかもしれない。
私の理想は、前にたくさんの人が並び、私のライブの絵が売れ、持って行った手ぬぐいやTシャツがソコソコ売れるというものだ。
しかし、筋書き通りには行かない。きっと子供相手に只で、切り絵をやる事になってしまうのかもしれない。
それは、避けたい。それが定着するわけには行かないからだ。私はプロである。
事前に葉書を配るとかした方がいいのかと思う。つべこべ言わずに、出発だ。
(2011年4月9日・土)
雨だ。今日予定していた川越・蔵里のライブは取りやめた。明日は晴れるようだからやろうと思う。
まだ準備が完璧に出来ていないので、どうなることやら。
一つ締め切りを終えた。月曜日が次の締め切りである。
(2011年4月8日・金)人生は難しい
眠い。今日は風が強くて、花粉が多く飛んで、体内に入って、体がだるくなっているのかもしれない。仕事にならないから困る。
挿し絵のギャラが、下がっている。一流月刊小説誌の挿し絵が、これほどの値段になると、いくら忙しい画家でも、月刊誌の挿し絵だけでは食べていけない。週刊誌・新聞連載が混ざってこないと無理である。
新聞小説は、遠からずなくなるのかもしれない。新聞はどうしようもなく不況である。
そういえば、昔は、新聞小説の連載を終えると、画家は一軒家が建ったそうである。昔はギャラが良かったのである。そして、物価が上がって、金の価値が変わっても、画料はそのままだったとか。
昔は作家も画家ももらいすぎてるくらいにもらっていたんだと思う。
その頃の画家といえば、挿し絵を片手間に描いていて、ちゃんと画壇で活躍していたりする人だったらしい。とはいえ、挿し絵を描くのは一段低く見られていたようだ。今でもそうなのかもしれない。
今でもそうなのかもしれないが、低く見ている人が食べていけるのかといえば、怪しいものである。せいぜい、大学や高校の絵の先生をしてプロと言っている人ばかりなんだと思う。
前に、ある出版社の芸大の美術学部?5年前卒の編集者が来ていうには、ほとんどの同級生が30歳までに絵を止めるつもりだと言っているという。悲惨だが、絵の需要が日本にはないのである。
どうしたら絵で食べていけるかというところから私は絵に入った。もっとも大切な食べていくことから入らず、頭でっかちな美術の大学を出た学生は、美術大学を出たお陰で、美術界から淘汰される対象になっているというのも皮肉なことである。
なりふり構わず食べていきたいのなら、美術大学はでないほうがいい。邪魔なものを一杯ぶる下げて戦わなければならない。
考えてみれば、大学で頭でかっちになって私は建築をやめたのである。大工さんから入ったら、もしかしたら建築を止めていなかったかもしれないのである。
(2011年4月7日・木)
12日からの展覧会は、ギャラリーのオーナーと私の郵便で出した葉書を足すと、私の展覧会で出す枚数としては記録的な多さになっただろう。私はソコソコ出したが、オーナーはかなり出したようだ。
地震の後だけに、客の入りはちょっと気になるが、しかし、スケジュールに展覧会がずらり並んだ。これだけの展覧会をやるのは初めてのことである。
今日もいい天気だ。テニスをしてきた。いまいち良くない。また考えよう。
今から、展覧会場の飾り付けである。まあ、あくせく忙しいこと。まあ、それが幸せだと思う。
(2011年4月5日・火)続き
もう一つ、井出文蔵氏と面白い交流があった。
私の切っている紙に興味を持ったれたのである。彼は、黒い和紙をさらに墨汁で染めているという。それが私の紙は、それより黒くて、光沢もない。それで「何という紙を使っているの?」という質問があった。
私の使っている紙を、隠さず伝えておいた。私が切り絵を始めて早々に出会った紙であるが、他の紙にしようかと悩んだことがない。私の切り絵にはなくてはならない紙だった。きっと井出さんも使い始めるのかもしれない。
しかし、この紙を使っているという切り絵作家は今まで誰もいなかった。だから、こちらは紹介するばかりである。将来切り絵の専門用紙になっていくに違いない。
それから、井出さんが、前に私の個展にきたときの作品の印象は「個性がなかった」ということだった。なるほど、その通りであると思う。鋭い観察である。それは、元々、個性というものはにじみ出てくるもので、作為的に作るものではないと思っていたし、また、その頃の私は、自分でポーズをとって、それをデッサンして、絵にしていた。つまり写真に引きずられた絵を描いていたのである。
井出さんの観察眼は正しい。ただ、その後私は、何も見ないで描くようになったので、多分前の印象とは違うだろうと思う。
いずれにせよ、次にお会いするのが楽しみである。
(2011年4月4日・月)市川三郷町・六郷
市川三郷町・六郷の陶芸家・鈴木さんのところに一泊して、身延町・切り絵の森にライブをしてきた。震災の影響があって、お客が少ないといっていたが、4月2・3日は何とか前週より客入りは良かったようだ。
切り絵ライブは、二日間で5作作って、2作が売れた。さすがに、震災の影響もあるんだろう。
偶然だったが、3日には今切り絵の森でやっている展覧会の切り絵作家、井出文蔵さんがおいでで、私と往きあった。私はお会いしたのは3回目である。一度目はもう、20年前くらいになるのかもしれない。凄いロングヘアーの井出さんが時だった。「・・・斎」とかのペンネームでも良いような風貌だった。
二度目は私の個展に来ていただいて、後は電話で二回ほどお話をした。
今回のように、お話をするのははじめてであったが、意外に田舎のおじさん的な感じがあったんで、驚いた。話し易かった。
作品は、「根性」がいる作品だと思った。私にこの根性があればと思うくらい刺激された。大変な労作である。
私は、井出さんも亡くなられた宮田雅之氏もライバルだと思ってきた。
しかし、私は申し訳ないが置いておいて、画風は井出さんと宮田さんは近い関係にあり、年齢も近く、本当にライバル中のライバルといえる関係ではなかったかと思っている。だが、井出さんより宮田さんの方がはるかに、知名度ではリードしてしまった。
絵の派手さが、宮田さんの方が勝っているというのはあるのだろうが、人脈の違いもあったのではないだろうか。
晩年、敏腕を謳われた宮田さんの女性マネーージャーの存在は大きかったと思う。彼女が、かなり仕事を作って行ったのだと思う。
絵を見るにつけ、井出さんは達者な人だと思う。しかし、経歴を見ているとデビューが3年くらい私より早いだけであった。ほぼ同時期に私と歩んだ人である。
私とは一回り年齢が違い、私は日本切り絵協会に近づかなかったが、井出さんは現在も切り絵協会に入り、退いたとはいえ、重鎮としての経歴をお持ちであった。私は、まだ20代だったゆえに、入会すると日本切り絵協会の使い走りをさせられるだろうと思い、接近を避けたのである。以後、そんなわけでどこの組織にも入ってこなかった。それは私と井出さんの切り絵人生の大きな違いになったのだろうと思う。
昨日は、井出さんは甲府に泊まり、今日月曜日にはNHKに生出演する事になっているらしく、甲府にお泊りになるとのこと。私がご一緒するればよかったのだが、昨日は帰ってきた。
「酒」といったら、嬉しそうなお顔をしていたので、お好きらしいので、もったいないことをした。
この次、切り絵の森においでのときは、是非ご一緒したいと思う。楽しい話が出来そうな気がする面白そうな人に映った。
(2011年4月2日・土)身延のおいしい空気を吸いに
今日は、山梨県の身延に行ってくる。切り絵の森のライブのためだ。二日間するから一泊だ。
ちょうど去年の今頃に、私の切り絵の森での展覧会が始まって。あれから一年経つんだなあ。そして、去年の4月にバルセロナに行った。去年の四月はそんな風だった。
バルセロナでの展覧会は、会場が手違いで、あまり成果はでなかった。その理由は、知りたいでしょうが、ここには書きません。
この展覧会をプロデュースしたのは、肩書きなんといえばいいんだろう。環境学者?の月尾嘉男さんだった。朝のラジオ番組やTBSテレビの早朝の番組に出てくる人なので知っている方もいるだろう。
ということで、そのバルセロナの紀行をやっと今年になって正式に月尾さんに報告したのである。会っているから、ちょっとはお話いておいたのだが。
そんなわけで、もう一度バルセロナを場所を替えてチャレンジしようということになった。早くて来年という事になるだろう。
したがって、明日の日記はありません。
(2011年4月1日・金)切り絵のネタ本
ジェイノベルスの下絵が終わったが、まだ切り終わらない。明日朝出来上がるだろう。
14日頃、私の自費出版「百鬼丸の切り絵のネタ本」が完成する。展覧会での売れ行きが楽しみである。出来ががったら、このホームページにも掲載するつもりだ。
勿論、注文でも販売します。27枚絵が入って2000円での販売としようと思っている。
今日テレビを見ていて、同時にラジオをつけて高校野球を見ていたら、ラジオとテレビに時差があった。どうしてだろう。昔、野坂昭如さんが、テレビは生中継といっても、何秒か遅れて放送される、その間に検閲をしているんだと言っていたが、検閲はともかく、時差というもがあるんだと、驚いた。
明日は山梨の切り絵の森での、今年に入って初めてのライブで行ってくる。これから、ライブ作品を本にして行くので、いい作品を作ろうと思う。そういう意味では「切り絵のネタ本」は私の励みになる。
(2011年3月31日・木)
今日もいい天気。常設ギャリーの川越・岡田畳店本店を震災後に一度も見に行っていない。私の作品はどうなったんだろうか。ラッキーな事に額に入れてない作品ばかりだから、損傷はないだろう。
ただし、展示のものが落ちたりりはしているだろう。
それで、今日は展示を見てくる。
今日は、Jノベルスの締め切りの日である。珍しく、森村誠一さんの挿し絵の仕事が、二ヶ月連載で小説現代からも来ている。
小説現代の編集者は、私がかつて小説現代の常連だったのを知らないようで、締め切りを7日とサバをよんできた。本当は10日なのである。12日でも大丈夫かもしれないが、ギリギリのはずである。
今月は、文庫が一冊に「ゆずりは」の表紙連載がある。出版の方は珍しく少ない。
でも、明日から慌ただしい4月だ。展覧会もある。めちゃくちゃ頑張ろう。
(2011年3月30日・水)
ちょっと前に神棚を買ってきた。ホームセンターに売っていたので、安いから、霊験があらたかではないかもしれない。
御神体は、手塚治虫大明神と浅香光代大明神と書いた札(まだ、書いてない。自分で書くのは何だなあ、本人は嫌がるだろうし)。浅香さんは、死んではいないからかわいそうなのかもしれないが、私にとっては大明神である。毎日パチンパチンと手を合わせたいと思っているのだが、なかなか、ダンボールから取り出せない。
それを飾る前に、やることが沢山あるのだ。
(2011年3月29日・火)
川越のイベントが4月から復活するらしい。川越・蔵里から、4月に入ったら来て下さいと電話があった。4月の第二週の土日にイベントをするつもりだ。
私のファンに、葉書も出さなければならないのかな。やることが沢山あるんで、できればの話である。
(2011年3月28日・月)
両足の付け根のリンパが痛い。どうしたんだろう。
子供の頃はここが痛くなったものだ。特に、私は「ぶよ」に食われると凄く腫れたが、その時はこのリンパが痛くなったものだ。
一つ仕事を終えた。時間がかかりすぎたが、眠い病にかかったように、昼間10日ほど眠ったかった。どうやら、そこから脱したようだ。
仕事をしなければ。展覧会が12日からある。その準備もある。
今回の展覧会は、震災の影響があるだろう。何とか乗り切ろう。
(2011年3月27日・日)甲府の一夜
甲府に行ってきた。甲府富士屋ホテルに、友人の店が出店したからだ。前は「串信玄」という名で甲府駅近くの裏春日通という所で営業をしていた。
その出店祝で行ってきたのだった。お店の雰囲気は昔のままで、田舎の居酒屋風だった。満席だった。カウンターの隣に座っていた人が話しかけてきた。話していたら、かなりのでかい会社の社長さんでをしているご様子だった。私より10歳くらいの年配の人だが、経歴が変っていた。
昔秩父市の代議士・荒船清十郎の秘書をやっていたとのこと。元々と株屋さんだったが、荒船さんに株で儲けさせて気に入られ、秘書になったのだという。荒船さんは大まかな人で、ちょっとした田中角栄さんのような人だったという。
お妾さんが八人もいて、週に一日だったか、8人全員のところを廻ったのだそうだ。だから、一箇所に1時間くらいしかいなかったんじゃないだろうか。かなりの高齢になるまで代議士をしていた方だったと記憶している。
もう「男は60歳を過ぎるともてない。もてようと思ったら、金だ。」とおっしゃっていたのが印象に残る。バイアグラを使うんだとおっしゃっていた。その種類と効き目も聞いた。
山梨県というのは、ちょっとしたところでこういう人と出会う。埼玉県はこういうことはない。新作の手拭い二枚をお渡ししたら、友人がやっている談合坂インターと須玉インターにおけるか聞いておくよという。
帰りに談合坂インターの賑わいを見た。ここに置けたら、良いなあと思った。万が一だろうが。
(2011年3月26日・土)
強い風である。嫌いな天気。今日は切り絵愛好者用の自費出版冊子制作の仕事で、あれやこれや。ライブで作った作品を集めたもの。全部で26枚絵が入っている。
売れると良いなあ。
(2011年3月25日・金)
今日街を車で走っていたら、ガソリンスタンドが空いていた。もう並ぶことはないんだろう。
スタンドのおじさんと話をしたら、この回の騒動は、ガソリンの割引とかなくて正価で売っていたから、スタンドは儲かるんだよといっていた。
今回の震災は、本来の日本を確認することが出来るのかもしれない。
新しい日本が始まるのかもしれないとも思う。いい日本になれば良いが。
(2011年3月23日・水)せめてなりたや神もどき
さて、地震も10日くらいが過ぎたのだろうか。まだ、コンビニのレジにある義捐金箱に小銭を入れるくらいだが、そろそろ送金しようと思っている。慰問活動をしたいとも思っているする。
また一つ、やることが増えた。
4月には、川越の蔵里の広場も始まるだろう。蔵里の名物になりたい。
私のメインの仕事は、ライブに今年からなるだろう。私にとって、夢だった「主役の仕事」が、思わぬ展開から出来上がった。物を作り、ある程度のレベルのなるのも時間がかかるが、自分のあり方を定めるにも時間がかかるものだ。
切り絵の神様になりたいなあ。
(2011年3月22日・火)大人になりました
ガソリンを手に入れるために、これで3回目だが並んだ。信号の待ちをしていたら、右から来た車が私の前に割り込んだ。車を降りて、皆並んでるんだといったら「そうですか」とタバコをくゆらせていた。生活力のない無気力な顔をしていた。
私はかっかして、体の具合が悪くなった気がした。体の具合が悪くなるんだ、もうかっかするのは身体のためにならないなあと思った。
考えてみれば、その男、とても生活力がない男なんだと思う。みんな1km以上並んでガソリンを買っているのに、わかって割り込む。きっとだらしのない男だろう。仕事も出来ない男だろう。責任感もないろくでもない奴だろう。
放って置いても滅びる。そういう人はそこそこの人生しか渡れない。人生の楽しみも、喜びも味わえないで、人から怒られてばかり、惨めな生活を送るんだなあ。
もう、かっかするのは止めよう。身体に悪いから。悪い奴は、惨めな生活が待っている。私が怒らなくても、彼の人生に明日はない。
今、また地震だ。発生しているところではかなり大きいのかもしれない。
(2011年3月22日・火)
ここのところ、朝早くは良いが、朝飯を食べた後、ずっと眠くて仕事が出来なかった。花粉のせいだろうか。一週間仕事がはかどらなかった。何か怠けているようで、少し自己嫌悪になる。
昨日は雨のせいか、その症状は現われなかった。
今は文庫2冊の締め切りを抱えているが、この地震の影響で、何か気の抜けた感じがすることもあるなあと感じる。
車が走ってないことで、街が寂れた感じがしてしまう。
(2011年3月20日・日)放射能の恐ろしさ
放射能を浴びると、細胞が自分の仕事を忘れてしまい、例えば、皮膚の細胞は、自分を分裂させて増やすという機能を忘れるから、皮膚が作られなくなり、細胞もある期間過ぎると死んでいくので、皮膚が次第になくなっていったりする訳で、人間の全ての細胞が、忘却細胞だから、もう始末に終えなくなる。
細胞を移植しても、その細胞が隣の細胞から被爆してしまい、また変異してしまうのだという。これは病気という種類のものではない。細胞が不治の怪我を負ってしまったようなものだ。
怪我だから、今だったら、一つ細胞内の染色体を足すとか引くとかすれば治せるのかもしれないが、その直す細胞の数がとんでもない数である。とても無理な話だ。
放水をした消防士の方々が泣いていたが、放射能の恐ろしさを知っているということだったが、被爆して、自分は死んでいくことが分かっているのかもしれない。
政府の発表を信じちゃいけないとか言っている人もいるのだろうが、信じようと思う。もう丸抱えである。自分自身が選んだ政府なんだから、じたばた出来ない。
政治の話になると、皆やたら暑くなるが、自分の責任が伴わないから、言いたいことが言える。自民党の谷垣さんなんか、自分が首相だったらとんでもなくひ弱で、たいした首相にはなれないと思うが、今は野党で文句ばっかいっていればいい役回りだから、勤まる。
文句ばかり言ってた、都知事の青島さんだって、自分が行政の長になったら、おとなしくなった。
政治家に人材がいない。この間、小沢さんを党員資格の停止という時に出てきた小沢シンパの代議士たちがいたが、みんな、市会議員のような存在感のなさだった。選挙の形式とか、行政のあり方とか実験を(ああだあこうだあ言わずに、辛抱して)していったほうがいいと思う。
(2011年3月19日・土)整理券
ガソリンを車に入れるために、並んだ。整理券が配られたが、並んでいる途中に割り込んで入ってくる車があった。そのうちに、「整理券は配り終わりました。ガソリン完売です」とスタンドのお兄さんが、プラカードで知らせまわっていた。
さきほど、割り込んだ車は罰が当たって、待った挙句に列から離れていった。やったと喜んだ。
いい天気だ。忙しいが、テニスをしてきた。朝一番で行くと、私が一番うまいプレーヤーになってしまう。勝てないから、私と試合をしたくない人もいる。私はうまい人とやりたい気持ちもあるが、それより、その日に試してみたい方法を、一刻も早くやりたいので、早い時間に行ってしまうのだ。
誰か、私に教わりたいと言ってくれば、私も彼らの役に立つのだが、そういう人は、これまで2人しかいない。皆テニスを運動神経や、力があるからとかで片付けているから、私の教わろうとしない。私は一以上にテニスのことを考えている。
車を運転すれば、片方の座席にはラケットが置いてある。そして信号待ちのときは、ラケットを握って、次テニスをするときはどうしようかと考えたりしている。
(2011年3月18日・金)巨乳
切り絵教室のときだったか、おっぱいの話が出た。何からそうなったか記憶にないが、私が長い間母親のおっぱいを吸っていたのを話して、最後に、乳首に唐辛子を塗られて、懲りてそれからおっぱいを飲まなくなった話をして、その唐辛子が懲りたとき、私は母親の背中に背をわれて、おっぱいを吸っていたのだった。
つまり、母親は巨乳であり、私は3人目立ったので、長く伸びてシワシワなおっぱいだったのである。
近頃、昼間眠くてしょうがない。春だからなのかもしれないが、異常に眠い。仕事が出来ない。困った。
蔵里のライブは中止をした。私が行っている埼玉伝統工芸会館も、切り絵の森も皆駄目だろう。
14日からの鶴ヶ島「ううふ」展は、大丈夫なんだろうか。心配になってきた。
吉川英治賞の贈呈式がある。吉川英治賞というと、もうかなりの小説界、あるいはその周囲で小説に関わっている重鎮に与えられる賞だと思っている。今回は、私が時代小説のカバーを全て担当している森村誠一さんが受賞した。
過去二度、名刺交換をしているが、私の顔を見てにやっとして通り過ぎられてしまったという経験がある。一般的に、考えられるのは、百鬼丸ですといった言葉にぴんと来なかったのか、名刺をちゃんと見なかったのかである。
それと、当時の年齢ではこんな若造が、あんなませた絵を描くはずがなかったわけで、顔を見て、「百鬼丸」のイメージが端から違っていたのか。
そうでなかったとしたら、森村さんというのは相当変った人である。私と分かっていながら、声もかけてこないで通り過ぎるというは私の経験では前例がない。
だが、編集者と話すとそんな無視をするような人ではなく、礼儀正しい人ということである。もし、そうなら、かえって名刺を見返して「百鬼丸」とある事に不思議を感じていたのではないだろうか。私が住む埼玉の熊谷市の出身であり、私が御用絵師をし、遺作の挿し絵を担当した笹沢佐保さんは、森村さんが敬愛した作家という共通項もある。
いずれにせよ、今回の吉川英治賞は出席で、森村さんの二次会にも参加するつもりである。
出版社のパーティというと、皆さんご祝儀か何かもって行くとお思いでしょうが、手ぶらの平伏でいいのである。普段行かないようなホテルでおいしい料理と酒がふるまわられる。昔は、それに帰りはタクシーで帰してくれたりしていた。さすがに今はそれはない。
また、かつては作家が編集者を招待してパーティを開いたりもしていたらしいが、今はそれができる人は、そういない。森村さんは熱海で編集者を集めて宴会を企画しているという。一度招待されたいものだ。
(2011年3月16日・水)
昨日は、河口湖美術館での協力員さんの年に一度の集まりがあり、いろいろな美術館運営上の問題を討議した後、私のライブ&トークがあった。
さすがに時節柄、予定が70人超だったが、50人ばかりに減ってしまいました。とはいえ、去年の30人から、大幅に増員、私としても、何とか楽しんで帰ってもらわなきゃあと、気合が入った。
そこで、今回は人数も多いことだしと、一番大きな黒い紙を切る事にした。
題は、柿売りの女性という事に設定、切り始めた。
時間がないので、あまり書かないが、切り絵も成功、しゃべりも滑らかにいって、何とか皆さんに楽しんでもらえたかと思う。
私としても、ためになった講演だった。これから、ますますがんがん行こうという意欲を持ったイベントだった。
川越・蔵里でのイベントを中止する事にした。東上線も西武線も終日止まり、観光客は少ないし、無理な状況だった。
今日は、ヤマダ電機に行ってきたが、館内は暗く、客もまばらでひっそりしていた。
わび・さびの世の中になるのだろうか。
(2011年3月13日・日)
テニスをほんのちょっとやってきた。テニスをする相手にもいろいろタイプがいるが、やたらあやまる人がいるが、とてもうるさい。それに、試合中、自分が打った球を「小さいのが行きました、すみません」なんていう人、いや奴なんて、気持ち悪くて聞いていられない。
できるだけそういう人とは試合をしないようにしている。
他に、技術がないからミスしたのに、打ちすぎたとかねらいすぎたとか言う人、こういう人はうまくならない。アウトした理由が下手だからと認めていないからだ。ミスした理由の、大部分は下手くそで、技術的理由がある。それを解明する思考がないとテニスはうまくならない。
(2011年3月20日・日)放射能の恐ろしさ
放射能を浴びると、細胞が自分の仕事を忘れてしまい、例えば、皮膚の細胞は、自分を分裂させて増やすという機能を忘れるから、皮膚が作られなくなり、細胞もある期間過ぎると死んでいくので、皮膚が次第になくなっていったりする訳で、人間の全ての細胞が、忘却細胞だから、もう始末に終えなくなる。
細胞を移植しても、その細胞が隣の細胞から被爆してしまい、また変異してしまうのだという。これは病気という種類のものではない。細胞が不治の怪我を負ってしまったようなものだ。
怪我だから、今だったら、一つ細胞内の染色体を足すとか引くとかすれば治せるのかもしれないが、その直す細胞の数がとんでもない数である。とても無理な話だ。
放水をした消防士の方々が泣いていたが、放射能の恐ろしさを知っているということだったが、被爆して、自分は死んでいくことが分かっているのかもしれない。
政府の発表を信じちゃいけないとか言っている人もいるのだろうが、信じようと思う。もう丸抱えである。自分自身が選んだ政府なんだから、じたばた出来ない。
政治の話になると、皆やたら暑くなるが、自分の責任が伴わないから、言いたいことが言える。自民党の谷垣さんなんか、自分が首相だったらとんでもなくひ弱で、たいした首相にはなれないと思うが、今は野党で文句ばっかいっていればいい役回りだから、勤まる。
文句ばかり言ってた、都知事の青島さんだって、自分が行政の長になったら、おとなしくなった。
政治家に人材がいない。この間、小沢さんを党員資格の停止という時に出てきた小沢シンパの代議士たちがいたが、みんな、市会議員のような存在感のなさだった。選挙の形式とか、行政のあり方とか実験を(ああだあこうだあ言わずに、辛抱して)していったほうがいいと思う。
(2011年3月19日・土)整理券
ガソリンを車に入れるために、並んだ。整理券が配られたが、並んでいる途中に割り込んで入ってくる車があった。そのうちに、「整理券は配り終わりました。ガソリン完売です」とスタンドのお兄さんが、プラカードで知らせまわっていた。
さきほど、割り込んだ車は罰が当たって、待った挙句に列から離れていった。やったと喜んだ。
いい天気だ。忙しいが、テニスをしてきた。朝一番で行くと、私が一番うまいプレーヤーになってしまう。勝てないから、私と試合をしたくない人もいる。私はうまい人とやりたい気持ちもあるが、それより、その日に試してみたい方法を、一刻も早くやりたいので、早い時間に行ってしまうのだ。
誰か、私に教わりたいと言ってくれば、私も彼らの役に立つのだが、そういう人は、これまで2人しかいない。皆テニスを運動神経や、力があるからとかで片付けているから、私の教わろうとしない。私は一以上にテニスのことを考えている。
車を運転すれば、片方の座席にはラケットが置いてある。そして信号待ちのときは、ラケットを握って、次テニスをするときはどうしようかと考えたりしている。
(2011年3月18日・金)巨乳
切り絵教室のときだったか、おっぱいの話が出た。何からそうなったか記憶にないが、私が長い間母親のおっぱいを吸っていたのを話して、最後に、乳首に唐辛子を塗られて、懲りてそれからおっぱいを飲まなくなった話をして、その唐辛子が懲りたとき、私は母親の背中に背をわれて、おっぱいを吸っていたのだった。
つまり、母親は巨乳であり、私は3人目立ったので、長く伸びてシワシワなおっぱいだったのである。
近頃、昼間眠くてしょうがない。春だからなのかもしれないが、異常に眠い。仕事が出来ない。困った。
蔵里のライブは中止をした。私が行っている埼玉伝統工芸会館も、切り絵の森も皆駄目だろう。
14日からの鶴ヶ島「ううふ」展は、大丈夫なんだろうか。心配になってきた。
吉川英治賞の贈呈式がある。吉川英治賞というと、もうかなりの小説界、あるいはその周囲で小説に関わっている重鎮に与えられる賞だと思っている。今回は、私が時代小説のカバーを全て担当している森村誠一さんが受賞した。
過去二度、名刺交換をしているが、私の顔を見てにやっとして通り過ぎられてしまったという経験がある。一般的に、考えられるのは、百鬼丸ですといった言葉にぴんと来なかったのか、名刺をちゃんと見なかったのかである。
それと、当時の年齢ではこんな若造が、あんなませた絵を描くはずがなかったわけで、顔を見て、「百鬼丸」のイメージが端から違っていたのか。
そうでなかったとしたら、森村さんというのは相当変った人である。私と分かっていながら、声もかけてこないで通り過ぎるというは私の経験では前例がない。
だが、編集者と話すとそんな無視をするような人ではなく、礼儀正しい人ということである。もし、そうなら、かえって名刺を見返して「百鬼丸」とある事に不思議を感じていたのではないだろうか。私が住む埼玉の熊谷市の出身であり、私が御用絵師をし、遺作の挿し絵を担当した笹沢佐保さんは、森村さんが敬愛した作家という共通項もある。
いずれにせよ、今回の吉川英治賞は出席で、森村さんの二次会にも参加するつもりである。
出版社のパーティというと、皆さんご祝儀か何かもって行くとお思いでしょうが、手ぶらの平伏でいいのである。普段行かないようなホテルでおいしい料理と酒がふるまわられる。昔は、それに帰りはタクシーで帰してくれたりしていた。さすがに今はそれはない。
また、かつては作家が編集者を招待してパーティを開いたりもしていたらしいが、今はそれができる人は、そういない。森村さんは熱海で編集者を集めて宴会を企画しているという。一度招待されたいものだ。
(2011年3月16日・水)
昨日は、河口湖美術館での協力員さんの年に一度の集まりがあり、いろいろな美術館運営上の問題を討議した後、私のライブ&トークがあった。
さすがに時節柄、予定が70人超だったが、50人ばかりに減ってしまいました。とはいえ、去年の30人から、大幅に増員、私としても、何とか楽しんで帰ってもらわなきゃあと、気合が入った。
そこで、今回は人数も多いことだしと、一番大きな黒い紙を切る事にした。
題は、柿売りの女性という事に設定、切り始めた。
時間がないので、あまり書かないが、切り絵も成功、しゃべりも滑らかにいって、何とか皆さんに楽しんでもらえたかと思う。
私としても、ためになった講演だった。これから、ますますがんがん行こうという意欲を持ったイベントだった。
川越・蔵里でのイベントを中止する事にした。東上線も西武線も終日止まり、観光客は少ないし、無理な状況だった。
今日は、ヤマダ電機に行ってきたが、館内は暗く、客もまばらでひっそりしていた。
わび・さびの世の中になるのだろうか。
(2011年3月13日・日)
テニスをほんのちょっとやってきた。テニスをする相手にもいろいろタイプがいるが、やたらあやまる人がいるが、とてもうるさい。それに、試合中、自分が打った球を「小さいのが行きました、すみません」なんていう人、いや奴なんて、気持ち悪くて聞いていられない。
できるだけそういう人とは試合をしないようにしている。
他に、技術がないからミスしたのに、打ちすぎたとかねらいすぎたとか言う人、こういう人はうまくならない。アウトした理由が下手だからと認めていないからだ。ミスした理由の、大部分は下手くそで、技術的理由がある。それを解明する思考がないとテニスはうまくならない。
(2011年3月12日・土)最強のマスク
19日からの、川越の鏡山酒造跡地の広場・蔵里でのライブの、設えのためにカインズホームに行ってきた。どんな設営がいいのか分からないが、とてにかく、手拭いやTシャツを売るのであるが、それに私のやった本なんかもディスプレ-しなければならない。
この蔵里でのライブは、私にとって寄席芸人的初デビューという事になるだろう。今までは、展覧会場とか、私を知っている会場でのいわば、生ぬるい環境でのライブであったが、今回は違う。自分の力で、客を引き寄せなくてはならない。
とはいえ、私のファンの方が集まって欲しい。何たって、桜はいて欲しい。心強い。
という訳で、ディスプレーのあれこれを買ってきた。多分無理だろうが、のぼり旗とかも作る必要はあるだろう。まだそこまで思いは行っていない。手探りであるから、無駄もあるかもしれないが、このライブは是非とも定着させていきたい。
ところでカインズホームで、買い物をしていたら、変ったマスクがあった。普通は耳にゴム紐を掛けるが、マスクを90度回転させて、片方のゴム紐は頭からかぶって通し、首の後ろに。片方も頭からかぶって、つむじの辺に引っ掛けるのである。鼻のところは、内側にスポンジ、外側に平型の針金が仕込んである。
早速使ってみたら、これぞ正真正銘の99パーセント花粉が入らないだろうなというフィット感。99パーセントと表示してあるが、どうもうそ臭いマスクが氾濫している中、これに勝てるマスクはないだろう。
装着すると、ドナルドダックのくちばしのようなマスクだから、笑っちゃうがそうもいってられない。とてもマイナーな会社が作っているみたいだが、これからこれは出てくる。素晴らしいマスクだ。20枚入りで、1000円弱。
さて、蔵里でのライブであるが、問題はテントだ。使うか使わないか。それに使ったらどのようなものにするかだ。傘も必要かもしれない。夏は無理だろう。春と秋だけのイベントになるのだろう。
(2011年3月11日・金)
挿し絵が、久しぶりに、オール読物と小説現代から来たが、何とか4点あがって切り抜けた。
地震がひどいようだが、私のアトリエも、作品が棚から落ちたが、少し壊れた。また修理する時間がかかる。そんな時間はないが、文春でやったゼプツェンの展覧会をまたどこかでしたいので、それは修理したい。
地震はこれから、どんな被害が報告されるのだろうか。
(2011年3月9日・水)
次の作品は、4時に終わり、先方の双葉社に届けた。担当の編集者とデザイナーと3人で飲んだ。デザイナーの方は初めてお会いしたが、変った経歴の持ち主だった。元々デザイン畑の人でなく、演劇とかをちょっとしていたらしい。
寺山修司の天井桟敷にいたこともあるというから、面白い。
帰ってきたのは10時だった。
(2011年3月8日・火)締め切り
いや、締め切りである。一つ今納めたが、もう一つ夕方までに。では・・・・。
(2011年3月4日・金)
病院は失敗。売店の前には人が、全く来ないところだった。いい事ばかりない。でも、約束なので、今日も行く。
夏は地上が暑いから、富士山も良いなあ。早速行動してみよう。
とはいえ、珍しくオール読物と小説現代の小説の挿し絵の依頼が来た。作家は犬飼六岐氏と森村誠一氏だ。お二人とも、私を指名したもよう。
長い間やっていると、編集者でも、絵ではなく、他の部分で好き嫌いというのが出てきてしまうものだ。だから、いくら良い仕事をしても来ないことがある。そして、この歳になると、作家の指名が多くなる。
以上の二つに、3冊の本のカバー画ある。
(2011年3月2日・水)名物になりたい
ライブ単独で、いろいろなところでこれからやる事になりそうだ。そういう意味では、平成11年は、私にとってはターニングポイントだ。単に日本語で曲がり角というと、何か危なげな気配がするから、英語のほうがぴったりくる。
明日から、富士吉田の市立病院ライブをする。展覧会では、私の絵があるので、私のステータスも保てるが、ライブだけだと、それをやっている芸人さんと間違われるから、ちゃんと私のやった本なりをもって行って飾らないと「食べられるのかい?」なんて、質問が飛んできたりする。
今月、後半には川越の蔵里という、酒造会社の跡地の広場でライブをやろうと思っている。ここは観光スポットとしては最高のところである。何とか、名物になりたいと思っている。
(2011年3月1日・火)
月が変わると毎度のことで、「もう3月か」ということをつぶやく。じっと我慢して暖かくなったからいいやと思う。
マスクと花粉用の眼鏡を買ってきた。だけど、メガネをしていて花粉症のめがねはかけられないから、眼鏡を掛けてするテニスでは塗装のときに使う眼鏡を掛ける事にしよう。それはメガネをしていても使えるようになっている。ただ、水中眼鏡の大きな奴だから、皆見て笑うだろうな。
私の本格的な花粉症は5月なのだが、先日の暖かさで感じた花粉の痒さはいつもより、凄い。もう薬も飲んでいるが、間に合わないようだ。
(2011年2月28日・月)珍しい仕事
どうも、とてつもなく忙しい仕事が入ってきそうである。対応できるか心配だ。私次第なのである。まだ、具体的に話せない。
(2011年2月28日・月)川越・蔵里ライブ
埼玉県が観光のために、HP上で、埼玉の名物を取り上げる。その中に私が入る事になり、昨日埼玉伝統工芸会館のライブが撮影された。
「これほどの数の本のカバーの絵をやっていながら、こういうパーフォーマンスをやる方は、県内にはいません」との、制作担当のテレビ埼玉の撮影陣のお話。
4月から、画像を埼玉県のサイトで流すのだそうだ。 反響が楽しみである。
来月は、3月である。川越の丸広通りにある、鏡山酒造の空き地にある蔵里で、切り絵のライブをするつもりである。後半になると思うが、毎月定期的にやっていこうと思う。ご期待。
(2011年2月25日・金)魚の絵
昨日の夜は麹町の文芸春秋の真裏の高層ビルの一階にある、幼馴染の田村君のすし屋・田(でん)という店に、板前さんの後ろの壁に飾る絵を納品に行った。
「ちだい」という小さな鯛の群れを切り絵にしたものだが、作品も70×90センチくらいあるからかなり見ごたえがある。田村君にも気に入られた。ちょっと、厳しそうな奥さんも多分満足だろう。
それにしても、去年の5月ごろ頼まれて、これまでかかった。当たり前である。出版の仕事の合間はライブや、展覧会で埋まっているのである。そのまた合間にやる事になるわけだから、大作となったら、そのくらいの時間はかかる。
この作品は、実は田村君に売ったわけではない。お客さんにその作品を売ってもらうと言う訳だ。つまり私のギャラリーにするつもりなのである。今回の価格は、52万5千円と付けた。
ここの店の作品は全部、魚にしようと思っている。
次は、太刀魚をやってみようと思っている。出来上がりは半年以上後であると思う。
さて、今中央公論の文庫一冊の締め切りを終えた。昨日今日と、立て続けに仕事を終えて気持ちがいい。今から岡田畳店である。
(2011年2月24日・木)5つ目の陶壁画
京都宇治市役所の陶壁画(3m×9m)をかわきりに、5つ目の陶壁画が富士吉田市立図書館に飾られた。
予算がないのに、大塚製薬の子会社の大塚オーミが良くやってくれた。もともと、私の持ち込まれた仕事だったが、大塚オーミの陶壁画に安くて申し訳ないが、頼んだ。大塚オーミのスタッフに感謝する。
まだ、見に行けないのが残念である。来月の3日に富士吉田市立病院ライブがあるので、その時見てこようと思う。
さて、今から麹町である。前から頼まれていた魚の絵が完成したので、持って行くのである。写真を撮らないといけないが、どうしよう。後では面倒であるが、すぐに売れることはないだろうから、後で撮ろうか。なかなか大変な仕事であった。
(2011年2月23日・水)
締め切りである。頑張ろう。それのみ。
(2011年2月22日・火)かばん
私には、かばんが沢山ある。ないのかもしれないが、私にとっては、あるように感じる。
しかし、かばんというのは帯に短しタスキに長しである。
前は、ジーパンの裾を縫って塞いで、肩ベルト縫ってつけ、両方の足にラケット入れて歩いていたことがある。コートでは目だったらしい。
二つのバッグをつなぎ合わせて、振り分け荷物のように、肩に振りわて背負ったのも作った。これはアメリカにもしていって、みんなから好評だったし、日本でも電車の中で、女性から「そのアイデアを、いただきたいです。良いですか?」なんとも言われた。
最近は、サイクリング用の前のめりの自転車に乗っているので、前で重たい荷物がぶらぶらしているのは運転しづらいので、振り分けかばんはやめている。
先日、リュックを買った。自転車ばかりでなく、走ったりするからである。しかし、その前に、前に買ってあったウエストポーチも使ってみたが、いまいち使いにくい。夏だったらいいのかもしれないが、厚着にウエストポーチは使いにくいのかもしれない。
そのリュックは綿製のもので、見た目は気に入っている。ただ、ポケットが少ない。そこで、先日、気に入って使っていたが、一箇所使いにくいところがあったので使うのをやめた、カーキー色の布バッグのポケットを切ってリュックに縫い付けた。そこには、携帯の充電器を入れた。それから、テニスラケットが、まっすぐ入るように、工夫もしたし、肩紐の位置も、変えられるようにした。
私は、リサイクルショップ派なので、バッグも安価に手に入るので、気軽に切り刻んでしまうのである。
自分が本当に使いやすいようにするには、買ったままでは駄目である。時間がもったいないが、あとあと、使いやすくなるので、無理してやることにしている。
(2011年2月21日・月)提言あり
展覧会に、予想以上の人が来ている。今日は、床屋さんで切り絵を趣味でしている人が来た。
彼によると、「私は絵が書けなくて、きる専門なんだけど、きるねたを探しているんですよ。いつも。もう風景なんか、皆おんなじ感じで面白くないんですよ。だから、百鬼丸さんの作品は、これまで誰もやっていない作品ばかりなので、切りたくなるんですよ。だから、是非そういう切るだけの人間用に画集を作ってください」というものだった。
これは前から分かっていたことだった。私の個展にもそういう方が大勢来られる。そしてライブでやった作品のコピーを置いておくと売れていくのである。
その方の提言で、これまで出版社から出そうと思っていたその計画が、いつになったら出来るかわからないので、自費出版する事にした。あとから、出版社に売り込もうと思う。
(2011年2月18日・金)今日は風が強い
今日は直木賞のパーティがある。最近は、あまり行く気になれない。出席にはしてあるんだが。仕事をしたいと思っている。
今日は風が強い。こういう日は、ストレスがたまってしまう。早くやんで欲しい。
今月出版される文庫が、3冊届いた。みな、いい作品ばかりだと思う。自画自賛なんかしていない。悪い作品を良いと思うセンスだったら、制作センスがないということだから、仕事も来なくなると思う。
やはり、自分でもひどいと思う作品もたまにある。しかし、その時は良いとおもって作ったのだが、時間がたつとそうではなくなったりして止むを得ない。そんなこともあるのだ。
展覧会のほうも、一日5人ほどは来ていただいている。ほぼ順調といっていい。
ライブは土曜にしてあるが、明日がそうだが、お客は来るのだろうか。
(2011年2月17日・木)
展覧会は、昨日は5人来た。少ないが、予想以上だ。
さて、今日も今から行って来ようと思っている。
(2011年2月16日・水)あと4冊
一つ締め切りを終えた。あと今月中に4冊やってしまうつもりだ。
今日はいい天気でテニス日和であるが、昨日の雪でできない。残念。
富士吉田市立病院でのライブが決まりそうだ。富士吉田市立病院には3m×6mの私の陶壁画が飾ってある。
ライブというと、これまで日曜日しか出来ないところばかりであるが、病院となれば、いつでもOKである。平日にライブをするところが見つかった感じがする。来月の3・4・5日に行ってこようと思う。
売り上げの一部を富士吉田市に寄付しようかとも思っている。
(2011年2月15日・火)やはり0
昨日、岡田畳店での展覧会の初日。お客は0人。まあ、気長にこのギャラリーを育てて行こうと思う。二週間で、10人ほど来ればいいのだが、と弱気。
この岡田畳店の私の常設ギャラリーは、川越ギャラリーマップにも載っている。凄いじゃないか。川越に、個人の常設ギャラリーがあるのはここだけである。持っているだけで、それはステイタスなのかもしれない。そういえば、私は最近名刺を作ったが、その中に常設ギャラリーのことを、考えてみれば入れていない。
先日1000枚を刷ったが、次に作る時には入れよう。
(2011年2月13日・日)明日から
昨日は、硬式テニス部のOBの会議があって、その帰り歩いたら、道路が凍結していて転びそうになった。
ああこれでテニスをする望みが絶たれるなと思う。地面が凍ったら、土が緩んで、コートの土はローラーをかけなければいけなくなる。天気が良くなっても、すぐにはテニスが出来ないのである。
それでも、ほっかほかの春のような日差しがさして嬉しい。春は毎年希望がわいてくる。といっても、夏が恐ろしいけど。
去年は、木も枯れたり、昆虫が少なかったり、鳥も少なくなっているといいます。何とか環境が持ちこたえて欲しいものだと思うけど。
明日から、岡田畳店での個展だ。毎日行って仕事をしていようと思うが、ライブも人が来たらするつもりだ。
(2011年2月10日・木)夢
夢を覚えていた。
やたら芸能人が多いパーティだった。目の前を通る芸能人の頭を見ると、毛は生えているが、ちょっと頭皮は光っていた。自分もそういう状態なのだが。
すると、私に向かってあちらから宇津井健がやってくる。彼も例のヘアースタイルだが毛が薄く、頭皮が光っていた。そうすると宇津井健も、私の髪の毛を覗き込んで「君光っているねえ」という。
「こちらへ来たまえ」とカウンターのほうに呼ばれ、付いていった。宇津井健は、カウンターにあった養毛剤を手に取り「私はこれを使っているんだ」と自慢そうに言っている。
私は現在、医者からプロペシアという飲み薬をのんで、髪の毛はしっかりしてきたので、宇津井さんに、それより私の飲んでいるプロペシアのほうが聞きますよと言いたかった。しかし、その前に彼は、私に背を向けて行ってしまった。そこで目が覚めた。
宇津井健氏の代表作は、今でも新東宝の「スーパージャイアンツ」だと思っている。
(2011年2月9日・水)仕方がない
歳をとると、やることが多くなって、それをこなすのに大変な忙しさになる。
今日は、都幾川町にある建具屋さんの上(かみ)さんのところに、スチレンボード(発泡スチロールの両面に白い紙が張ってある板)のカットを頼んであったのを取りにいってくる。説明するのがむずかしのでやめるが、平面切り絵を展示するのに使う道具を作っているのだ。額に入れないやり方を試してみたいのだった。
前に紙でやってみようと、箱屋さんに作ってもらったが、紙が反ってしまってぜんぜん駄目だった。箱屋さんはわかっているなら、一言「反りますよ」といってくれればいいものを、展示に使って反ったので電話して「対策はないか」と尋ねたら、「これは絶対反ります。紙は生き物ですから」という。
「申し訳ありませんでした」もなく、怒りたいところだが中学のクラスメートの息子である。もう仕事は頼まない。合計150枚の厚紙は捨てられることになる。お金もぱー。
残念。
(2011年2月8日・火)
さあ、今度は私の常設ギャラリー岡田畳店本店二階ギャラリーでの個展である。14日からであるが、その準備にかかる。
何とか、12日くらいまでに飾り終えたい。その前に葉書を送らないと。
(2011年2月7日・月)仕事が終わる
今日は一つ作品を納める。角川文庫である。締め切りを4日残して作品が出来上がるという珍しいことなのである。その後、「ゆずりは」という会員誌の表紙画にはいる。この会員誌の絵も、3年目に入ったのだろうか。
さて、今年は、展覧会のほかのライブだけでの営業というのもありそうである。
これはなかなか難しい。何故なら、ライブだけで食っていけないだろうと客は思うから、私がアマチュアに思われて、知らないおばあちゃんに「これで食っていけるのかい?」なんて心配の声をかけられる羽目になる。
だから、ちょっとした展覧会との抱き合わせになるのだろうと思っている。
3年前、スーパーで展覧会とライブを2日間したことがある。あれは悲惨だった。誰も足を止めない。絵も見ない。もうあんなところでしたくない。あご足もでないノーギャラのボランティアだった。ギャラがないなら、気持ちよくして帰らせてくれるとかがあれば良いが何もなかった。あんなことを私にさせるもんじゃない。
プライドもずたずたであった。
(2011年2月6日・日)都幾川経由小川町経由川越
今日は生徒展最後に日である。私は最近長い展覧会ばかりなので、あっという間の展覧会だなあという感想である。
生徒も、もっといい作品を作らなくっちゃあと、反省が見られるので、この次の展覧会の、小川町の埼玉伝統工芸会館の生徒展(8月)が楽しみである。それから、個展をしたいという生徒もやっと現われたので、これから生徒の動向も楽しみなってきた。
今から、スチレンボードを切断してもらいに都幾川町に行ってくる。それから、小川町にサンドプラストの私の絵の入ったコップを取りに行ってくる。この次の展覧会に販売するのである。
(2011年2月5日・土)生徒展
生徒展を今、川越駅ビル・アトレ6階の「ビーポケット」でやっている。
自分の生徒だからと自慢するわけではないが、そこらへんでやっている切り絵展に比べて段違いに面白い。
前回は、山梨の切り絵展(アマチュア)の帰りに、この生徒展を見て、そのレベルの高さに感心したものだが、今回もそう思う。とにかく、私の教室は、自分で題材を選び、自分の力でデッサンして描くわけだから、それはそれはバラエティーに富んだ作品が並んで、おおしろい。
そして、私がやりたくても時間がなくて出来ないというような作品が、生徒が変りに作ってくれているようで、とても嬉しいと同時に、「やられた」と嫉妬を禁じえない。
私の生徒は胸を張って、とても優秀であると自慢できる。
ただ、もっと生徒が入ってくればいいんだが、とても少ない。展覧会は明日までである。是非。
(2011年2月4日・金)政治
なんとなく政治の話をするのは違和感がある。
政治の話は、ちょっと知的に見えたりしたりするのかもしれないし、一番無責任に、矛先を向けられる対象が政治である気がする。発言しても、目に見えて迷惑が誰にかかるわけでもないし、自分に不利益が降りかかってこない。
「民意を」「国民の声を聞いて」なんて政治家が言っているが、政治家は国民に振り回されてはいけないと思う。その国民といえば、自分の利害だけだったり、しがらみだったり、マスコミに踊らされたり、著名人だから、著名人の二世だからとか、かっこいいからとかという基準でしか選んでなかったりする。
天気予報は、過去の天気図のデーターの蓄積と新しい機器による精度の向上が、最近の天気用法の的中率の向上となっている。
政治も現在の天気予報のように、予測が出来て対処できたらと思うのであるが、そうは行かない。
歴史も天気予報と同じで、多少繰り返すところもあるからである。だから歴史を学ぶのも大切なんだと思う。
日本の政治が、判断ミスやごたごたが多い気がするが、こうなったら、古代と同じように、占いで判断をくだしたらどうだろうか。政治家が判断すると、他国からなんでそんな判断をしたんだと、攻められそうだが、占いが出ましたと返事をしたら、何とも返事が仕様がないだろう。外圧を跳ね返すにはいいのかもしれない。
最近の政治家は、気の毒な気がする。これではいい政治家は育たない気がする。学校に対して、モンスターペアレンツがあるように、政治にも、そのモンスターペアレンツ的なものが、国民にないのだろうか。
民主党も気の毒だ。もともと、自民党をつぶすために、小異を捨てて団結していた民主党である。政権をとって、もともとのばらばらが、露出しただけの、無理がたたったということなんだろう。
国民が馬鹿を見なければ、自分たちのやっている政治に対する馬鹿さ加減が分からないと思う。
(2011年2月3日・木)私の日
「鬼は外」とほうぼうの家で聞こえそうな日である。私はどうすればいいのだろうか。
百鬼丸というペンネームをつけてから、33年が経とうとしている。このペンネームは、手塚治虫さんの漫画「どろろ」の主人公「百鬼丸」からいただいたものである。手塚さんからその許可は取った。
当初は、愛知県の常滑市に焼き物修行に行った時、大好きな「どろろ」という漫画の主人公「百鬼丸」を、陶芸家になったら名乗ろうと思っていたのである。貧乏で、とりえのない男だったから、本名の渡辺はどこにでも転がっている名だし、せめて二つ目の名前は派手な名前にしたかった。名前を二つ持つのにお金がかからなかったのも嬉しかった。
2月3日は、百鬼丸の日にしよう。
(2011年2月2日・水)短いなあ 人生
なんか一日に一度、「あと何年生きられるのかな」なんて考えているような気がする。NHKラジオ深夜便で、北山修特集がかかり、センチになってこんな詩を。荒っぽいですが。
人生ってこんなに短いと思わなかった
捨ててしまったあれこれを
過去に戻って拾って来たい
流さなかった涙を、あそこに行って流してみたい
微笑みたかったあの人に、あの時の想いを伝えたい
人生って、急行列車に乗っているように速い
そして 悔いのないように 悔いのないようにとつぶやく
あんなに輝いていた思い出がある
そして、輝いていた人がいた
そっと未来から、のぞいてみたい
あの時の自分を、そしてあの時のみんなを
傷ついた想い出は、そっと消してやりたい
未来は大丈夫だよ、みんな幸せになっている
そう励ましてやりたい
(2011年1月31日・月)友達の基本
若い時代に友達について考えるのと、歳が高じて友達について考えると、若干であるが違っている。
友達が多い人、少ない人がいる。友達がいない人もいる。友達を必要とする人、必要としない人がいる。
友達が出来るにはどんな要素があるんだろうか。基本といっても良いだろう。考えると、まず、人の話を聞いてくれる人は友達にまずなれそうである。人の話を聞いてくれないで、自分の話ばかりする人、これは友達が出来にくい。
人の話を聞いたうえで、その人の立場になって考えたり、話したりすることが出来る人。それも、いろいろな方向から考えてくれる人。結局、なかなか「難しいね」といってくれる人。
人間、いろいろ考えるととても迷う。そのいろいろを友達が考えてくれて、やっぱり「難しい」といってくれたら、「やっぱり、誰が考えても、難しいことなんだ」と思うから、その答えもありなんだと思う。
相談すると何でも答えが出てくる人がいるが、一見格好が良いが、その結論の通りに実行すると失敗したりする。いろいろなケースを想定して、相談にのってくれる人、「それは難しいわ」といってくれる人の方が、友人候補に近い人ではないだろうか。
だが、友達をたくさんいるかいないかは、仕事にもかかわってくる。「仕事のために友達を作る」、それは邪道じゃないかと思うだろうが、心配ご無用、「仕事のために友達を作ろう」と思っても、友達は出来ない。友達を作るという行為は、利害を超えたところがないと見透かされてしまう。だから、友達を作るというのはそんななまやさしいものではない。
といっても、実際に友達が多いと、仕事のチャンスが増えるのである。
私は、「生命力が強い」という要素の中に、友達が多いか少ないかが入ってくると思う。友達が少ない人、友達が必要ないという人は、生命力が弱い要素を持っている人である。その人が生命力を強くしようと思ったら、卓越した性能のものを作るとか、アイデアを生み出すとか他の要素が必要になってくる。それも生命力だと思う。
だが、世の中にはそういう視点で見たときに生命力が弱い人が沢山いる。
友達の種類に他にもあるだろうが、二種類あるのかもしれない。自分にないものを持っていて、憧れの要素が入ってくる相手、自分と同類で、わかりやすいから付き合う相手である。
私は前者の友達というのは、相手が光り輝いて見える間はいいだろうが、こちら側の人生経験によっての気持ちの変化や、相手の変化によって、色あせていく可能性があると思う。だが、こういう形の友達も、あっていいのだと思う。しかし、友達でなくなた例も私にはある。
後者は、早々変化はないだろう。
だが、友達はやはり「幸せを求める」人生には欠くことのできない存在であると思う。
(2011年1月30日・日)告別式
内田先生の告別式に行ってきた。昨日の通夜は2000人くらいいらっしゃったらしい。広い付き合いというより、広域な付き合いの人だった。私が内田先生の永福町の家に行ったのは、同級生の高知で街づくりに活躍している畠中洋行とだった。
あれからうちを立て直したはずであるが、その前の家は昔ながらの木造のうちで、昭和30年代にトリップしたような感じだった。私はまだキャラクターが発展途上で、いっぱいいっぱいで話をしていた記憶がある。
皆泣いていた。私が行き会った中でも、相当な存在感の人で、何事にも動じない強靭な精神の人だった。
一緒に行った畠中も、私はその強靭な精神の数少ない人物の一人だと思っている。高知で都市計画の仕事をし、かなりの活躍をしているはずである。彼には20年もあっていないが、私がスケジュールに高知旅行としたのは、彼に会いたいためである。ただ、スケジュールに入れながら、結局いけなかったのである。
私が行くと約束していないところがある。作家の宇江佐真理さんに、居住のはこだてに是非行きたいと伝えてあり、もう6年くらい実行していない。そんなことを行っているうちに歳をとる。早く実行しなければ。
(2011年1月28日・金)新年会
昨日の内田先生の訃報で、今日の東洋大学工学部のOB会役員の新年会が取りやめになると思っていたが、やるのだそうだ。したがって、今日は内田先生の通夜だが、明日の告別式に行く事になった。
だが、新年会も多少湿っぽくなることはしょうがないと思う。あまりにも存在が大きい先生だからだ。
日本全国から、それこそ卒業以来の級友も見えるはずである。
今日の新年会は、私は役員でもないので呼ばれるはずのないものであるが、何かとイベントに担ぎ出されるということで、ゲストとして出席である。
昨日は、忘れていた休肝日を実行したのであるが、眠れるか心配だったが、やはり眠りがおぼつかなくなった。酒を飲まないと寝つきが悪いのだ。そして困った事に、寝起きも早いのである。
今は酒を飲むので、寝つきのスタートはいいのだが、学生時代は、一人で酒を飲むなんてことはなく、集まりの時だけであったから、酒なしで、眠ったわけで、眠りが大変だった。ほとんど、毎日寝不足だった。
雑体験録は、なかなか忙しくて実行できず、この項目をはずします。
(2011年1月27日・木)内田雄造先生逝去
私は直接教わったことはないが、いろいろお世話になった、東洋大学工学部建築学科の先生(教授)だ。印象に残るのは、とても響きのある低音の声、何にも動じなそうな眼光、そしてカリスマ。都市計画の先生だった。
内田先生を、慕うOBや友人はとんでもなく多いと思う。残念な先生をなくしたものだ。まだ、若くこれから活躍してもらいたい先生だった。東大の学生時代には、あの安田講堂に立てこもった闘士の一人だった。
奥さんは、ラジオ・テレビの児童相談でおなじみの内田良子先生。絶妙なご夫婦だった。
安らかに!
(2011年1月25日・火)馬鹿の正体(前に書いた)
馬鹿ということの真面目な話である。DNAの影響というのもあるのだろうが、馬鹿というのは、子供の頃に「あいつは馬鹿だ」とあっさり片付けられるような、そんなものではないと思っている。
お産の瞬間に、脳に酸素や栄養がいかなかった事故があったり、おなかの中で、お母さんが吸収したある毒素が赤ん坊に影響したとか、そんなものがあるのだろうと思う。
それ以外に、頭の中の血管の太さが、人によって違うというのがあるのでわないだろうか。
血の巡りがいいという言葉あるように、血の巡りがいい脳の部位のところは、その人が得意の分野になるということだ。多分、絵についての脳の部位の私の血管は太く血流がいいのではないだろうか。
どの脳の部位も血管が太い恵まれた人もいるだろうし、逆の人も居るだろう。それだけの違いで、馬鹿と利巧があるんだろうと思うのである。私の場合は、絵の部位にかたよっているわけで、私にも馬鹿な部分というのが多いと自覚している。
才能というのは、そういう物理的なところで出来上がっているとおもう。
そう考えると、MRIで、脳の血管の太さを調べて、「あなたは画像関係の部位の、血管が太いですから、そちら関係の仕事をおやりになったらいかがですか」とかアドバイスをもらう。そうしたら適材適所に人が従事できるようになるのではないだろうか。
(2011年1月25日・火)私の足取り
東京で、21日は日本文芸家クラブの新年会があった。参加者が少なくなっているという感想が皆さんに多かった。いろいろな理由があるだろうが、高齢化とか不況というのもあるだろう。
昨年、このクラブの事業委員長として、旅行を二度企画したが、二回とも空振りだった。もう旅行の企画は止めようと思っている。今年は展覧会の企画を立てようと思っている。一番の悩みは会場だ。
今回の会でよかったことは、事業委員会のメンバーになって働いてくれる人が見つかったことだ。一人は映像作家と肩書きがある初対面の人、もう一人は、熊田さんという古くからの挿絵画家の仲間だ。
東京で個展をしないのかという質問されることがある。気にしていて、この文芸家クラブの会場のほとんど前に「まるぜん」書店があり、早くついたので、そこのギャラリーに名刺を渡してきた。狭いところだったが、本屋さんの人盛りは、この人たちがギャラリーに入ってくれば魅力的な場所である。ただ、会場には私だけであった。
しかし、会が終わって電車で帰るのもしんどいが、朝早く仕事をするタイプの私にとって、朝早く仕事が出来ないというのはとても、もったいない気がする。
とはいえ、昨日の締め切りを終え、日を見れば、何と明後日も文庫の締め切りである。明日は富士吉田の実家に帰る。
(2011年1月24日・月)吉田のうどんの増殖
最近、富士吉田に行くと、「吉田のうどん」の新規出店が増えている。どこかが無くなっているかと聞くとそうでもないらしい。多分河口湖・山中湖・忍野・都留市を含めると100軒くらいにはふくらんでいるのかもしれない。また、食べ歩くのが楽しみである。昨日は兄と食べに行った「堀端」。第一回のうどんツアーのお店であった。オーソドックスの吉田のうどんのお店だ。店内は満員であった。
夜は、兄が下宿(しもじゅく)というところの町内会長をしていて、そのメンバーと飲んだ。楽しい宴会だった。
3月15日に、河口湖美術館の協力委員さんの集まりがあり、そこでライブ&トークをする事になった。美術館は閉館の日である。
和訳は、多忙のため中断である。少し、英文解釈の方にシフトチェンジすると思う。しばらく休みだ。
(2011年1月23日・日)光栄である
さあ、今日は富士吉田だ。私のグッズを置いてある場所へ、今度グッズの管理をしてもらう人を案内するのが目的である。河口湖美術館にも行ってくる。吉田のうどんも食べてくる。
金曜日の締め切りの文庫もなかなか良い仕事が出来た。中公文庫の上田秀人著のものである。私が手がけている著者は、小説を読まない人にはメジャーではないようだが、その売れ行きは、すごい人たちばかりである。
だいたいが、小説というのは売れないと出版社が次の本を出してはくれない。私が手がけている鈴木英治氏・稲葉稔氏・上田秀人氏・和久田正明氏あたりは、毎月一冊は必ずどこかの出版社から出している超売れっ子である。その一翼を私は担っている訳で、光栄である。
だが富士吉田の滞在ものんびりしていられない。明日が文庫の締め切りである。もう下絵は7割ほど出来上がっている。作品も平面だし、明日には出来上がると思っている。
そういえば、5月に原宿・神宮前のギャラリー(私の大学のクラスメート・勝田無一君のギャラリー)のアート・イン・ギャラリーで個展をする事にした。銀座の伊東屋以来の個展である。小さな会場だが、とてもいいギャラリーである。これで、今年5つ目の個展が決まった。
(2011年1月21日・金)締め切り
今日は中公文庫の締め切りである。もう後2時間くらいで終わりそうである。その後、日本文芸家クラブの新年会がある。年々参加人数が少なくなる会であるが、今年も寂しいかも。夜遅くなりそうだ。しんどい。
(2011年1月20日・木)広告
一昨日の締め切りから、3日後の明日がもう一冊、文庫の締め切りである。下絵は完成したので、後は切って組み立てるのである。
頑張ろう。
そういえば、昨年12月の後半に、講談社文庫の宣伝が、朝日新聞にのっていて、大きく私がカバー画を担当した宇江佐真理さんの文庫の画像が載っていた。二日前だろうか、今度は毎日新聞に、ハルキ文庫の私が担当した和久田さんの文庫が、これまた大きく画像が載っていた。
私の文庫は人物画が多いんで、小さく掲載するには分かり易くていいのだろう。今まで、そういうことかず限りなくあったが、それを切り取って保存したことはない。これから、保存しようか。
(2011年1月19日・水)風景画
A landscape painting
今まで、人物画の仕事が多かった。昨日締め切りの角川文庫は、風景画に人物を入れた作品をお願いしたいという依頼であった。
ntil now, I have a lot of figure painting jobs. It was the request that I was asked the landscape painting in parsons from Kadokawa pocket book editor of yesterday deadline.
切り絵で風景画というと、細かくて時間がかかり、手法的にあまり向いていないと思っていた。
いっぽう、蓬田やすひろさんが描く風景画が評判を呼んで、その物真似の文庫カバーが、いっぱい出ている。私は、ブラシで描く、黒い風景画は出来るが、色つきの風景画はなかなか満足なものが出来ない。それは、切り絵という手法の問題だろうと思っていた。
一応、私はこの風景画の切り絵文庫カバーをもう一度、諦めずに考えてみようと思う。つまり、この風景画の競演に参入するということだ。
(2011年1月17日・月)寂しい風(英訳なし)
昨日は冷蔵庫の中のような寒い日だった。その中を昨日と違いバイクで活動したのは、とんでもなく寒かった。
麺屋信玄(鶴ヶ島・行列の出来るラーメン屋さん)に、先日「信玄と勘助」という手ぬぐいをプレゼントしに行ったが、そこの私の絵が額の中で傾いていたので直しに行った。
店主と話をしたが、ラーメンについて、あれこれ考えていた。お店の月報みたいなのを作ってお客に見てもらっている店だから、その懲りようはすごい。先日行ったときには、私は「こがししょうゆラーメン」を食べた。印象に残るラーメンだった。
前にも書いたが、私は一種の美食家である。まったく美食家でないといってもいい。とにかく、食べるものはほとんどうまく感じるほうなのだ。だから、私がまずいと思ったものは相当まずいと思う。そして、微妙な味の見分けなんてのは、私に判断を仰ぐのはとても無理なような気がする。私の口が大味なのである。
そこからアトリエに戻り、雑務をこなし、埼玉伝統工芸会館へ。寒風が当たり前だが、冷たい。
体を温めるため、早速、埼玉伝統工芸会館直営の食堂「かたくり」に入って、まずは「きのこうどん」を食べる。暖かくておいしい。それから、早速、和服に着替えて、ライブをした。今日は昨日に比べると客がまあまあいた。
女形の役者をやったが、すこぶる出来がいい。久々に競売をしたが、5000円から始めて、それ以上値段がつりあがらず、「ガクッ!」
帰りに、ヤマダ電機に、プリンターのインクの空カートリッジを捨てに行った。すごい人盛りであった。私は、店に入っていって、ノートパソコンと録画機がほしいと思った。今持っている小型のノートパソコンは、CDが小さすぎて入らないのだ。だから、とても面倒。だが、まだいいとした。
さあ、今日は今年初めての、英会話教室だ。この和文英訳の効果はいかに。
(2011年1月16日・日)狸の死骸
The
dead body of a raccoon dog
昨日、小川町の伝統工芸会館に珍しく車でいった。いつもはバイクである。
Yesterday, I went to
Saitamadenntoukougeikaikane in Ogawa town to rarely get into my car. Usually I
ride the motorcycle.
道端に、狸が血も出てないきれいなままで死んでいた。車にぶつかったんだろうが、この道で何回狸の死骸を見たことか。
The raccoon dog died in just state it was
in during the lifetime. As may be it hit against car, how often I watched
raccoon dogs on this road.
可哀想だなあ、そんなに山奥でもないのに、狸が住んでいるんだなあ。狸の肉は食べられるんだろうか?あまり、狸の肉を食べたというのを聞いたことがないから、肉が臭かったりするんだろうか?
今使っている歯ブラシは、埼玉伝統工芸会館であった、ブラシを作る職人さんからもらった、狸の毛の歯ブラシであるから、ここに狸の死骸があると知らせれば取りに来るだろうか?なんて、考えた。
狸の死骸を見るといつも考えることは同じである。
(2011年1月15日・土)ジョギング開始
Jog
beginning
ジョギングを始めた。とにかく、短距離は良いが、長距離になるとからきし駄目だ。長距離を走りきるなんて、想像しただけでしり込みしてしまう。
I began a jog. At any rate, I am a little
good at short distance jog, but I have hopeless about long distance jog at all.
I recoil that I imagine alone to finish running for long distance.
というわけで、だいぶ前に書いたと思うが、電信柱ごとに走り、次の電信柱で歩くという風に走っている。これはとても精神的なストレスがたまらず、かなり長距離でも走れる。
For this reason, as before I wrote, I run until
a telegraph pole, and next, I walk until next telegraph pole, I run in this
way. In this way, I don’t feel stress; I can run for long distance,
前は、片道切符代だけポケットに入れて、電車に乗り3駅とか4駅とかで降りて、こんな風に走ったものだった。
Before, putting only one way ticket into my
pocket, and get on a train, and get off at 3 or 4 after stations then I had
started to run in this way.
一日が忙しいので、コンスタントに距離を走れないのが残念だ。
As I am busy all day, feel regret that I
can keep to run at a constant interval.
(2011年1月14日・金)尻に火
(英訳、英文の手紙書いていて休み)
ちょっと雑務に奔走していたら、今年最初の締め切りの催促が来た。
昨年は、森村誠一さんの本の依頼が一冊もなかった。それで、もう他の人に代わったのかなと思ったが、中央公論社からノベルスという形で2冊入ってきた。まだ、私の担当であるようだ。
(2011年1月13日・木)活動停止
(アメリカの友人に英語で手紙を書いていて、日記に手が廻らない)
私が学生時代に所属していた東洋大学工学部硬式テニス部(正式名称)が、無期限活動停止を食らっている。夏の山中湖合宿で、一年生が急性アルコール中毒で病院に担ぎ込まれたらい。
一気飲みは禁止されているが、多分、未成年者の一年生に酒を飲ませたことが問題なんだろう。私の時代にはよくあったことだが、世間で死亡事故があいついだことで、今は大学で禁止されていた。
昨日は、文系(東洋大学の本校・文京区白山)の軟式テニスのOBから、以前から工学部硬式テニス部のOB会長をしている私に依頼があり、川越の工学部キャンパスのテニスコートをオムニコート(砂入り人工芝生コート)に改修することを、工学部硬式テニス部からも工学部事務局の方に働きかけってくれないかということで、工学部事務局に行ってきたのだった。
大学のキャンパスを歩いていると、テニスコートに部員がいなかった。活動停止になっているのは知っていたが、対外試合が禁止されているだけと思っていたが、もしかしてコートの使用も禁止されているのかと思って、オムニコートの相談のついでに、部長(教職員のテニス部の人で旧知の仲)さんに聞いてみたらやっぱりそうだった。
近頃の学生は、私が想像しているよりはるかににぶいと思う。
私のアトリエの大家も、大東文化大学に寮としてアパートを貸していたらしいが、学生が自主管理をするという約束で貸していたらしいが、その約束が守られず、寮を止めたそうである。怒涛のように学生の気質が変化しているのだろう。
こんな学生も、社会人になると、少しずつしゃきっとすると今でも思っている。自分を試されるというハングリーに陥るからだろう。ある仕事を任されれば、経験のないことすることがほとんどだから、必死でやらなければうまくいかない。とても緊張させられるだろう。崖っぷちである。だが、それを感じる人も、減っているのかもしれないが、それはわからない。
そんな崖っぷちも、本当は高校生時代から経験したほうが私は良いと思う。元々、私は自分が大学に行っていながら、大学進学反対論者である。そのことに関しては前に日記に書いた。
子供のしつけは、他人がするものだと前に日記に書いた。つまり、礼儀とかというのは生きるための手段から生まれたものなので、学生なんか礼儀をわきまえないでも生きていけるから、しっていても礼儀を使わないということである。その他人のしつけも、出来たら10歳から15歳くらいの間にしたほうが良い。まだ、素直な時期にである。つまり、人間は少なくとも、15歳くらいから働いたほうが良いと思うのである。
そして、大学進学まで考えると、子供にお金がかかり過ぎて、みんな子供を作らない。そして晩婚になる。私の場合であるが、大学生活はつまらなかった。充実してなかった。手ごたえがなかった(それが、自分のふがいなさだと責めてばかりいたのであるが、そうではなく、大学生という自分の立場が社会の中で中途半端な存在だったのである)。とはいっても、学生生活も無駄ばかりではなかったが、社会に出たほうがはるかに有効な時間を過ごせたと思うのである。
大人であるが、大人でなかった。もう十分体を張って金を稼げる年齢だった。大学四年間が、一生働く前の特別な時間なんていうが、歴史上ない、とんでもなく贅沢な時間である。そういう甘い人生を送れるのは本の一握りの人でいい。我々はそれに憧れてまい進していれば良いんだと思う。
それに、親が大変だよ。鶴のお返しの鶴みたいに、自分の羽根を抜き取って機を作っているようなもんだから、老後のたくわえもなくなる。
こんな大学進学も就職のためなのだからしょうがない。それに、親にも疲弊はしているものの、子供を減らしはするものの、大学に進学させるためのお金がまだあるからそういうことになる。
もう一つ弊害がある。実家の近くには、大学卒に見合った就職口がないと都会に子供は出て、親は最後はぽつんと一人暮らし。
(2011年1月11日・火)浅草
Asakusa
今日は、浅香光代さんの正月芝居の観劇である。正月であるから、いつもにぎやかな浅草もさらに賑やかだった。
Today is theatergoing of new year play of
actress ,Mituyo Asaka.
浅草六区の昔の賑わいは、写真やテレビで放映されるから知っているが、六区は逆に人盛りがない。
Asakusa sixth section is not crowded the other
way, but I know as the crowd of Askusa sixth section is televised.
1時半から演劇は始まるらしいが、遅刻しそうだが、その前に名物の牛すじと日本酒を引っ掛けて、会場のゴロゴロ会館に向かった。やはり、もうすぐ開演の様子。
The play start from pm 1:30, I might be late. But that former I drunk Nihonsyu
and eat Gyuusuji of famous Asakusa product,
and I started to go to Gorogorokaikann of playing place.
今年の出し物は「一本刀土俵入り」。彼女の主義はおチャラケを言わないこと。あくまでも本格芝居をすることを心がけているということだ。とちったら、それをお笑いにするようなことは絶対ない。
4年前初めて観劇させていただいたときは、左足のつけ根を50針ほど縫ったほどの怪我をされて、足が不自由そうだっが、今年はかくしゃくとした感じだった。
休憩時間に楽屋に寄らせてもらった。もろ肌脱いで、化粧の最中だった。隈取をして次の芝居の準備をしていた。こういう芝居の途中で楽屋に入る会話では、浅香さんは真剣になって「芝居はどうだったか?」と聞く。やはり、自分の出来が心配なのだという。本当に一途な人なのである。
いつものように、舞台に上ってスピーチをした。何とかうまく出来た。一番はアニマル浜口、「気合だ、気合だ」の連呼でうけて、次が私、その次は作家の方、稲葉さんといっていた。その次がNHKのアナウンサーの葛西さん(こんな字だったかな。ラジオの深夜便でお耳にかかっている)。ということで皆さんお話が上手で、舞台を盛り上げていた。
私の毎年の正月の行事になった。
また、絵を教えに行こうと思う。
(2011年1月10日・月祝)ホテルでは
In hotel, my life
昨日は、宇都宮のホテルに泊まった。車で行って、仕事道具を持っていった。仕事道具はどこに行っても仕事が出来るように、一式を手製の段ボール箱に入れて運ぶことが多い。それを風呂敷で包んでもって歩いているのである。
Yesterday, I stayed the hotel of Utunomiya City. I went to use my car,
and took work tools. It is frequent to carry to put a complete work set
in self making corrugated carton. I go to somewhere to take to pack it
by Hurosiki bag.
箱の中には、歯ブラシも髭剃りもある。薬も入っている。頭痛になるときに喉も一緒に痛くなり、喉を焼くと頭痛も治るので、そのためのルゴールと綿棒、そして、一応頭痛薬。通年アレルギーなので、その薬・目薬等である。レストランで財布を忘れたことがあり、予備のお金も入れてある。
A toothbrush and shaver is in the carton, too. The medicine is in,
too. As my headache cure when cauterizing my throat, as when I have a headache,
have a sore throat, too. For the treatment, I take a rugoal medicine and swab,
and just in case headache medicine, as I have an allergy throughout the year,
take the medicine and eyes medicine etc. and in some spare moneys that I forgot
money in the restaurant.
それはともかく、ホテルの備品はほとんど使わない。石鹸くらいだろうか。風呂に入れば、シャンプー・ボディソープは使う。ホテルにとっていい客なのではないだろうか。
By the way, I hardly
use equipments, use only about soap. And when I take a bath, I use shampoo and body
soap
そういえば、チャリティライブをしたいなあと思う。思いついたばかりで、今のところ何にチャリティしたいかということは浮かばないが、さしあたり、郷里の富士吉田の市役所の建設資金にチャリティというのはどうかと考える。
富士吉田は、かつての反映はなく、いつ夕張になっても不思議はない。一度、自己破産させるというのは、市民が目が覚めていいのかもしれないが、荒療治である。
今から 浅香光代さんの正月公演に行ってくる。舞台挨拶をする事になるのかもしれない。
(2011年1月9日・日)今から小川町
今年初の埼玉伝統工芸会館でのライブである。
今日はいい天気だ。今朝、宇都宮から車で帰ってきた。三時半には終わって帰って来たい。
今日は、英訳は休み。明日からという事になる。日記を書いて、英訳すると1時間半くらいかかる。でも、「英語を一ヶ月で習得」とかいう学習書よりも、ガツンと手ごたえがある和文英訳の勉強だと思う。私にはあっている。
そういえば、文庫の依頼が今月4冊になった。これ以上増えるともう、ほかのことが出来なくなる。
(2011年1月8日・土)脱毛経過報告
The development report of loss of my hair
この二年間、脱毛がひどかった。遠まわしな言い方だったが、ようははげてきたと言うことだ。それは、頭を染めて、かぶれてしまったときから始まっているようだが、もう、その時期だったのかもしれない。
For
two years, I have loss of hair dreadfully. I dropped a hint, in short, because
lose to my hair began.
Its happening started when I get poison
head rash of hair dye, but maybe it is the reason of my being old.
かようになって、大慌てで、薬局に飛んで迷ったが、ツムラのモウガという養毛剤を買った。これが効いて一時は、復活するかと思われた。しかし、使って一年が経ち、日光の下で、帽子もかぶらずいたら、その日から一気に脱毛がひどくなった。
Coming
to my happening, I was in panic, and ran to the drugstore, and bought the hair
tonic of Mouga making by Tumura pharmacy. It is good, at one time I felt to
come back to my hair again. But past one year to use, it was sunshine day,
without the cap, from the day, at one stretch, loss my hair is heavy.(時間切れ)
そして、リアップにも切り替えたが駄目だった。これで、もはやと覚悟した時、病院で調剤してくれる「プロペシア」という飲み薬があるよと知らされた。早速行ってみた。この薬をのんで、一ヶ月が経とうとしているが、確かに効き目があるようだ。モウガを使っていたとき以上の効き目のような気がする。
ご同慶の諸君、是非ともお勧めする。皮膚科の病院である。
ただし、ホルモン系の薬らしく、女性には禁物だ。今から宇都宮に行ってくる。
(2011年1月7日・金)「お夏」が人気
Onatu
is more popular

私の自主制作のシリーズに「おいらんシリーズ」がある。
I
have self making series of ‘Oirann series’
このシリーズは、全部で今のところ11人のおいらんを作っている。みんなそれぞれが楽しいキャラクターで面白いといわれるのだが、一番人気があるのがその中でも「お夏」なのである。
Now,
this series are complete in eleven Oiranns. They said that each Oirann
characters are a lot of fun, but in Oiranns, most popular Oirann is ‘onatu' .
この作品をバルセロナに4月に持っていったが、日本と同じように「お夏」が一番の人気であった。やはり、好みというのは万国共通なんだろうと思った。
I took these works to Baruserona at April, Onatu is very popular
like Japan in Baruserona. I feel that the taste of art is common all over the
world.
私の自主制作の作品は、なかなか作る時間がない。おいらんシリーズの一作が買われてなくなると、それを補充するのが一苦労なのである。
I have no time for myself making series. If one of Oiran series will
run out to be bought, I have a hard time filling up it.
先日「お夏」が買われていった。このお夏をまた作らなければならないが、いつになったら作れるのだろうか。おいらんシリーズには欠かせない「お夏」であるから、是非作りたいのであるが。
Some day ago, Onatu is sold. I have to make it over
again, but when I will be able to do it? Oiran series cannot do without Onatu,
because I must make it.
(2011年1月6日・木)英文法
English
grammar
英文法の本を時々見ている。英会話を勉強する中で文法は必要ないという人もいる。でも、文章のなぞが解けていくようで面白く感じる。それに、英会話の役に立たないとは思えないのである。
I study
sometimes English grammar book. There are persons to say ‘grammar is
unnecessary’ in studying English grammar. But I feel fun like solving the
riddle of a sentence.
全体を通して、英文法はぼやっと知っていた。しかし、再び学んでみると知らないことがこんなにあったのかと思う。Can・May・Will・shallの助動詞の使い方、仮定法、冠詞の使い方、助詞の使い方、たくさん知らないことがある。
相手の言っていることがわかることが、英会話の初歩らしいが、FENラジオなんか聞いていてもさっぱりわからない。いつになったら、英会話ができたというようになるんだろうか。
英会話の次は、スペイン語が待っている。外国語マスターは私のライフワークである。
(2011年1月5日・水)作家はもてるが
Nevertheless
the novelist is popular with
作家ほど、ちやほやされる存在(ほんの一部だろうが)は少ないと思う。できるならなってみたい職業なのかもしれないが、昔の私ならどうかわからないが、今の私はそんな気はない。もっとも、私にそんな能力はない。
I
think that it is a few existences to be made a fuss. If possible, we want to
choose as our occupation, I have not such an intention, but if past me unknown.
Of cause I have not such ability.
ただ、思うことは、いくら知識を詰め込む力があったとしても、その人格とは別である。
However
I think that if we have power to take a lot of knowledge, it is anther thing as
our character.
よく「あの人は頭が良い」ということで、全人格的に肯定されるようなケースがあるが、これは大きな間違いである。頭がよくても性格が悪い人がいるし、人生をそのせいで踏み外す人もいる。作家もそうである。
Often
we hear ‘he has brains’, it is not much right that we have a lot of case that
he is best about his all character. Even if a parson has brains, he is bad character, and there is a
parson that strays from the right path. A novelist is like that case.
私は今ノンフィクションを読む機会が多いが、社会的影響力を考えたら、小説よりもノンフィクションのほうがはるかにあると思うのだが、どうなのだろうか。
Now,
I have a lot of opportunity to read nonfiction books, but if we will think a
social influence, I think that the nonfiction books is more farther than the novels,
can it really be so?
今までなおざりにしてきたが、本で知らないことを知る楽しさを得ている。そのきっかけを作ったのは切り絵のライブである。話をしなければならなくなり、本を読み始めたからである。
Until now, I
neglected the book, but I get pleasure to know unknown things with books. It is
kirie live to make its opportunity. I have to talk, and I started to read
books.
(2011年1月4日・火)山梨から帰る
山梨には、3日の夕方帰ったものだから、待っていた兄といきなり酒宴であった。あれこれとどちらも話好きだから、会話は耐えないが、どちらかというと兄のほうが口数が多い。というのは、兄は人の話を聞かない、聞き流す癖があり、最近は良くなったほうである。
それというのも、2年前に、富士吉田の文化賞をいただいてその講演の折、兄は最近歳をとって、人の話は聞かないくせに自分の話ばかりしているといったことがある。壇上から兄を見たら、苦笑いをしていたから、その言葉はちゃんと聞いていた事になるが、どうなのだろう。
ということで、早々に酒に弱い兄弟がダウンして寝入って、起きたのが9時半。ビートたけしの歴史物をやっていて、二人で歴史の話も交えて11時半まで、見たり話をしていた。だから、早起きの仕事は4時に起きてガストでやる事になった。
この日記も、そこでノートパソコンで作るつもりが、電池切れだった。どうも、スイッチを入れぱなしだったようだ。
英訳もしたかったが、税務申告の方を優先した。6時に兄貴がガストに現われ、二人でしゃべくりながら、私は作業をしていた。7時半には高速に乗り、帰宅した。
だが、そろそろ、仕事の方の締め切りも気になるところだ。始めないとまずいのだろうか? 明日も忙しい。でも、どんどん雑務をやっつけている。
(2011年1月3日・月)総合逃す
東洋大学が、箱根の総合優勝を逃した。残念だ。また来年だ。
さて、少しだがテニスをした。調子はいい。またテニスをするのが楽しみだ。
雑務を3つほどこなして、今から山梨だ。明日の朝帰ってくる。
明日は、早く帰って、宇都宮の一日だけの展覧会の作品を宅急便で送る予定だ。8日には毎年のように、宇都宮でザブン賞の表彰式があって行ってくる。帰りの、屋台での痛飲が楽しみ。
(2011年1月2日・日)明日は山梨
Tomorrow
in Yamanasi
今日二日は、箱根駅伝の往路である。東洋大の卒業の私は、当然テレビに釘付けになって応援である。ただし、例年通り仕事をしながらということになるだろう。
Today, the twice, there is Hakone ekiden of
outward. I graduate from Toyo University, because I naturally have to cheer front
of television to glue. But as usual I will watch as my works.
明日三日は山梨の実家に行こうと思っているが、あちらで復路の観戦をテレビでする。しかし、実家の兄は早稲田大出身である。今度の箱根駅伝は、東洋大学と早稲田大学の戦いといわれている。
Tomorrow
the third, I am going to go to my parent home of Yamanasi, since I watch
homeward of ekiden by the television of the home. But my elder brother graduate
from Waseda University. Next Hakone ekiden they say that it is a combat between
Toyo and Waseda University.
果たして、私と兄の応援合戦はどんなバトルになるのだろうか。
Just
as my thought, how battle of cheering between me and him will it.
そういえば、昨年九月に亡くなった母は、箱根駅伝で、東洋大が優勝し始めて、早稲田とどちらを応援していいかわからなくなったといっていたそうだ。
さて、この日記は、二日を装いながら元旦に書いている。今、夜の七時であるが、NHKで七時半から放送される館ひろし主演の土曜時代劇が、角川文庫から発売されるが、そのカバー画は私が担当することになっている。ただ、編集者が希望をくれたのは、風景が希望とのこと。珍しい。
(2011年1月1日・土)正月である
It's New Year’s day
2011年の正月を迎えた。母が9月に亡くなって、おめでとうと言えないが、いつものことであるが、希望の年である。
今年も、どこか外国へ行きたいと思う。それが展覧会でなくても良いと思っている。
展覧会は今のところ3箇所を予定しているが、頼まれればやろうと思う。それに、川越の岡田畳店での個展も2回くらいはやろうと思っている。
昨年、私が個展をやった中で、一番豪華な会場だった、河口湖美術館のようなところでやってみたいが、公の美術館では出来ない。理由は、私なんかがやると、「あいつがやってなんで俺が出来ないんだ」と苦情を言ってくる人がいる、議員を使ってとかえらい先生を使ってとかで、美術家をねじ込んでくる人もいるということがあって、収拾がつかなくなり避けているというのが、日本の公の美術館の現状である。
一昨年、埼玉県知事の上田知事から、埼玉県立近代美術館で個展が出来るように計らいましょうといわれたが、早速にお目にかかった副館長さんから、個人の展覧会は出来ないということをおっしゃった。わたしのことを本屋さんでよく見て知っていたという副館長さんは、とても残念そうだった。「本当は百鬼丸さんのような方が出来る美術館にしたいんですが」と語っていた。
このように、せっかくのすばらしい施設がありながら、やりたいことも出来ないというのが現状なのであり、それに伴って観客の動員が少ないのである。
それはともかく、ことしもよろしく。
.We enter New Year’s day of 2011 year. I don’t tell others‘Congratulation’, because My mother died at
September, in my usual way, it’s hope year.
In this year, I want to go abroad
somewhere. I think it is good to not be able to hold an exhibition.
I intend to hold 3 place exhibition at the
moment, I think to try when I take begs of the exhibition.
And, In Okada tatami shop I am going to try
about twice exhibition.(途中で、時間切れ)
(2010年12月30日・木)ドイツ語の辞書
ヨーロッパの言語にチャレンジしようと、辞書を買い集めている。今まで手に入ったのは、フランス語の和仏・仏和だけだ。
あとイタリア語・スペイン語・ドイツ語和独辞書はまだない。
まだ、英語の勉強だけで手一杯で、他の言葉の勉強なんかできるはずもないが、それが、私の意欲の現われと思えば、読者の方々も、静観してみるかという気持ちにもなるだろう。
今日は、富士吉田から、朝帰りだった。このところ習慣になっている、兄と夜呑むことがあって、そのまま早くに眠って、朝2時に、ガストで、英語の勉強から初めて、切り絵の実務をしていた。
埼玉に着いたのは7時頃だった。9時には久々のテニスに行った。
富士吉田に行ったのは、河口湖美術館にある、私の巨大な切り絵「つわもの達シリーズ」のパネルの解体と、つわもの達の切り絵を、直径20センチの筒に巻きつけることだった。
切り絵を人に扱わせて、千切れるとか、折れるとかあったら、かわいそうだと思うからだ。扱えるのは私だけなのである。
今日はこの日記は英訳はしていない。そういえば風呂に入っていて、一人英語でしゃべったりしたことが最近あった。また、今日は英語が達者らしい馴染の最年配おじいさん(多分80歳近いだろう)テニスプレーヤーとゲーム中英語でしゃべった。確かにボキャブラリーがある。私まだ敵わない。
(2010年12月29日・水)はさみは使わないが
No using sissors
私はナイフを使う切り絵作家であるから、ほとんどはさみを使わない。だから、はさみを使うときは新鮮だ。
私はいつも、切り絵をどこでしてもいいように、切り絵道具を入れたバッグを持っている。ちなみに、そのバッグはダンボールで作ったもので、勿論私が作ったある。
しかし、最近私はそのバッグに、はさみを入れた。仕事によってはとても使い安いときがあるからだ。
Bicause of kirie artist, I hardly use sissors. When I use it, I feel fresh.
I usually have the bag in my all kirie making tools to work kirie.
By the way, this bag made with dambouru paper, of cause I made.
But recently, I put the sissors in the bag.
because there is when a sissors is easy to handle by works.
(2010年12月28日・火)手帳を持ったら
When I take the pocket notebook.
私が手帳を持つのが二回目というと、持つのが当たり前と思っている人は笑うだろうと思う。それほど、手帳を持つことは便利である。
といっても、私が手帳みたいなものを持たなかったわけではない。携帯電話のメモ帳とかにメモしていた。しかし、一般的な手帳の方が、はるかに使い安い。
この手帳を持つ事になった遠因となったのはセカンドバッグを持ったことであるが、私はこういう事におくてである。財布を持ったのは、確か20歳くらいだったと思う。
確かに高校生時代は財布をもつ必要もなく、お金を使ったことがなかったから、財布も要らなかった。高校と家とのただ往復だったからだ。今の高校生だとそんなことはないのかもしれない。
といっても、たまにはお金を持つときがあるが、その時はポケットにジャラジャラお金を入れていたのである。
とにかく、これから、仕事がやりやすくなることは確かだ
When I have second time to take the pocket notebook, I think to laugh who tske it for granted takeing it. It's handiness to take it.
talking of it, there is no reason for that I don't have taken it.
I maked a note at a memo pad of my portable telephone. But ordinary pocket notebook is more easier than other to use.(英訳途中終わり)
(2010年12月27日・月)日記もつけているんだが
英訳つきの日記も書いているんだが、このページに清書が出来ない。何故かというと忙しいからだ。
突然、いとこの訃報が入った。三歳上のH・Mさんだ。かたくなな真面目さを感じた、ちょっとびきっちょな感じの人だった。
小学生の頃、私は相撲が強くて、彼と庭で相撲をとった覚えがある。どちらが勝った忘れたが、いい勝負をしていたと思う。
彼は東京で育っているから、あまり往き合うことなかった。しかし、息子が劇団四季にいて、最近退団したらしい。主役なんかもしていて活躍していたらしい。調べてもいないから、知らないが。
学生運動をしていたらしく、社会人になって、爆弾を作っていた容疑で新聞に顔写真入りで載っていたのを覚えている。映画監督の崔 洋一(さい よういち)さんとは、学生時代のクラスメートか何かか、仲間だったらしい。
出版社のパーティで崔さんにお会いした時、H・Mの名を言ったら、すぐ分かったから、身近な人間んだったろう。勿論「私はいとこです」しか言わなかった。
おばさんおじさんがもうほとんどいなくなり、私たちいとこの番が来たなあという感じだ。もう、いとこが亡くなったのも8人目だ。
今調べてみたら、やっぱり、四季でかなり上り詰めたみたいだ。望月龍平という名だ。
いまから、お通夜に行っている。H・M兄ちゃん、やすらかに。
(2010年12月25日・土)日記を書いたが
金曜日も日記を書いたが、アップしていない。今日も日記を書いたが、ちょっとここに入れる時間がない。遅れて入れるつもりだ。
ちょっとさぼったり出遅れていた、富士吉田の図書館の仕事が、今日終わった。これで、今年の締め切りの仕事は全て終わった。
友人から過去の日記が読みたいということで、アップしてみた。このホームページを立ち上げてからだから、2007年の10月からに日記になるのだろう。
このホームページを立ち上げてからも、めまぐるしく動いていたから、その臨場感が伝わってくるだろうか。
(2010年12月23日・木)最終日
The final day
今日は 河口湖美術館での展覧会最後の日である。
先週の日曜日、私の知人が沢山来た。
ところで、一生分のカレンダーを見て、人生の計画を立てる人がいると聞いた。
私もそれを真似して、そんなカレンダーを作ってみたい。
今日は誰が来るんだろうか、とても楽しみである。
Today is the final day of my exhibition at Kawaguchiko musium.
Last sunday, my acquaintance come there a lot.
Now, I have heard that a person makea life program looking at the calender untill hiself death.
To copy, I want to make such a calender.
Who will come today, I take a lot of pleasure.
(2010年12月22日・水)大人の恋をしましょう
Let's being love for adult
このタイトルは NHKラジオの「深夜便」の大橋純子が歌う、毎月変る「今月の歌」なのである。
なかなか良い歌がある。
しかし、私はこの歌が好きではない。もしかすると大橋純子が好きでないからかもしれない。
一見気が強そうな気もするが、本当はそうでもないのかもしれない。
This title is the title when I listen to the 'midnaight mail' program of the NHK radio, song of this month, and Junko Ouhashi singing a song natyrally, 'midnight mail' song chinges every month.
It's programs give us to play a good record. but I don't like this song.
Maybe I don't like Junko Ouhashi.
Realy, maybe she isn't bad character, I look like strong heart woman of my no likeness.
Perhaps, the imaginetion of main makes a mistake.
(2010年12月21日・火)30歳と40歳の間に
Between thirties and fourties
(もしかしたら過去に書いたかもしれない)今年も一年が早かった。振り返れば、いろいろなことをやったなと思うのだが、感覚としては早い。
ところで、29歳の時は、私は20代で、まだまだ若いと思っていた。しかし、40代になると、心は若いと思っていても、頭は白くなり始め、目も老眼になり始めたものだ。
考えてみれば、29歳から40歳まで、たったの11年しかない。「若い」と思っていた29歳から、「あれ?」と思う40歳まで、たったの11年である。詐欺に引っかかった感じである。
せめて、30歳から40歳の間に10年の執行猶予があったらと思うのである。
This year expired quickly too. Looking back, I think to do everything in this year, but I feel quick.
Now,I thought I'm young at twentynine years old. I become fourty years old, but I feel still young in my mind, started to chinge white hare and farsighted eyes.
If you'd thought about it, we have only eleven years, to fourty from twentynine years old.
It's only eleven years to twentynine feeling young from fourty thinking-Oh no!.
I feel to be swinded.
At least, I think that we take a stay execution of ten years between thirty and fourty years old.
(2010年12月20日・月)今日は英訳なし
昨日は、最後に近づいてさすがに、私の来客が多かった。だいぶ疲れていたが、兄の友達と寄る呑んだ時は意外に元気だった。
展覧会には23日に行くのが最後になる。
それと今日、だいたい締め切りの富士吉田市新図書館の絵が終わり、22日の月刊ジョイノベルスの締め切りが終われば、締め切り仕事は終わりである。
ここ3ヶ月は絶え間なく締め切りが続いていたが、よく仕事をこなしたと思う。22日が終わったら、個人的に頼まれている仕事をこなしていこう、それだけでも一月分くらいはあるだろう。
ただ、のんびりしていると現在入っている来年締め切りの2冊の文庫の締め切りもあり、気を引き締めなければならない。
他に、8月9月に個展予定のの埼玉伝統工芸会館用の絵の計画も考えなければならない。
年間の展覧会活動の起点はこの会館での個展が中心になっている。
来年になったら、埼玉伝統工芸会館でのライブも再開する。
年末年始、例によって休むことなく仕事をするつもりである。ここでのんびりすると、そのまま何日も、気合が入らなかった苦い経験があるからである。
(業務連絡)中島さん!絵は考えてありますが、できるかどうかわかりません。
(2010年12月17日・金)いよいよ図書館のイラスト
Start to work of Fujiyosida’s library
やっと、アイデアが頭で完成して、下絵を描き始めた。なかなかいい感じである。
20日までにあげたいが、立体にするか、平面にするか迷っている。多分平面になるのかもしれない。
今から、河口湖へ行く。
At last, my idea was completed in my head,I started to work the rough sketch. I feel that it's nice.
I want to finish it until twentyth,but I lose my way to do 3d or flat. Maybe I will make with flat.
From now, I go to Kawagutiko.
(2010年12月16日・木)いよいよ英作文デビュー
(The debut of my english composition
集中しなくて、おとといの締め切りが終わっていない。
昨夜、催促があった。あわてて、私は仕事を始めた。
ここのところ、えらいスピードで、締め切りもほとんど護ってやってきて、とうとうプッツンしてしまったようだ。締め切りを2日過ぎて今日出来上がる。プッツンしたのは、多分これが最後の今年締め切りの仕事だったというのもある。
といって、月刊ジョイノベルスの作品1点も22日の締め切りである。厳密に言えば、締め切りはもう一つ。
しかし、個人的に頼まれている仕事が山積みである。これを何とか処理したい。
来年は60歳になるが、私の意識も転換されるとしになるのかもしれない。展覧会が私のメインの仕事であると。
収入的には、まだまだ出版の仕事の方が、多いが、いずれ逆転したいと思っている。
As my poor powers of concentration, my deadline work of day affter tomrrow is not finishied.
Yesterday night, I was reminded. I was confused, and I start to work. 今日はここまでにしておこう
(2010年12月15日・水)消したい過去の時間
The past time to want to clean.
もう10年ほど前になるだろうか。私は、電動マッサージ機を平らにして、昼寝をしていた。ところが、そのせいで、ぎっくり腰を年に2回位していた。もしかしたら、このマッサージ気のせいかもしれないと思って、それで眠るのを止めたら、以後、ぎっくり腰にはなった事がない。
ただ、何回もぎっくり腰を繰り返したため、両膝が少し痛い。
このマッサージ機で眠った期間を消去したい。
それから、25年前、富士吉田の市営のアスファルトテニスコートでテニスをした。馬鹿っ晴れに快晴の日だったが、雨の残りの水溜りがベースラインのど真ん中にほんのちょっとあり、それに滑って転びそうになり、右手を突いて頭か肩を強打するのを防いだのであるが、お陰で右手首のじん帯を伸ばしてしまった。
暫く方杖もつけなかったが、今も手のひらを開いて起き上がることが出来ない。
ただし、テニスは出来る。
この後遺症で、今年手首を痛くしたわけだ。この痛みは、時々襲ってくるものらしい。
あのテニスコートで滑ったときを消去したい。
これから日記を、英文にしたものも載せるつもりだ。和文英訳という作業が、私の英語の勉強で一番充実している時間に感じる。
だから、英語の勉強は和文英訳中心にやっていきたい。趣味が和文英訳ということでもいい。
今回の分も、和訳をしたがそのメモ紙がどこかに行ってしまった。
では、明日を楽しみに。
また、表現が間違っていましたら、よろしくご指導お願いします。
(2010年12月14日・火)締め切りの日
今日は角川春樹事務所のハルキ文庫締め切りの日である。何とか下絵は終わった。明日には終わりたいと思う。
今度のNHKの土曜時代劇に原作本の文庫のカバーの連作4冊を私が担当する事になった。
全国的に見る人は多いという事になるだろう。
その打ち合わせに編集者が、アトリエに来る。出版社は角川書店である。角川春樹さんが元社長をしていた会社である。
話は変るが、今日ラジオを聴いていたら、幻冬舎の社長の見城氏が、海老蔵をとんでもない奴だといっていた。これがしおらしく会見をしていた海老蔵の素顔なのだろう。
あの神妙な会見からして、相当な食わせ物なのだろう。私は元々胡散臭い面構えだと思っていたが、これから、どれだけのことをしでかしてくれるか、まさしく小説並みな悪の立ち回りが楽しみである。
(2010年12月10日・金)
結局、河口湖に行ってなかった。迷惑のかかった人がいないか心配だ。
(2010年12月8日・水)今日は河口湖
人生の中で、消しゴムで消したいと思う瞬間が誰にでもあると思う、といって私にもいろいろ合ったはずが、思い出せない。メモでもしてないと駄目だ。
しかし、週刊誌か何かで、この特集をしたら、面白いのかもしれない。
今日は、午後から山梨だ。勿論河口湖美術館へ行くのだが。雑事を沢山片付けていくから、午後になってしまうのである。明日は、締め切りである。下絵は終えた。
さて、明日は夜はある大使館での友人の個展があり、行って来たいのだが、さてどうしたものか。車で一たん埼玉に帰り、電車で行くか、河口湖から電車で東京に行くか。どうしよう。
(2010年12月7日・火)寒い
今日は寒い。昨日小説現代の仕事が終わり、ほっとしている。今度は10日の「ゆずりは」の締め切りだ。
次から次へと波のように、絶えず襲ってくる仕事。そう思うと、あぁーあと思うが、それはしょうがない。男は黙ってサッポロビールだ。
芸術家というたいそうな呼び名はともかく、我々の職業に求められているものは、とても深いと思う。
具体的には言わないが、その認識を持っている芸術家は少ない。
芸術家がそれを認識するば、その生息域は広がるはず。
町おこしといえば、すぐどこの町でも、芸術に頼ったりすることがある。それに、芸術家は完璧に答えられていない。それに頼む方も過大評価しすぎる。結果として、やっぱり芸術は分からない、だからますます見なくなるの悪循環。
芸術家のほうに罪がある、そう100パーセント思ったほうがいい。絵で食べていけません何て、当たり前の話である。面白くないものを作って、他に何か面白い一面があれば良いけどそうでもないとしたら、誰がそんなものを買うか。
芸術だって、需要と供給の経済の原則から外れるものではない。
どこにでもあるような流行の芸術を追っかけて、それで食べていけるはずがない。
芸術の根性は、棘の道を斧や鋤で開拓する根性と同じだ。この言葉は、「芸術は爆発だ」のセリフの訳のようなものだ。
芸術は人間のためにある。