日記8


体調悪い(2010年3月14日・日)

 ぶらり途中下車の旅の影響は予想ほどではなかった。多分番組内で、現在個展中というのがなかったからだろう。今日はどうなるか分からない。

 昨日より少しは多くなるのだろう。

 昨日、いつも作業をしているジョイフルにいった。入り口に、学生の勉強を禁止する旨の立て札があった。

 夜学生で騒然としていたレストランが、なりを潜めたような懐かしいこのレストランの雰囲気。

 わたしもそろそろ、あの騒然とした雰囲気に、おっくうになっていた。

 今日も行ったが、花粉症で、喉が痛く、咳と痰が出て調子が悪い。早々に帰ってきたが、学生がやっぱりいなかった。

 やはり、学生の無遠慮な横行が、一般の人を締め出し、夜はともかく、昼の営業に支障をきたしたんだろう。

放映(2010年3月13日・土)

 今日は、私のテレビが出演した「ぶらり途中下車の旅」が放映される。何か決戦に行くような気持ちだ。

 ライブでいくつ切り絵を作る事になるんだろうか?

 多分くたくたになるだろう。でも、頑張ろう。

帰りは11時(2010年3月12日・金)

 東洋大のスポーツサポートクラブのパーティは、私よりご高齢の方ばかりだった。

 しかし、出席者が学生時代運動部に籍を置いていた方ばかりだから、その年齢だと、パーティの食べ物はそんなになくなることはないはずだが、さすがに食欲旺盛である。ほとんどがすっからかんである。

 それから、私は昨年から、東洋大学のOB会である校友会とかで講演をしている関係で、私のことを知っている方が多く。逆に緊張した。

 それは、むこうが知っていても私のほうが知らないケースがほとんどで、私がお見受けしない態度になってしまうので申し訳ないと思うからだ。

 こういうところにいらっしゃる方は、社会的に顔が広い方が多く、たくましい表情をしている。

 つくづく、私が思っても見なかった頼もしい社会であると思う。

会議のかけもち(2010年3月11日・木)

 今日は日本文芸家クラブの役員会がある。

 昨年から私が事業委員長になってしまいましたので、私の立てた企画としてバスツアーをする。「作家と行く冨士山周遊の旅」というツアーをするつもりだ。

 このクラブは官能小説の作家が多く、あまりポピュラーなメンバーがいない。一般の人が知っているのは志茂田さんくらいだろう。作家がファンを連れて行くと、キックバックがあるんで、3人くらい集めると作家の参加費がただになる。

 いっぱい連れて行くと逆に収入になる。
 
 バスの中では、官能小説家が、自ら小説を読み聞かせして「アハーン」なんてのも聞けるようにするつもりだ。きっと受けると思う。
 
 ガイドは私だ。


 その後が続くのが珍しいが、近頃活躍の母校・東洋大学のスポーツサボート委員会のこれまた役員をしていて、17:00から会議がある。そして18:00からその会が主宰するパーティがある。本当は元巨人の清水が講演の予定だったが、引退して解説者になり、キャンプ視察が忙しくて駄目になったらしい。

 この会は各クラブのOBを5名ほどつれてきて欲しいというから、硬式テニス部のOBも召集したので、パーティが終わった後はどっかで飲む事になりそうだ。また遅くなりそうだが、切り上げて帰りたい。

 明日は展覧会の飾り付けがある。

 今、目の前のことは、作品を仕上げて、撮影をし、デザインをして出版社に送らなければならない。

喉が痛い(2010年3月10日・水)

 花粉症で歩いて5秒の耳鼻咽喉科病院に行ったばかりだが、喉が痛くてまた行ってきた。

 花粉症で喉が痛くなって、1週間前に喉をルゴールで焼いてみた。それがいけなかったようだ。

 普段喉が痛くなると、すぐルゴールで自分で焼く。私はもうそれで20年近く風邪を引いていない。だが、今回は細菌による炎症でなく、花粉による炎症だから、ルゴールはいけなかったのかもしれない。

 咳が出るし、痰も出る。

 病院では知り合いが3人いた。全部で6人くらいの人数で3人いたとはすごい確率だ。道で、知り合いの弁護士に会ったから4人という事になる。一人は、鶴ヶ島市の元助役。ひとりはテニスの仲間。一人は、私のことをブログで紹介してくれている女性だ。

 テニスの仲間以外は話をして来た。

頑張って仕上げたい

 今日一つ作品をあげないといけない。寒い夜だなあ。


久々の水虫?(2010年3月9日・火)

 水泳のクラブに入っていたときには時々出来たが、久しぶりの水虫なのかもしれない。痒くはないが、足の指の間に、水虫状のものを見つけた。

 病院からもらった薬が見つからない。病院に行くのはもったいないなあ。

 花粉症で喉が痛かったので、ルゴールで焼いたら、今度は咳が出るようになった。

 時々寒くなったり、暑くなったり、今年は極端な気がする。

 そういえばこのホームページの「幻の」切り絵作家の「幻」はいつとるんだろうなと思うことがある。

 まだ私がなんとなく目標にしている知名度から遠いと思っている。絵を見ている人は一番多いと思うんだが。

 最近グーグルで「切り絵作家」で検索しても、上部の「他のキーワード」蘭に「切り絵作家 百鬼丸」と出てくる。光栄なことだ。多分これはアクセスが多い人でないと出てこないんだろうなと思う。

 他には、蒼山日菜さん・福井利佐さん・タンタンさんとかがいる。アクセス数だと、私が一番下だ。

 現在の切り絵作家のそれがそのまま人気と知名度のランキングなのかもしれない。

 蒼山さんは私の10倍、福井さんは3倍のアクセス数である。きっとこの人たちを上回れば「幻」をとってもいいのかもしれない。


久々の英会話教室(2010年3月8日・月)

 月曜日飛び回っていて、一月英会話教室にいけなかった。今日は参加する事にする。

 グーグルサイトに翻訳機能があって、ホームページを英語やスペイン語にしてくれる。私のこのホームページもほとんどどこの国の言葉にも翻訳出来る。当然間違ったりしているケースもあるが、勉強になる。

 これを印刷して、語学の勉強も出来るかなと思ってチャレンジ中だ。

 新しく英語の辞書を買った。高校時代は研究社の辞書を使っていたから、やっぱり懐かしくて研究社の辞書である。

 結構その辞書は使ったから、手が掛かる場所は手垢になっていた。

 しかし、英語を勉強するにつけ、高校時代に知らなかったことが多い。新しい発見が多くて、知る喜びを知り始めている。

 歴史の勉強もしているが、こちらはもっぱら、私が彼の小説のカバーを何冊か手がけている井沢元彦氏の「逆説の日本史」が中心である。高校までの授業で習った歴史がいかに上っ面であるかがよくわかる。

 昔、週刊新潮で、2年か挿し絵を担当した安倍龍太郎氏の小説「血の日本史」は、毎回文字通り血で塗られた日本史の歴史を小説にして行ったものであるが、日本史はたしかに血でおおわれていることがあらためてわかった。

 今埼玉伝統工芸会館で「神山蒔風」さんの地蔵曼荼羅の絵の展覧会をしている。

 彼に付属のレストランで会ったが、展覧会で作品が売れ残ったりすると、コレクターのところに売って歩くという。

 これは「私の絵を集めている人」と自他共に認める人がいないと成立しないことだ。いや、こういう作家をはじめて知った。

 私の絵のコレクターは、服部氏くらいのものだ。

 その蒔風さん曰く、「百鬼丸さん有名ですよ、私の仲間は全員あなたのことは知っている」なんだそうである。


久々のライブ(2010年3月7日・日)

 今日は小川町の埼玉伝統工芸会館で久々のライブである。

 12日からは、川越の岡田畳店で、毎日ライブをする事にしている。

 何故、そんなにライブをするかというと、ライブの絵画集を作りたいからだ。その絵画集は、私の切った切り絵を、塗り絵と同じように切り抜きだけしたい切り絵愛好家のために作る。展覧会をすると、そんな方を見受ける。

 私が本気を出したら、なかなか素人は難しい。細かくなってしまうからだ。

 ライブの作品というのは、それなりに荒っぽいから、素人でも大丈夫なんだと思う。


展覧会(2010年3月6日・土)

展覧会が12日から川越の常設ギャラリーの岡田畳店である。

元々3月2日からやるつもりだったものが、「ぶらり途中下車のたび」の出演で、放映が3月13日ということで、展覧会を先に延ばしたのだった。

当日から、数日は混雑するだろう。どのくらいの人が来るのか見当がつかない。

前にNHKの一都六県の夕方版に出たときの次の日と数日はすごかった。展覧会場がスーパーのようで、レジはとんでもなく忙しかった。

それと同じようだったら、そんなに広くないギャラリーだから整理券を配らなければならない。

それに、ライブも映したから、ライブの要望もあるだろう。

想像が付かない。

歌謡曲(2010年3月6日・土)

 絵は自分がプロの腕前になる才能があったとは27歳まで全然知らなかったが、どうも歌もよく知っているようだ。

 初めて知った歌謡曲が小坂一也の「青春サイクリング」だったと思っている。

 その頃映像といったら、映画か、映画館で見る映画ニュースしかなかった。ロカビリーの様子も映像が頭にあるが、それは映画ニュースからなんだろう。社会党の浅沼委員長の刺殺事件は、まさに映画ニュースでの映像が記憶にある。

 ロカビリーの歌手が、歌謡曲になだれ込んできた過程は知らないが、後から聞くとほとんどの男性歌手がロカビリーからの転出組みだった。ロカビリー3人男・「三人ひろし」もそうだ。かまやつひろしも・尾藤いさおそうだ。

 前に書いたが、三人ひろしの守屋ひろしは、私がバイトしていた渋谷松竹に来た。女性と二人、そして乳母車を引いた少女と。乳母車の中には赤ん坊。

 1時間ちょっと、その乳母車を少女は映画館のロビーを行ったり来たりして引いていた。私は、もぎりでそれをずっと見ていた。勿論映画の上映中のロビーに人はいない。

 可愛らしいくりっとした目をした少女だった。私にはこういうことは出来ないと思った。映画館の従業員も可哀想だなあといっていた。

 だから、守屋ひろしにはいい印象はない。

 ただ、彼の歌は懐かしくて好きである。「僕はないちっち」

過激派の影響(2010年3月6日・土)

 今日は雨が降るようである。花粉がすごいらしく、目ははれ上がり、喉も痛い。薬を飲んでいるから、鼻は大丈夫だ。

 今日は吉祥寺教室。

 24歳くらいだったか、吉祥寺に住みたかったのか、吉祥寺の不動産屋を廻り、アパートと契約した。

 ところが会った大家が、過激派じゃないかと後から不動産屋に取り消しを求めてきた。契約してからだら、あちらの違反なんだろうが、私は退いてやめた。そんな時代だった。

 切り絵をはじめて、愛知県から東京に来たが、高くて見つからず、どんどん中央線を西にさかのぼって、東京の外れの高尾駅で部屋を探したが、ここでも過激派と思われて、こちらは契約にはいたらなかったが、断られた。

 こういう被害はロングヘアーで汚らしい恰好をしていると誰であった被害だろう。

 過激派の悪影響は私にもあったのである。


展覧会(2010年3月6日・土)

展覧会が12日から川越の常設ギャラリーの岡田畳店である。

元々3月2日からやるつもりだったものが、「ぶらり途中下車のたび」の出演で、放映が3月13日ということで、展覧会を先に延ばしたのだった。

当日から、数日は混雑するだろう。どのくらいの人が来るのか見当がつかない。

前にNHKの一都六県の夕方版に出たときの次の日と数日はすごかった。展覧会場がスーパーのようで、レジはとんでもなく忙しかった。

それと同じようだったら、そんなに広くないギャラリーだから整理券を配らなければならない。

それに、ライブも映したから、ライブの要望もあるだろう。

想像が付かない。

歌謡曲(2010年3月6日・土)

 絵は自分がプロの腕前になる才能があったとは27歳まで全然知らなかったが、どうも歌もよく知っているようだ。

 初めて知った歌謡曲が小坂一也の「青春サイクリング」だったと思っている。

 その頃映像といったら、映画か、映画館で見る映画ニュースしかなかった。ロカビリーの様子も映像が頭にあるが、それは映画ニュースからなんだろう。社会党の浅沼委員長の刺殺事件は、まさに映画ニュースでの映像が記憶にある。

 ロカビリーの歌手が、歌謡曲になだれ込んできた過程は知らないが、後から聞くとほとんどの男性歌手がロカビリーからの転出組みだった。ロカビリー3人男・「三人ひろし」もそうだ。かまやつひろしも・尾藤いさおそうだ。

 前に書いたが、三人ひろしの守屋ひろしは、私がバイトしていた渋谷松竹に来た。女性と二人、そして乳母車を引いた少女と。乳母車の中には赤ん坊。

 1時間ちょっと、その乳母車を少女は映画館のロビーを行ったり来たりして引いていた。私は、もぎりでそれをずっと見ていた。勿論映画の上映中のロビーに人はいない。

 可愛らしいくりっとした目をした少女だった。私にはこういうことは出来ないと思った。映画館の従業員も可哀想だなあといっていた。

 だから、守屋ひろしにはいい印象はない。

 ただ、彼の歌は懐かしくて好きである。「僕はないちっち」

過激派の影響(2010年3月6日・土)

 今日は雨が降るようである。花粉がすごいらしく、目ははれ上がり、喉も痛い。薬を飲んでいるから、鼻は大丈夫だ。

 今日は吉祥寺教室。

 24歳くらいだったか、吉祥寺に住みたかったのか、吉祥寺の不動産屋を廻り、アパートと契約した。

 ところが会った大家が、過激派じゃないかと後から不動産屋に取り消しを求めてきた。契約してからだら、あちらの違反なんだろうが、私は退いてやめた。そんな時代だった。

 切り絵をはじめて、愛知県から東京に来たが、高くて見つからず、どんどん中央線を西にさかのぼって、東京の外れの高尾駅で部屋を探したが、ここでも過激派と思われて、こちらは契約にはいたらなかったが、断られた。

 こういう被害はロングヘアーで汚らしい恰好をしていると誰であった被害だろう。

 過激派の悪影響は私にもあったのである。


冷たい雨(2010年3月5日・金)

 冷たい雨が降っている。昔、橋幸夫の歌にあった。「江利子」だったかな。「江利子は死んでしまった」って。

 大映で映画化されて、その江利子の役をしたのが三条摩子(字はわからない)とかいったかなあ。大映版・愛と死を見つめてみたいなどラマだったんだろうな。見た記憶がある。

 その純真可憐な役の三条摩子さん。大映の衰退と共に、お色気路線に走っていて、子供心に不思議だった。

 大映の映画は、家に大映の株券があったので、ただで見られたので本当によく見に行った。子供のクセに帰りは一人で9:00頃帰ってきたりした。まだ、子供の一人映画鑑賞をうるさく言わなかった頃なんだろう。

 だから、若尾文子の文芸路線や高校生のいやらしい映画(松坂慶子が主演していり)を沢山見た。だけど、どれも面白くなかった。

 この映画館ではもっと子供の頃、新東宝の嵐勘十郎の鞍馬天狗や宇津井健のスーパージャイアンツなんかを楽しんだ。この新東宝も末期は、池内淳子がお化けのような役をしたりしていた。子供心に三原葉子というお色気女優が言葉には出せなかったがひそかに好きだったのを憶えている。


花粉症(2010年3月4日・木)

 私にも花粉症がやってきた。

 最初に発症したのは、15年くらい前だろうか。5月が一番ひどく、花粉症とは分からなかった分、目がとんでもなく赤く痒くなっていた。

 それから、毎年発症するんだが、5月が一番ひどい。2月は例年まだ、そんなでもない。

 しかし、今年はちょっと勢いがありそうで、あと少しでひどい状態になりそうだ。

 花粉症の嫌なところは、眠っていて、鼻が詰まって、息が出来ずに死ぬんじゃないかと思うパニック症状である。

 あの症状になるのが嫌だ。

 病院、どうしよう。


書くことが浮かばない(2010年3月3日・水)

 書くことが浮かばないんで、しばらくしてから日記を書こうと思う。


焼き物絵付け(2010年3月2日・火)

 山梨県・身延の美術館「切り絵の森」を見てきた。私の会場は広かった。かなりの数の作品が並ぶ事になりそうだ。

 もうあと20日にせまった。頑張って準備をしないといけないと思うようになった。

 
 その隣町の六郷町の焼き物作家の鈴木さんのところで、焼き物を作ってきた。まだはじめたばかりで、焼き物を作るおいしいところしかやってこない。窯の温度を管理したり、干したり、素焼きしたりという作業は鈴木さんにお任せだ。

 私はもっぱら、粘土を器の形にしたり、絵付けをするだけの作業である。

 ものを作る最初というのは試行錯誤が激しいから、いろいろ発見する。今回は素焼きの焼き物に、鉛筆デッサンしても、その後が焼きあがりに出てこないということで、下絵を素焼きの焼き物に描いて、絵付けをして行った。

 だが、人物画を描こうとすると、すごい集中するんで、一つの焼き物を作るのにくたびれる。

 焼き物の新しいシリーズを立ち上げた。花魁の絵である。他に浪人とか子供とかも描いていこうと思う。

 勿論、展覧会で売っていくつもり。


スケート(2010年2月27日・土)

 キム・ヨナは色気がある。19歳なのにと思うが、考えて見れば、そのくらいの年齢で当たり前のように色気のある子はいたから、おかしくはない。何か子供に思えてしまうんだけど、それはこちらが歳をとったからなんだろう。

 浅田は、きっと歳をとっても、キム・ヨナのような色気は出てこないだろう。私は浅田のようなタイプを、男性として好きなとか嫌いとかのタイプではないが、思い切って大きく笑うという表情の作り方のほうが、対抗するにはいいんだろうと思う。

 安藤は、ファンなのであるが、気持ちがこじんまりしているんだと思う。もっといろいろな表情が出来たらチャーミングなんだと思うけど、表情のメリハリがない。

 鈴木を見ると今いくよくるよの太った方の人と似ていて、それがいいんだか悪いんだか。とにかく顔を見るたびに思い出す。

 人の顔を覚える私であるからか、面構えというのが気になる。

 でも、韓国人と日本人の対決ってのが寂しい気がする。

 山梨に、2泊3日である。3月末から開催される美術館「切り絵の森」の下見。11月に作っておいた焼き物の色付け、切り絵教室と3つほどの仕事を片付けてくる。


真田三代(2010年2月26日・金)

 今日のうちに、一つ作品を仕上げたい。初陣の真田昌幸の絵を切り絵にしようと思う。

 今回の絵は昌幸の活躍を描きたいのだが、敵と対するシーンを描こうとすると、困った事に初々しい昌幸の顔とかが、うまく描けない。
 だから、ちょっと考えてしまうが、単純に昌幸の甲冑を佩びた立ち姿を描こうと思う。戦いのシーンは、別の時考えたい。

 挿し絵というのは、中のシーンをただ描けばいいというものではない。その連載の過去の作品にさかのぼって、同じような絵にならないように配慮する。

 そして、自分の得意とする人物画を中心に、パターンをいくつか変えてやっていく。ただ、切り絵というのは、風景画をすると、その効果が薄れる。やり方もあるのだろうが、単純な方法では、つまらない切り絵になってしまう。

 効果的な手法で、たまに風景画をするというのは、いつでも頭の隅っこにある。

 いつか一点くらいやるのかもしれない。


鼻血(2010年2月25日・木)

 花粉症の季節で、鼻をかむと鼻血が出始めた。必ず右側なんだけど、昨年は野菜を食べたら鼻血が止まって一年間でなかった。

 これから、生野菜を食べ始めようと思う。

 東洋大学のクラスメート二人と先輩の大学準教授が飲んでいて、誘いがあったので行った。一人は、鹿島建設に勤めていて、定年を来年迎える前に辞めて、赤坂の有名なホテルだけど、名前を忘れたが就職するという。

 彼の家は、元々川越のにぎやかな通りにあった金物屋さんだった。時勢におわれて、店をだいぶ前に閉じたが、まだ金物問屋をお父さんがしていた。かなりの大きな倉庫があって、手広くやっていそうだったが、金物問屋も閉じるという。カインズホームとかのショッピングセンターなんかがあれば、相当こたえていただろうから、うなずける。

 来年は60歳である。「村の渡しの 船頭さんは 今年六十のおじいさん」という歌を思い出せば、おじいさんである。嫌だなあ。
 みんな仲間が、定年を迎えて辞めていくことだろう。寂しいなあ。

 考えてみれば、クラスメートはこの三人しかこの川越にいない。たまには3人で旅行に行くというのもいいだろうな。

 熱海旅行で、団体旅行が好きになっちまった。


病気(2010年2月24日・水)

 昔よく行っていた飲み屋に、友達に誘われていった。

 良く飲んだ、大学の先輩が後から来た。現役時代は陸上部の長距離選手だったという。今だったら東洋大学の花形クラブである。

 今年になって、寝て起きて立てなくなって、病院で診てもらったら、糖尿病だったのだという。

 自分で血糖値を計って、インシュリンを打っていた。

 とても寂しそうだった。私もそんな姿を見ると寂しい。

 私を可愛がってくれた人だ。郷里の佐世保に帰ると、明太子のお土産を必ず持ってきてくれた。

 ただ、私がお酒を飲む時間は昔と違い6時頃になったから、その店が始まる7時には行かなくなった。終わる3時頃は、私が寝て起きて仕事をする時間であるから、当然飲みにはいかない。

 時間は経過する。


ばたんきゅう(2010年2月23日・火)

 仕事柄、団体で泊まりの旅行に行くことが珍しい。昨日は日本文芸家クラブの方々と熱海に一泊旅行であった。私がこのクラブで事業委員長を任命されたので行くのである。役員でなかったら行くことはなかっただろう。

 だが寝食を共にするというのは、楽しいものである。今頃になって気がつくのも変な感じなのかもしれない。

 行く時の電車の隣の年配の女性が、時代小説を読んでいたので、私のカレンダーをあげた。それから、彼女が降りるまで、彼女の趣味の踊りの話をして行った。

 若い女性3人が私の前に座っていて、トイレに行っていて降りるのが遅れている女性(団体の一人)のことを笑っていたので、電車の中で気持ちが悪くなったらしいよと教えてやった。そしてカレンダーをあげ、ちょっと話をして熱海で別れた。

 悪くないスタートだった。

 熱海というのはでかい街であった。24歳の時建築設計事務所に勤めていたときの社員旅行で行ったことがあるが、あまり記憶がなくて、ワニ園に行った事だけを覚えている。

 MOA美術館に行った。展示してあるものより、美術館のエスカレーターの長さに驚いた。そして、やたらときれいだったが、その割に所蔵品が少なかった。

 私の実家のうえに前住んでいた、同年の女性が熱海の近くに住んでいるということで、前来る機会がありそうだったので、友人を通じて電話番号を聞いていたので電話をした。

 近所だったが、引っ越してきた私は中学校で越境入学をして引っ越す以前の中学にいったので、本来その彼女とは、同じ中学に行く事になるはずだった。だが行かなかったので近所だいうことで、少しは話したことがあった。その程度であった。

 ただ、その後共通の友人を持ち、話題にのったので、お互いに印象深かったのだろう。よく姿かたちも憶えていて、彼女も電話をしたら、私のことを憶えていた。彼女と大人になって話をしたことはなかったのだ。もう二人の孫がいるという。

 親がなくなり、3人兄弟の昨年二人亡くなりショックで、今は誰とも会えないという。

 さて、熱海の散歩をして、5時半にホテルに。

 全員ほとんど、知り合い程度の中なのであるが、楽しい人たちであるのですぐ竹馬の友同然になっていった。宴会をし、仲間の芸者が踊りを踊り、楽しい時間を過ごした。二次会のカラオケも私は3曲歌った。

 私の酒は寝酒だから、終わったらばたんきゅう。いくらでも飲めたり、からんだりする酒ではない。

 愉快な仲間が出来たなあ。


バスツアー(2010年2月22日・月)

 熱海へ今日は行く。現地に5時半集合だから、連れ立ってを誘われてもいないんで単独行である。

 MOE美術館に行ってみようと思う。意外に絵描きのクセに美術館に行かない方だ。

 「冨士山観光と吉田のうどんツアー」というのを例年やっているが、今年はうどんは食わずに山梨県身延の久遠寺と切り絵の森に案内しようと思う。

 その前の週が、日本文芸家クラブのツアーをするかもしれないんで、こちらはうどんツアーとすると思う。

 4月はスペイン、5月はバスツアーと忙しい月が連続しそうだ。


朝帰り(2010年2月21日・日)

 一日日記を飛ばしてしまった。昨日は、朝帰りだった。それというのも直木賞のパーティのあとに、編集者とのみ、そのあとちょっと行かなければならない店があり、飲んでいたのだ。だから最終電車(11時48分)にトイレが気になったが飛び乗ったが、やっぱり我慢できず途中下車、池袋に戻り、カプセルホテルに泊まる事になったのだ。

 でも最悪のパターンは免れた。最悪というのは、眠って乗り越しである。

 二度ひどいのがある。小川町で起こされたこと、西武線の小手指で起こされたこと。二度ともタクシー代が1万円掛かった。小川町にはホテルも旅館もあるが、もう空いていない時間だ。

 あとは東松山とかの5000円区域、川越市駅から(これはもう鶴ヶ島に行く電車がないとき)の3000円区域が何回かある。

 帰ってから、小川町のライブをやり、プークのメンバーが小川町に公演に来ていて、会いに行った。人形劇を見たけど、ちょっと眠ってしまった。かなり疲れていた一日だったようだ。

 月曜日には、日本文芸家クラブの団体旅行がある。志茂田景樹さんなんかと熱海に行くのだ。そして夜は芸者さんと遊ぶのである。


走る(2010年2月19日・金)

 昨年一時走ったことがある。私は長距離走は苦手だ。

 でも、今年の冬はテニスが出来ない。クラブをクレーコートのところに変えたからだ。そこで走った。

 走るのが苦手だから、ちゃんと走ったのは昔のことで、今はすぐくじける。そこで昨年考えた。

 お金を電車の片道だけ持って、走りたい距離の駅で降りて、帰ってくるというものだ。それに加えてすぐくじけるから、電信ごとに走り、歩くというふうな走り方を考えたのだ。これだと確かにくじけない。電信と電信の間の距離くらいなら、根性は保てる。それで、川越から走ってかえって来た。だいたい10kmちょっとの距離だろう。

 忙しくなればその気にはなれないから、今のうちだ。

 テニスコートまでの距離があるから、そこ走ったらと思うが、テニスが早くしたくてそういうことが出来ないんだ。バイクである。


こんな人も(2010年2月18日・木)

 山梨金精軒での個展が、5ヶ月間を経て先月で終わった。私も飾り付けに行っただけで、行くことはなかった。

 客の芳名録の中に二人、珍しい人を見つけた。一人は江良潤さんという役者さんである。

 私が、まだ出版デビュー前に、彼の友達だった江幡連という役者(私がマネージャーをしていたころ、事務所が同じだった。彼のマネージャーをしていたと思って良い。彼は映画「八甲田山」に出演して、私はその撮影現場に行ったことがある)から、演劇のポスターを作ってくれと頼まれて制作したことがある。

 まだ、下手くそな時代で、よく使ってくれたものだと思う。

 池袋の本町にあった劇場で上演され、私も見に行った。まだ私も20代の後半で、若かった。

 その時出演していたのが、江良潤さんだった。エラの張ったあごをしているので、いわれなくてもエラから江良とつけたなと分かった。

 今でも時々テレビ映画に出演していると思う。私の友人の江幡さんは、役者をやめ、故郷の水戸で家業を継いでいる。

 もう一人は、石田さんという切り絵界の重鎮。日本セン画協会(センというのははさみで切るという意味、漢字がわからない。日本では切り絵と呼んでいるが、セン画とは中国での切り絵の言い方)の会長さんをしている。山梨に住んでいる。その会の副会長さんが私のかつて弟子だった。

 日本に切り絵協会が3つほどあるが、申し訳ないが、切り絵の優れた人材を見受けない。


忙しい前の(2010年2月17日・水)

 これから、いろいろ忙しいことがある。3月末に山梨に美術館・切り絵の森が出来、4月の初旬にスペインへ行って来る。

 スペインでは個展をしてくる予定である。

 しかし、珍しく依頼される仕事が途切れている。ある面ラッキーである。その間に出来なかったことができる。


ぶらり撮影(2010年2月16日・火)

 ぶらり途中下車の旅の撮影隊が岡田畳店の展覧会場に来た。来たタレントは香田 晋さんだった。

 どんな按配になったか、楽しみにしてください。3月13日土曜日9:30〜10:30日本テレビです。だいぶ面白かったらしく、長い時間の放映になるかも知れないそうです。


特別ライブ(2010年2月15日・月)

 今日は川越岡田畳店で特別ライブがある。

 オリンピックが始まった。4位で上村さんの泣き顔の笑顔が印象的だった。きっと素敵な人なんだろう。 


ライブ中止(2010年2月14日・日)

 忙しいので、今日の伝統工芸会館のライブは中止した。

 昨日は、ライブで歌を歌い始めた。3点作ったが、歌を題材に絵ができないかなと思ったからだ。

 最初は恋の奴隷・次は越後獅子の歌・青春サイクリングだ。

 歌を歌って切り絵をするというのもいいアイデアだったと思う。

ライブ作品(2010年2月13日・土)

 ライブ作品は頻繁にしていないと、なかなかいいものを作ることは出来ない。3月2日から川越の岡田畳店で展覧会があるが、毎日ライブをする事にした。きっといい作品が出来ることだろう。

 これまで、毎日しないといい作品が作れないということはわかっていたが、展覧会で毎日やるのも安っぽいなあなんて考えていた。しかし、このライブ作品を本にしようと思い始めて、その考えは変った。毎日して、作品を作くれば、早く本が出来るからだ。

 それにしても、この作品群が、私の収入の半分になれば、本の装丁画家という自分自身で抱いているイメージから変るのかもしれない。

 それもよしであるが、これで食べていくなんてこの時勢で考えられない。


展覧会準備(2010年2月12日・金)

 仕事は切れているが、なかなか忙しい日々である。自分の商品の開発の仕事である。今年は手拭いに力を入れたいと思っている。

 3月2日の展覧会開始に間に合わせたいが無理なのかもしれない。


監視の目(2010年2月11日・木)

 山梨県の今度出来る切り絵の森というのがある。県とかかわる仕事であり、私もそれに参加している。

 そんなこともあり、県の方が私のこの日記を監視しているらしい。だから、県にあまり公にして欲しくないことはマネージャーにメールしてくる。そんなチェック係がいるらしい。だから、この日記も見ているだろう。

 まだ書こうと思えばもっと沢山いろいろあるが、書いてはいない。

 なかなか難しい県である。


新井規矩雄さん(2010年2月10日・水)

 昨日行きつけのお店で飲んでいたら、東洋大学の野球部監督の高橋さんの一段が二階で飲んでいた。私はもう何回も、ご一緒に飲んでいるから、特段ないのだが、今回紹介されたのが、この写真の方、プロゴルファーの新井規矩雄さん。

 東洋大の先輩だったようだ。とても気さくな方だった。


学生自業自得(2010年2月9日・火)

 私が夜というか朝というか、通って、切り絵の作業をしているレストランが、ついにこの数日、夜間が学生で満席になったらしい(私は少し減った時にいっているらしい)。

 この近くにある城西大学と明海大学の学生が、押し寄せて勉強しているのである。

 しかし、ところが、その学生たちが夜ばかりでなく朝昼夕方と無節操に、テーブルを占拠して、中には6人掛けのテーブルを一人で占拠するやからまで出てしまって、この近辺のファミレスは学生を締め出して、ついに私の来ているレストランだけになって押し寄せているのである。

 仲間で来ているわけだから、他の席にうろうろする、土足でシートにのる、馬鹿笑いをする、賭けとランプをすると学校でしていることを我が物顔でやるわけだから、店の方も最近だいぶ困っているようだ。

 そこで、ウエイトレスに尋ねたら、学生締め出しも考えているそうである。社会人にもいるが、学生は生きるか死ぬかで生きているわけではないから、そこらあたりのことにはとても鈍感である。もし自分がこの店の人だったら困るだろうなと人事ではないと思うのは彼らが社会人になってからである。

 結局、自分たちも困り、未来に入ってくる学生たちにもレストランでの勉強の道を閉ざした事になるのだが。

 学生!困った半端な立場である。私もかつてそうだったことは間違いない。

細かい仕事(2010年2月9日・火)

 仕事が切れたが、また入ってきたようである。電話の到着履歴に入っていた。

 仕事が切れて、いくつか雑多な仕事を済ませた。もうすぐ申告である。その整理もある。3月から、岡田畳店で展覧会であるから、そのはがきの発送もしなければならないし、額の制作もしなければならない。

 その後は山梨の切り絵の森の展覧会の準備である。はがきが届いているから、それに住所のラベルを貼らなければならない。3000枚である。

 気持ちよくこなして行きたい


働くぞ(2010年2月8日・月)

 締め切り2日前に作品を提出する宣言をして、仕事が早くなり、依頼の仕事が切れてしまった。

 幸にもやらなければならないことが沢山あるのでそれを、何日かやっていようと思う。仕事を早く済ませばこういう効率のいいことも生まれるわけだ。

 まず、何作か出来るはずの「手拭いの文字」を切って、デザインをする。やれば手拭いがすぐ3本くらいは完成するはずだ。

 制作風景とライブのビデオを作ってある会社に送らなければならない。それもやらなければ。

 申告の準備もある。

 昨日の埼玉伝統工芸会館のライブは強風にもかかわらず、たくさんの人が会館を訪れ、ライブを見てくださった。作品も2作完売。

 今、ライブを見た方にはカレンダーを無料でお配りしている。展覧会のライブでないので、私のことを知らない人ばかりであるから、自己紹介のつもりで、お配りしているのである。やはり、効果は抜群で、ちゃんと皆様見てくださる。

 今年はかなりの枚数をすったので、まだまだ在庫がある。すっておいてよかったと思う。

 強風で昨日も電車で往復したが、大量に山歩きの高齢者が、リュックと登山靴の姿で電車に乗っていた。流行っているんだなあ。


強風にあおられ(2010年2月7日・日)

 強風だった。バイクを運転して伝統工芸会館ライブに向かったが、後悔した。運転を中止したのが2回あった。それでも何とかたどり着いたが、帰りは電車で帰ってきた。

 客も少なく、会館の人たちと内輪でライブをやった感じ。それでも、お客に山梨の身延出身の人が来てライブを見てもらった。娘さんがこの近くにお住まいのようで、本人は練馬にお住みだとか。

 来月には身延で富士川切り絵の森美術館が開業するから、そのお客さんの親族・知人にも見てもらいたいものである。

 残念ながら、開館時以外は私は切り絵の森の方には顔をださい。

 ライブのオファがあったら行くつもりであるが、残念ながら、切り絵の森ではライブの人気を知らないのだ。

 今8チャンネルで、同郷で年末に29歳で亡くなったリーダーでボーカル志村ひきいる富士ファブリックのコンサートをしている。人気があったんである。惜しいことをした。


また途中下車の旅が(2010年2月6日・土)

 また、途中下車の旅のオファーがあった。今度で、3度目である。今度は、なしになると思っている。

衰退(2010年2月6日・土)

 昨日の日本文芸家クラブの新年会は、人数が少なく、悲惨な状況であった。理事長の志茂田景樹さんと私とこの状況を打破するべく、闘志を燃やす事になりそうだ。

 さしあたり、5月に日本文芸家クラブの日帰りバス旅行を行いたいと思う。「作家と行く富士山漫遊のバス旅行」である。作家・画家のファンが一緒にバス旅行をするという計画である。

 年二回のバス旅行をしたい。秋の10月は「群馬の旅」。「テーマは作家の利益と知名度のアップ」である。

 何とかその時60名の参加をつのりたいと思う。大型バス2台である。


新年会(2010年2月5日・金)

 今日は日本文芸家クラブという、作家や我々のように出版と関わる画家が参加している会の新年会がある。

 私はその会の事業委員長をしている。昨年の夏からだが、まだ何もしていない。今年は必ず何かするつもりだ。一つか二つの企画を立てたい。作家の利益と知名度を上げることを視点にしてイベントを起こしたい。

 今日は、参加して来た皆さんのプロフィールを知るべく、出来るだけ全員の方と名刺交換をしたい。ただ、顔は忘れるだろう。


勢いが違う(2010年2月4日・木)

 ということで締め切り二日前提出という宣言をしたものだから、作品を作る気迫が今までと違ってきた。

 この勢いでがんがんやっていく。


締め切り二日前仕上げ(2010年2月3日・水)

 ある編集者に、締め切り二日前に必ず仕事を仕上げるという宣言をした。

 これまで、禁煙・禁パチ・禁酒(一人で飲まない)宣言を人にして成功している。

 きっとこの締め切り厳守宣言も、効果を表すだろう。

 いい編集者である。


締め切り(2010年2月2日・火)

 今日は締め切りである。何としても仕上げなければならない。でも、夜はパーティで、東京である。どうしよう。


スキャンがたまった(2010年2月1日・月)

 私が担当した本のカバーとか挿し絵とかライブの画像がたまったが、スキャンしていないのでアップしていない。

 二月に入って、やること満載だが何とかこなさなければ。手ぬぐいも作らなければ。

 今日は英会話教室である。何とか英語は毎日勉強をしている。しかし、先生のオーストラリア人の人の話では、オーストラリア人はのんびりしているらしい。日本人の過労死なんて信じられないという。

 締め切りも催促され、明日には一つ仕事を終えるつもりだ。


1月最後の日(2010年1月31日・日)

 一月最後の日だ。冴えない月だったが、よくそれでも動いたと思う。

 2月の2日から銀座の伊東屋で親友の蓬田やすひろ氏の個展があり、パーティがある。蓬田氏は今年何と菊池寛賞をとっている。

 私なんかはるかに及ばない華やかなパーティになるだろう。

 今日も埼玉伝統工芸会館でのライブがあるが、わたしに絵を教わりたいという人が3人いて教室をする。切り方としては丸をきるのが一番難しい。絵を習得するにはコツはない。ただひたすら、一杯描くことだ。

 ただ、描くことは飽きてしまう。それでそれを何とか飽きないようにするというのが私の役目だと思うが、その手段を考えているが果たして効果があらわれるかどうか。


隣の部屋(2010年1月30日・土)

 前に隣の部屋も借りたということを日記に書いたと思う。この部屋は今までの部屋と違って、日当たりがすこぶるいい。三方が窓だから、明るいし暖かい。

 こちらを今はメインの仕事場にしている。かなりエコである。

 先日、ミニ胡蝶蘭のことを書いたが、この部屋に置き始めて胡蝶蘭が復活した。当然夜は、照明・暖房入りのケースに入れるのだが。

 夏は暑すぎて、この部屋は無理だろう。最上階のビルで、窓に庇もない。とんでもない暑さになるはずだ。その暑さとエアコンを入れて戦わせるつもりはない。


一つの社会(2010年1月29日・金)

 東洋大学のスポーツサポーターズクラブの会合があり行ってきた。15人くらいの常任理事が集まって会議をする。

 3月には東洋大学の現役・OBから優秀な成績を上げると表彰し、また70いくつかあるスポーツクラブに援助金を送るというのもある。

 ほとんどが私より高齢の方だ。しかし、学生時代のクラブの話をすると面白い。ある店で先輩がいるのに知らずに騒いだ次の日に、大学の校庭で全員正座させられたそうで、「俺にタバコの火をつけに来なかった」という理由だったのだそうだ。

 とにかく当時は理不尽な理由で殴られたりしたらしいが、いたんだからいいところもあったんだろう。

 いろいろな販売用のグッズやデザインと絵だったら私に任せてくださいといっておいた。東洋大のスポーツグッズが、私の絵で埋められる時代が来るのかもしれない。

 珍しく時計のはリが次の日になった頃かえって来た。


久々東京(2010年1月28日・木)

 今日は東洋大学のOBで組織するスポーツサポートの会合がある。

 箱根駅伝での、快挙もありこの組織も佳境に入る事になるだろう。

 久しぶりの東京である。終わってからの先輩たちとの酒宴が楽しみだ。

 私は30歳40歳の若い連中より、年配者と話した方が好きである。落ち着いて、あきらめることはあきらめて、少なからず悟りに近づいて菩薩さんのような、そのゆったりさがいい。

 その会に行く前に何箇所か展覧会とかで寄り道をして行く事になる。


ミニ胡蝶蘭(2010年1月27日・水)

 昨年もらったミニ胡蝶蘭。山梨で作っていて、全国の贈答品の品評会で一位を取ったものなのである。そのおっそうわけを友人から頂いた。

 だが、胡蝶蘭を生かし続けるのは冬場が難しい。展覧会で胡蝶蘭を頂くのであるが、一冬越したのは一度だけ、あとは惨敗である。

 今度はミニ胡蝶蘭で、大きさは牛乳パックの普通サイズくらいである。

 そのミニ胡蝶蘭を、ちょっと電気の無駄遣い的なところが気になるが、夜は箱に入れ、電球型蛍光灯を入れ暖房している。ちょうど胡蝶蘭が限界の15度ちょっとを夜間は上回ってくれる。それで、明るいから、育ってもくれる。

 今は元気に葉を増やしている。実は夏を過ぎて、めっきり元気がなくなっていてどうしたものかと考えたのだ。

 今年の冬は何とか越しそうだ。夏には元気な立派な姿にはなるだろう。


英語教室(2010年1月26日・火)

 英会話は、いろいろなところで頭に英語が出てくれば良いと思うが、さすがに会話教室の直前になると、頭に英語が飛来する。

 いいくせになるといいが。

 昨日は私も積極的に会話に参加できた。ただ、昨日は市民会館の教室が取れず、レストランでの教室だったからBGMがうるさくて、聞き取れないところもあった。6月にアメリカに行くが、もしかしたら、少しは英語がしゃべれるのかもしれない。

 問題は4月に行く事になっているスペインである。スペイン語はまだ入り口というレベルだ。


二つはいらない(2010年1月25日・月)

 ライブは二つしたが、二つとも時間が掛かりすぎた。私もしんどいが客もしんどい。

 重いテーマは一つで終わっていいのかもしれない。ライブは難しい。

 今月も残り少ない。あと3作の締め切りがある。のんびりしてしまって、こんな事になってしまった。

 一週間は早いもので、今日は英会話教室である。教室に通うことで、少しは英語の勉強をするところがいい。


即興ライブのテーマ(2010年1月24日・日)

 今日は埼玉県小川町・埼玉伝統工芸会館で即興ライブがある。

 しかし即興ライブのテーマというのが難しい。ないときはリクエストに答えたりしているが、気軽なテーマが見つかった。

 北斎漫画というのがある。日常の江戸の人たちのしぐさを絵にしたもので、大変な数がある。

 その江戸の人たちの立ち居振る舞いを私の場合はリアルタイムで生きていないから、想像で描いていく、百鬼丸漫画である。

 それに、現代の人たちの風俗を描くというのもいいだろう。こちらは現代版百鬼丸漫画となるが。

 どちらがいいだろう?どっちもやろうか。一回に二作作って。

 勿論それを手拭いにして売るという方向で。


久しぶりのしまらない月(2010年1月23日・土)

 先日のパーティで、作家の睦月さんに会ったことを書いたが、寡黙である方で余り話せないが、わずかに話した中に「私は年中無休だ」というようなことを話していただいた。

 休むと調子が狂うのだそうで、私も全く同じ理由で年中無休を通しているのである。

 休んではいないが、昨年仕事が切れて、忙しくやってきたのが一息つけるなあと思ったとき、気持ちが緩んでしまった。実際にはすぐ仕事が入ったので、一息ついてはいけなかったが、もう気持ちの緊張が切れて、それが今も尾を引いている感じで、緊張感がない。たまにはこういう時間があっていいと思うなんて思いたいけど、気持ちが良くない。

 私の仕事は、依頼されている仕事をこなすこという意識が強い。本当は自分で企画して、いろいろな商品を開発するのが仕事と思う方向に行かなければいけないと思っている。

 だが、両立させることは無理なのかもしれないから、この意識は一生抜けないのかもしれないが、頼まれ仕事を止めるという決断をすれば出来ないことはない。

 私の晩年の最大の決断になるのかもしれないが、そんなことをして、生活が成り立つものなのか、そこが問題である。

 もうすぐ、その決断をせまられる機会がやってくるかもしれない。

 話は違うが、昨年の今頃、頭の毛が薄くなったことを嘆いたものだが、今頭に手を当ててみると、ふさふさである。ツムラ製薬の「もうが」を使い始めて3ヶ月、効果は抜群である。ちなみに、使った翌日には、頭の毛のはリを感じて、驚いて、すぐこれはもしやと信じはじめてその通りになった。

 しかし、その話をすると、毛生え薬で毛が生えることを信じていない人が何と多いことか。当然、効目は個人差があると思うが。


ある間(2010年1月22日・金)

 知り合いの小母さんが、彼女の姉に不満があるらしく、私にその不満をいった。

 だが、私はその姉さんの方の弁護をした。その時、小母さんにほんのちょっとうろっとした間があって言葉を飲み込んだ。

 こんな瞬間がたまにある。 

 ある小宴会に参加して、その中のひとりと仲良くなっていた。みんなが彼と友人なれてよかったですねといった。その瞬間、私と友人以外に妙な間が出来た。「よかったですね」といいながら、この間は、その友人に問題があることを示していた。

 その間がなんであるか、あとになってわかるのである。


テニス心得(2010年1月21日・木)

 いつものように朝、テニスをした。暑いくらいの陽気だった。いつも、年配の方とばかりやっている。年配といっても、私とコンビを組むのはいつも76歳の人だ。ほとんど動けないから、私がコートを飛び歩く。

 他の人もレベル下の人ばかり。だが、昨日は年下の上級者が来た。2年半前に入っていたクラブだから、その上級者も仲間であるので、すんなり入れる。

 この2年半で私はかなり、昔を取り戻して、時期時期に良かったショットが、今全部そろって復活しつつある。

 スマッシュは、学生時代の1年生・2年生の頃、手が付けられないほど良かった。バックーボレーとバックのドライブは大学4年の時。フォアハンドのトップスピンは、15年前。

 バックのスライスは今が全盛。

 プロに出来ることは私でも出来るはずという気持ちでやっている。バックのスライスは普通の人は、あまり力を入れて打たない。ミスが多くなるからだ。それは単に技術がないからなんだけど。私はバックのスライスでも思い切り打つ。それで入れるコツを知っているからだ。

 そのバックハンドが試合できれいに入っていくから、皆驚いていた。

 3試合して帰ってきた。

 久しぶりに見た年配の方々は、うまくなっていた。しかし、昨日やった上級者はあまり進捗がない気がする。

 私はコートに行かなくても、よく考えるし、それを実験をしてきた。考えないとうまくならない。

 人は私にパワーがあるからとか、手首が強いからだとか言うけど、違う。テニスは物理だ。コツさえつかめれば誰でもできる。そのことを知らない人がとても多い。

 一つ人に言う言葉がある。「テニスでやろうとしていることが、出来ていないからうまく打てないんじゃなくて、やろうとしていることが間違っているから出来ないんだ」ということ。人間の運動神経というのは凄くて、自分の意思どおりに動作をしているものだと思う。


頭が痛い(2010年1月20日・水)

 昨日起きたら頭が痛かった。

 夕方に血圧を計ったら、下が60で上が90.二度計ったが同じだった。この頭痛はその影響なのかもしれない。

 でも、なんでだろう。

 昨日は暖かかった。今年からアトリエの隣の空き部屋を借りた。広さはアトリエより広い。作品の倉庫にしているんだが、東と南から陽が入る。明るいし温室のように暖かい。それで、冬場だけアトリエにする事にした。だが、夏は暑くてアトリエには向かないかもしれない。


ファイトいろいろ(2010年1月19日・火)

 英会話は全然駄目だった。しゃべれない。逆にファイトが沸いてきた。頑張るぞ。

 久しぶりの東京だった。見知った人も結構いた。作家の睦月影郎氏がいらっしゃったが、良く会う。

 この睦月氏、HPを見たら、漫画も描いている。これには刺激を受けてしまった。

 見た目よりかなりさばけていそうな人だ。


(2010年1月18日・月)

 今年からやることになった英会話教室の今日は初日だ。先日のは新年会。進展があるといいが。

 スペイン語も今のところ独学だが、やっている。まだ、頭にしみこむまでになっていない気がする。

 夕方には、東京の某出版社で新年会をするというので行ってくる。カレンダーを折って持っていってプレゼントしようと思っている。

 着物で行くつもりだったが、伝統工芸会館に置いてきた。別ので行こうかと思う。

 皆さんに会うのが楽しみだ。


伝統工芸会館ライブ(2010年1月16日・日)

 昨日は寒かった。バイクに仕事道具と着物と紙入れの筒を乗せて、荷物満載で行った。

 今日は販売用のTシャツと大工道具を持っていく。

 午前中客の姿が見えなくて心配したが、ライブが始まる時間には人がぼちぼち来て、10人以上の方が観覧してくれた。

 中に高知から来た方がいて、だから、坂本竜馬を切った。なかなか出来がよかったので、お客さんは買っていった。

 皆さんに楽しんでいただけたようだ。

 今日も行くががんばりたい。


郷里に帰ってきた(2010年1月15日・土)

 郷里・富士吉田に行ってきた。雪が5センチくらい積もっていた。だから道路を歩くのは滑って転びそうで怖かった。

 富士山もくっきり見えて、きれいだった。でも、寒かった。

 母親も元気だった。もう外には出ず、もっぱらテレビの前のコタツの前に椅子を置き、足をコタツに突っ込んでいるというスタイルで座っている。兄とも前日の晩にお酒を飲んだ。

 兄は写真を撮るのがここ10年くらいの趣味で、山梨の新聞には常連で一位とか入賞をしている。

 私が絵がうまくなったのは、子供の頃姉の絵を見てからだったが、兄だけはそういう美術とかの話を聞いたことがなかった。ただ凄iい学校の成績がよかった。だから、兄が写真のセンスがあるということで、兄弟三人全員美術が得意という事になる。

 昼に帰ってきた。


急遽富士吉田(2010年1月14日・木)

 正月として富士吉田に帰ります。明日の日記はなしです。

 富士吉田は寒いでしょうね。

アメリカから(2010年1月14日・木)

 郷里富士吉田の姉妹都市・アメリカのコロラドから、6月のお祭りに私に来てくれと連絡があった。

 昨年、行く予定だったが、先方の受け入れの方が病気で、中止になった。

 理由がそれなのかなと思っていたら、本当だったらしい。女性の方らしいのだが、手術をしたということだ。

 とにかく行って見たいと思う。ついでに、ニューヨークの友達のすし屋の壁の一部のインテリアをやってほしいというから、やってもきたい


ピロリ菌の検査(2010年1月13日・水)

 今日は歯医者と胃腸病院に行ってくる。歯医者は近所にある歯医者だ。名前が「鬼丸歯科」。面白いんで行く事にした。

 もお2年くらい掛かっている。あちらは私が百鬼丸だとは知らないし、百鬼丸という名前の切り絵作家がいることも知らないのかもしれない。

 でも、広報とか新聞に私の名が載るときもあるんで、誰かから情報をもらっているかもしれない。

 胃腸病院は、昨年のピロリ菌退治の結果の検査をしに行ってくる。胃腸病院は混んでいるんで、診察券を出してから、歯医者に行ってくる。さて、ピロリ菌はどうなっているんだろう。検査の結果、まだ死んでないとしたら、違う薬を飲む事になるらしい。

 ただ、最近はピロリ菌退治をしたせいか、腹の調子がすこぶるいい。前は、下痢が良く続いた。


テニス快調(2010年1月12日・火)

 昨日は今年からはじめる英会話教室の新年会に参加した。12時からだったんで、その前に1時間ほどテニスをした。
 
 6年位前に、私の得意のフォアハンドは10年以上のスランプを経て、戻っていた。だが、何かが違う感じがしていて、その証拠に好不調の波があり、その原因が分からなかった。

 その原因が、わかったのである。本当にちょっとしたことだが、ラケットの握り方のあるチェックが違っていたのである。前は、それを気にして握っていたのを思い出した。でもそれを意識するのとしないんでは、結果に大きな違いが出てくる。

 よく、テニスを頼まれもしないで教える人間がいるが、たいていが踏み込んでいないとか、前で打つとかで肝心なことでないことを教えている。そんなことでテニスがうまくなったら苦労しない。私が学生時代から、言われてそれで出来ないんだから、それがテニス習得に重要なことではない。

 技術というものは、習得すれば自然に踏み込むようになる。踏み込めない根本的な原因があるのだ。

 これから、フォアの安定感が増すだろうし、威力も増すだろう。

 15年以上前、山中湖に後輩たちとテニスの合宿に行き、一日目は良かったが二日目に不調に陥り、その原因が分からず、10年以上もスランプが続いていた。フォアハンドの好調のときは、何も考えなくなって、チェックポイントを忘れてしまっていたのである。慢心だったんだろうと思う。


ライブ快調2(2010年1月11日・月)

 昨日はNPOザブン賞の表彰式で、宇都宮に行ってきた。最後に私が講評をしゃべることになっていたんだが、私はライブをする事にして、それを誰にも知らせていなかった。

 緊張の空気もなくなり、ライブのスリルに皆さんひたってもらった。いっぺんに空気が変ったといっていい。

 やってよかったと思う。

 終わってからは、宇都宮の屋台村で一杯スタッフと飲んだ。


ライブ快調(2010年1月10日・日)

 埼玉伝統工芸会館でのライブの通知は、私のHPのスケジュールに記載しておいただけで、何にもしていなかった。本当に私がいけるかどうか分からなかったからだが、ちゃんとやり始めたので、このホームページで通知する事にした。

 昨日は、それにもかかわらず10人ほどの方が、見えた。偶然いらっしゃった方もいた。

 これから、人が休暇を楽しんでいるときに、そういう方を相手に仕事という事になる。私のような画家で、こういう活動をしている人も少ないだろう。

 画家というのは、大体が仕事の現場を見られたくないものだ。会館に行く日は、開館から文庫本のカバーの絵の公開制作もするから、珍しいので、きっと見たいという需要はあるはずだ。

 そのうちに私とコラボレーションしたいという人も出てくるだろうし、勘がいい人だったら、会館のロビーで、単独で大道芸をしたいという人も出てくるだろう。それを見に客が来たらいい展開になる。時間がかかるかもしれないが、埼玉伝統工芸会館の一つの方向だろう。

 昨日は寅と河童を切った。河童の方は久しぶりだったがいいものが出来た。

 服部さん昨日はご馳走様でした。楽しかったですね。またやりましょう。今度は柴生田さんたちも入れて。

 今日はNPOザブン賞の表彰式で、宇都宮へ行ってくる。


一つ終わり(2010年1月9日・土)

 今年3つ目の仕事が終わった。すぐに4つ目の仕事に取り掛からなければならない。

 今日は、昼間は小川町にある埼玉伝統工芸会館でライブである。今年一年、土日は埼玉伝統工芸会館で、ライブである。文庫本のイラストの制作も公開でやるつもりだ。

 絵を描いている人、絵に興味がある人には楽しみになると思う。

 今日はその初日で、いろいろ運ばなければならないので、遅れる可能性がある。ただ、1時半のライブには間に合うようにしたいと思う。
 私のライブの日程は、会館か、私のHPを見れば分かる。私の都合でできない日もある。


緊迫感なく(2010年1月8日・金)

 一昨日の軽いギックリは、その前日のバイク転倒で、バイクを起こすときに腰を痛めていたという前兆があったのだろう。

 昨日は整体院に行った。

 暮・正月のせいで、まだ緊迫感がなく本調子でない。だから、休みたくないんだ。

 取り戻すのが大変だから。


軽いギックリ(2010年1月7日・木)

 昨日は初テニスをした。私の残る課題はフォアハンドボレー。これが分からないが、ただ、球を当ててから、ボールがラケットから抜けるまでのスピードを加速できるかが、テニスというのは課題なのだと思っている。

 テニスをある程度やった人なら分かる言葉で、早く言えば「厚い当たり」というものなのだが。

 フォアボレーでその厚いあたりをさせるにはどういう風にすればいいのかということを考えた。

 大学時代から、ラケットを立てろといわれ、うまい人から最近も教わると、同じことを言う。

 しかし、わからないのはその上級者が果たしてラケットが立っているかというとそうでもなかったのである(ましてや、プロ選手も立ててはいない)。私はこの立てるというのが嘘だと思う。立ててから、どういうスイングをしても、スイングスピードが増すスイングというものは見つからない。だから、立てるという前提が間違っていると結論付けた。

 頭で考えると、ラケットをスリークウォーターか水平くらいにしないと、ボレーの当たってからのスイングを早くするなんて出来ないはずなのである。

 そのことを考え付き、実行してみた。やはり推理どおりある程度うまく行った。このアイデアの芽を育てていこうと思う。

 フォアボレーが完成すれば、もお、ほとんどのショットが平均点以上になる。

 しかし、久しぶりにやって、軽いぎっくり腰になってしまった。


いや危ない(2010年1月6日・水)

 一昨夜の雨の朝は、路上が凍っていた。バイクで大丈夫かと思ったら、転倒した。
 
 まるでスケートリンクの上で転んだように、滑っていった。

 反対車線に入らず、後続車もなかったから、追突を免れた。

 初めての経験だった。

 氷の上を滑ったので、擦り傷はないが、体の何箇所かが痛い。これからあんな日はバイクは止めよう。

 それにしても途中で、赤ん坊を背負って自転車の女性とか、後ろに子供を乗せての自転車の人もいた。これは危ないと思う。全国で事故になったケースはあると想像する。


いろいろな人と(2010年1月5日・火)

 昨日は、浅香光代さんの観劇に出かけた。開場は1時からだと思ったら、1時が開演であって、行ったらすぐ演目が始まって楽屋にいけなかった。失敗した。

 これが後から、予想通りならなかった原因であった。

 会場のゴロゴロ会館に向かう途中に、浅草演芸場がある。その前で、木久蔵ラーメンを売っていた。見れば今日は木久翁さんの出番であった。売っている人を見れば、木久蔵という法被を着ている。

 もしや木久翁さんの一門の方かと、たまたま持っていた、寅の小さな置物を「百鬼丸といいますが、木久翁さんにお渡し下さい」と手渡そうとしたら、その若者は「百鬼丸さんですか、いやどうも」なんて知ってて、他の若者に「百鬼丸さんだよ」なんていって、皆さんご存知なのであった。

 そしたら、すぐ木久翁さんの息子・木久蔵さんも見えて、お久しぶりですと挨拶を交わした。皆さんにカレンダーを配り、木久蔵さんからは手拭いをいただいた。時間がせまり急いでゴロゴロ会館に向かった。

 ゴロゴロ会館では相変わらず、花がずらっと並んでいた。さすがに自民党の議員さんのは少なくなっていた。

 昨年の浅香さんの作の演目も良かったが、今回の「まぶたの母」もなかなか良かった。浅香さんのちょっと間が後れて出てくるセリフも、味を感じた。

 後半になると私も、昨年、舞台に立たされた場面が来る。昨日は遅れたが、幕間に、楽屋に浅香さんをたずねているから、浅香さんも私が来たことは分かっていた。

 しかし、今回もその場面になり私は緊張して、呼ばれたくなくなった。しかし、呼び出されるメンバーがすごい。長門勇さんや私が知っている人ばかりである。10人ほど並んだだろうか。私は呼ばれなかった。人数が多すぎたからだろうなと思った。でも、ほっとした。

 終わりの場面に客席に来て、お客と握手し始める浅香さんに私も再び挨拶すると。何で出てこないんだと怒られた。

 旦那さんのセシ凡太さんとは、ロビーで往き会っていたので私が来たのは知っていたはずだが、私を呼び忘れていたようなのだ。最初に楽屋を訪ねてないから、こうなったんだろう。でも、これでいいんだけど。

 もう一度来なさい、紹介するからと浅香さん。どうしたものか。

 持っていったカレンダーを殺陣師で私のファンだという、私も大好きなキャラの藤森さんに渡した。役者の方に全員わたる数をもって行ったのだった。席の隣の人とも仲良くなった。西船橋の「百花亭」という酒どころのご主人だった。カレンダーをお渡ししたら、お店に来ればご馳走するよとおっしゃった。

 場内から出るところで、昨年私の席の近くに座っていて、品の良さが目立った女性が今年もいた。この方にもカレンダーを渡した。説明したら、憶えていた。奇遇である。

 浅草を後にして、ファンの中島さんに寅の切り絵を渡しに、小平に行った。お宅で酒宴になった。お宅に上がりこんで飲むというのは、酒飲みでもなかなかないことである。オーディオがばっちりそろって、アンチィークなお店を感じさせるお部屋で、凝り性らしい中島さんの作った美術作品を拝見した。旅行も100名山踏破を目指して、もうすぐ達成するということで、そのアルバムもずらっと並んでいる。

 すごいマニアックな人であった。いや感心した。そういえばマニアックを最近感じたことがあるなあと思ったら、文芸評論家の細谷さんを思い出した。

 かなり遅くまで厄介になって帰って来た。いろいろな人と会った一日だった。

 今日は夜に雨が降って路面が凍っているだろう。


東洋総合優勝(2010年1月4日・月)

 東洋大が2連覇した。横浜の崎陽軒で、大画面の前で160人のOBが応援した。

 私の恩師の太田邦夫先生も見えた。

 ただ、去年はOBは優勝すると思っていなかったらしく、びっくりしたようで、大変盛り上がったようだが、今年は、皆さん画面を見るのも少なく、余裕の歓談をしていた感じであった。

 しかし、この2年ほどは、東洋大のOBとしていろいろなイベントに参加させてもらって、東洋大閥のというのがあるんだととても楽しい思いをさせてもらっている。

 崎陽軒が終わって、関係者から、高田馬場に選手の祝勝会があるから行こうと誘われ、行ってみたら、柏原君をはじめメンバー全員がやってきた。部員が60名近くいるらしく、イレギュラー部員がかわいそうに我々にビールを注いだりと接待をしていた。本来逆な気がするが、部というのはそういう習性があってしょうがない。
 
 只、レギュラーも挨拶が終わったら、料理に群がること。相当は腹がへっていただろうし、食事制限とかもしていただろうから、その有様は当然だろう。


東洋大往路優勝(2010年1月3日・日)

 ページの上の寅を、毎年買っている人に遅れてしまった。

 今から送るつもりだったのだが、額のサイズを間違えて作ってしまった。今日は横浜に行くから、作業が出来ず。

 明日は、浅草に浅香光代さんの公演の観劇で、やれず。そのあとになってしまう。

 申し訳ない。

 さて、東洋大の総合優勝なるか!


箱根駅伝パート1(2010年1月2日・土)

 明けましておめでとうございます。今年も、百鬼丸自らが毎日更新している手作りホームページをよろしく。

 今日は、昨年見損なった箱根駅伝に釘付けとなる予定。

 ただし、また仕事をしながらになりそうだ。

 明日は、母校東洋大の校友会(OB会)の横浜支部が横浜駅前・崎陽軒に集合して、大画面テレビの前で応援するが、私も昨年の講演でお仲間になったんで、一緒に応援する事になっている。
 
 今年は全国から、東洋大のOBが応援に来るそうだ。

 昨年暮れに埼玉伝統工芸会館で冬と夏(春と秋は川越・つちかね)の毎土日に即興ライブをしに行くことが決まった。これは非常に楽しみだ。


良いお年を(2009年12月31日・木)

 あと一日、過ぎれば希望の年が来る。

 皆さん良いお年をお迎え下さい。


書かなければ(2009年12月30日・水)

 カレンダーを送くると、礼状が来たり品物が届いたりする。逆に申し訳ない気がする。

 そして、品物をいただいた方には、お礼状を書かないといけないと思うのだが、量が多くて遅れてしまう。

 
一日のうちに仕事以外に手紙もそうだが、やることが沢山ある。

 仕事がしたくなくて、そちらに逃げ込みたくてしている時もある。そんなときが手紙を書くいいチャンスだ。

 
 今、少し緊張感のない日々を過ごしているのかな。勿体ない気がする。

 カレンダーのお礼というのではなく、ある人から、日本酒の大吟醸の古酒がとどいた。飲むのが楽しみである。

フジファブリックのギター/ヴォーカル、志村正彦 急逝(2009年12月30日・水)

 私の郷里富士吉田生まれの、志村正彦が29歳の若さで急死したという。寂しい富士吉田が、また、寂しくなった気がする。

 フジファブリックは、私の中学のクラスメートがお嫁に行った織物工場の名前からとったらしい。フジファブリックは当初、私の母校・吉田高校のメンバーで構成されていて、メンバーの一人がフジファブリック工場の息子だったことから、機械が動かなくなった夜の工場が練習場になったようだ。

 また、志村さんのお母さんは私の同級生だと聞く。旧姓を聞けば、きっと知っている女性だろう。志村だけでは分からない。

 私のクラスメートの息子は、家を継ぐために数年前メンバーから外れていた。小学校から何回もクラスメートになった親しいお母さんなので、家に行って家族全員と話をしたことがあるので、彼とも会っているが、とても真面目そうな人であった。

 フジファブリックの楽曲はとても個性的だと感じた。惜しい人をなくしたと思う。


(2009年12月29日・火)

 劇団プークの忘年会に行ってきた。

 朝起きて仕事をしようと、新宿ワシントンホテルに部屋を取った。先にお話しすると、酔っ払いすぎてとても起きられず、頭が痛くもないがとてもやれる状態でなかった。

 仕事道具の重たいのをよっちら持って歩くのがしんどかった。

 さて、劇団プーク。私にとっては劇団との付き合いは、糸操り人形劇団「結城座」についで二つ目。不思議に両方とも人形劇団というところが共通している。

 劇団プークは創設今年で80周年。で、結城座は何と400年。どちらもすごい。

 劇団プークは、新宿駅の近くに自社ビルを抱えている。建物は古いが、一等地であり、周囲には近代建築が並ぶ。でも、味のある建物の5階で忘年会はおこなわれた。

 やはり、私が付き合っている仕事上の方々とは違う、何か懐かしい感じのする人たちである。中にいる方々はそこで生計を立てているのだから、それなりに人間関係のわずらわしさとかがあるのかもしれない。しかし、外から見ると皆さん魅力的な方々で、話していると心地いい。ゲストの方々が紹介され私も、ちょっとだけお話をした。

 そして、若い人から、かなりの年配までが集うという形になるが、若者は、年配者の手練に憧れ、年配者は若者を育むという感じが現われている。
 
 しかし、忘年会の雰囲気は私が若い時代の以前のもっと前の雰囲気をかもし出していてとてもアンチィークだ。

 皆で歌を歌い始めるところは歌声喫茶をほうふつとさせる。

 年配者が多いせいか、皆さん、ご馳走を余らせて食べない。私は容器にご馳走入れてもらって、持ち帰った。

 健康的な忘年会であった。


思い残すことはない(2009年12月28日・月)

 今日は劇団プークの忘年会で、行ってくる。皆さんと別れたのはだいぶ前のような気がするが、8月の紀伊国屋ホールの「牡丹燈籠」の人形劇から、まだ5ヶ月しか経っていない。

 時のたつのは早いというけど、こう考えると遅いともいえる。あの演劇から私はよく働いて、いろいろなことに遭遇している。

 充実した一年であった。思い残すことはない。

 身体を大切にして、長く切り絵作家としてやっていきたい。

 昨月から、酒を一人で飲まなくなって、自然に毎日飲むことがなくなった。それが、健康に良いという事になってくれていればいいんだが。


寅を作らなければ(2009年12月27日・日)

 そういえば、伊勢丹相模大野の展覧会の前に、作家の朝松健氏の100冊刊行記念のパーティが、東京ドームの近くで行われたが、私はその前に、新宿の宿泊予定のホテルに向かって、新宿駅の出口の階段に差し掛かった。

 ところが年配の酔っ払いらしい男性が、階段から落ちたらしく、頭からすごい出血をして倒れていた。駅員が3人が必死で声をかけていた。

 私が外に出る頃には救急車のサイレンがなっていた。どうなんったんだろうな。

 田舎に帰る予定を急遽止めた。まだしたいことがあるからだ。

 昨日は、埼玉伝統工芸会館に、私の商品ワゴンを取り付けた。一番いいところに据えつけたんで売れてくれればいいなあと思っている。楽しい看板もつけた。今日も持って行き忘れたものがあるんでいってくる。

 干支の寅を頼まれている。早く作らなければ。


スーパージャイアント(2009年12月26日・土)

 DVDを借りてきた。新東宝の宇津井健主演の和製スーパーマンのSFだ。私が本当に小さい頃の作品で、夢中で見たものだ。

 宇津井健の代表作といったら、ガードマンではなく、スーパージャイアントだと思う。

 大学時代に、池袋の文芸座でオールナイトの全シリーズ放映があったが、見に行った。場内は超満員だった。

 昨日日記に書いた、手拭い用ラックが完成した。われながら素晴らしくきれいに出来た。


常設ラック(2009年12月25日・金)

 埼玉伝統工芸会館(小川町)に、私の専用のグッズラックを置く事にした。これから増えていく手拭いを置こうと思う。

 手拭いにも、ランクがあるのを知らなかった。これから、もっと生地の質を上げていこうと思う。

 昨日は、そのラックを設計して、カインズホームで材料を切り出してもらって、制作を始めようとしたら、実業の日本社から、今日中に作品が欲しいということで、さぼっていて中途で止めていた作品に取り掛かって終えて、銀座にもって行った。

 京橋で、しりあがり寿さんの作品展があったので、一作小さくて安いのを買ってきた。

 中央公論のH氏と京橋の龍馬という店で酒を飲んだ。H氏の家が今年の3月火事になったと聞いた。出張先から彼のところに電話があり「Hさんの家が燃えているそうです」と知らせがあったそうで、夕方のニュースにも流れたそうだ。

 本人さぞびっくりしただろう。


忘年会(2009年12月24日・木)

 劇団プークから忘年会の誘いが来た。これは嬉しい。行く事にした。

 仕事でいずれ会えるが、懐かしいメンバーに会えるのが嬉しい。


やはり(2009年12月23日・水)

 やはり、伊勢丹相模原での13人展は、日付を間違えたチラシをカレンダーと一緒に送ったものだから、間違えていった人がいた。とても申し訳ないことをした。

 再来年あたりに、伊勢丹相模原での個展が実現するかもしれない。何とか、それでお会いできればと思う。

 埼玉伝統工芸会館の館内で、冬と夏の暑い時期に仕事の公開制作と切り絵即興ライブを計画している。春と秋は川越の土金(つちかね)の露天で、手ぬぐいを売りながらの公開制作をしているから、来年は土日は皆ふさがってしまう。

 その前に手拭いとか、Tシャツのラックを作ろうと思う。


(2009年12月22日・火)

 昨日はお酒を飲んだ。人とであるが。このところ、酒を飲まないから、眠れなくて3時間布団の中で悶々としている時がある。ついつい、ベストな時間に起きれなくて困ってしまっていた。だが、今日はまあまあの時間に起きることが出来た。

 睡眠がうまくとれないと、一日の計画が狂ってしまう。

 テニスクラブも変えた。以前行っていたクラブである。今度はクレーコートであるから、雨のあとは出来ない。前はオムニコートという雨以外で来てしまうコートで、朝7時からやっていて、年中無休だった。今度のコートは火曜日が休みだから、今日がその日に当たる。

 始まるのが9時だし、前ほどテニスが出来ないが、マニアックな私にはいいと思う。

 環境はすこぶるいい、住宅地の外れにあって森がまわりにある。鳥も沢山いる。 


舞台で踊る(2009年12月21日・月)

 望月吾郎さんという作曲家兼歌手を囲む会にいってきた。望月吾郎さんは知り合う前は、名前を聞いたことがなかった。しかし、一曲彼が作曲した作品はヒットしている。

 山梨出身の同県人だ。まだ、数回あったことがあるだけなので、知人といったところである。お客はご老体ばかりである。円テーブル席だったので、カレンダーを全員に配った。いや、「頑張ってね、応援するから」と励まされたりした。「いつもは何をしているの?」と質問もされた。

 絵描きは食っていけないから、どこかでバイトをしているか、本業があると思われたのである。

 最後はよさこいソーランに引っ張り出されて、舞台で踊る羽目になってしまった。派手な着物を着ていったから、不思議はないけど。


今年(2009年12月20日・日)

 確かに、今年は息をつく日がなかった。展覧会と同時進行で、いつもの依頼されている仕事をこなした謂わば、二毛作的な展開だった。
 来年も展覧会をどんどんやっていこうと思うので、その状態は変らないだろう。

 まず分かっている範囲以内で、2月28日から川越の岡田畳店で「歴史読本の連載作の展覧会」が2週間あり(岡田畳店での個展は、年に3回から4回ある)、3月の後半には山梨の切り絵の森のオープンがあり、そのごそこで5ヶ月間の展覧会がある。

 4月の初旬から20日くらいスペインで何かをしてくる。それについては後日報告したい。7月から8月の2ヶ月間は埼玉伝統工芸会館展がある。

 東京での個展のスケジュールを入れたいが、まだ依頼がない。

起きられない

 ずっと何ヶ月も緊張して仕事をしていたからか、気が抜けて早く起きられないのか。8時間は眠ったと思うが、よく眠る。まだ眠い。


テニス復帰(2009年12月19日・土)

 夏の手首の痛みもなくなり、先日慶應病院に最後の診察に行って、何もしなくていいことになった。勿論テニスも解禁である。

 昨日は、作り終えて講談社に作品をもって行った。宇江佐真理さんの「虚ろ舟」という単行本作品だ。

 そういえば彼女の「雷桜」という小説が映画化になるそうだ。その単行本は私がカバーを担当したものだ。文庫のほうは違うイラストレーターがやった。

 実はこの作品のカバーイラスト製作の時には思い出がある。カバーにイラストのメインは、赤ん坊がかごの中に入っている絵なのであるが、それはすらすらと描けたが、バックに稲光を描こうとして、どうしても稲光のいい造形が描けなかったのだった。

 結果的には、長考で、何日も考えてアイデアが浮かびとてもいい稲光が出来た。

 それだけではない。確かその頃彼女は、吉川英治新人賞を取って、授賞式で彼女の住まいである函館から上京していた頃で、私はその原画を見せに、その受賞パーティ会場に彼女に会いに行ったものである。

 とにかく忙しくて、着の身着のままで行った想い出がある。

 後日彼女は北海道新聞に「百鬼丸」というエッセイを載せてくれた。私の友人の友人が切抜きを送ってきてくれた。

 北海道に遊びに行く約束は何年も果たしていない。とても楽しみにしているのだが。


伊勢丹相模原展2(2009年12月18日・金)

 私にもファンがいて、展覧会には見えるが、伊勢丹相模原展には、宇野亜喜良の親衛隊らしい7人ほどが来た。

 最初この人たちは宇野さんとどういう関係なのだろうと不思議だった。大体が年齢、40歳前後なんだろうが、私のファンより若い。

 宇野さんはトークショーのあと、その人たちに囲まれてレストランで話をしていた。

 宇野さんが昔の展覧会の日にちとかを質問すると、ちゃんと暗記して答えたりしていた。マニアのようだ。
 
 今まで、横山明さんとか下谷二助さんとかに挨拶していた時、広告業界の仕事をしていないので、あまり私の認識がないのでそれなりの挨拶しか返ってこなかったが、多分これからは違うだろう。

 私の作j品を見て、何か、お二人とも私を認識した視線を送ってきたような気がする。

 これから彼らとの交流が少し始まると思う。

 今年締め切りの仕事が、昨日で終わったと思ったが、二つの仕事が入ってきた。ハツカネズミがくるくる廻るかごを走っているのと同じ気がしてくる。


最後のカバー画(2009年12月17日・木)

 今日の夕方に、東洋大学のスポーツ支援の団体の会議がある。私はそこの役員なので行ってくる。

 伊勢丹相模原の展覧会の昼ごはんは、社員食堂だった。自ら望んでいったのである。社員食堂というのはどんなだろうと好奇心がわくのである。伊勢丹相模原店の食堂に向かう通路は、女性用の下着の販売をしていた。「おおなるほど」とながめながら通った。

 社員食堂といえば、昔モデルのマネージャーをしていた頃の30年以上前、NHKの社員食堂を思い出す。私は営業でNHKに行ったのであるが、その頃は、NHKに入るのもチェックもなしでは入れた。それでも、何もおこららなかったわけだから平和な時代だ(出版社はビートたけしの講談社乱入から、ガードマンを配置して受付を通らないと会社に入れないようになった)。

 NHKの社員食堂は、ちょんまげを結った役者とか、著名な方が、当たり前の顔をして食事をしていて、とても楽しかったのを思い出す。

 伊勢丹相模原の社食は、当たり前だが、女性だらけだった。

 ところで、今回の展覧会は初対面のイラストレーターがいた。友達になれるなあと思う人もいた。

 「しりあがり寿」さんは、とてもフランクな人で、私の込み入った作品に感心していた。この人とは友達になれるだろう。


伊勢丹展(2009年12月16日・水)

      

 伊勢丹相模原展での13人展は、ずっと来ていたのは私一人だった。他の方は初日のパーティとトークショーの時だけだった。それも来ない人もいた。

 私はライブをするので、他の人とは展覧会に対しての気持ちが違うので仕方ない。

 初日のライブはリクエストに答えてということでやったが、まだのれなくていい作品が出来なかった。二日目は、切り替えて江戸の物売りの「草履売り」をしたが、これものらずに失敗。3日目は、「枝豆売り」をしたがまあまあ。4日目は「がまの油売り」をしたが、これが気に入って5日目は、一挙に3作を客がいなくてもした。

 それがこの作品だ。

 8作出来たら、「江戸の物売り」手拭いナンバー2を制作するつもりだ。


相模大野から帰って来た(2009年12月15日・火)

 数多くの想い出を作って、伊勢丹相模原店での時代小説13人展を終えて帰ってきた。

 ホテルに泊まりこんで、嬉しい旅行気分だった。
 
 今日は締め切りなので、日記はこれだけにする。日記を読めなかった方申し訳ありませんでした。


日記(2009年12月7日・月)

 私の誕生日が6月7日であるから、今日はその6ヵ月後である。半年で日記の束を交替させる。だから、今日から下にあった、これまでの日記7から日記8にこの日記は保存される。

 私は自分のHPを作ってから日記を書き始めた。何故日記を書き始めたかというと理由は二つある。

 まず、HPというのは、更新しないと検索の時に上位に出てこないと聞いたからだ。今だと、グーグルで「切り絵作家」で検索すると最初に出でてくる。「百鬼丸」でも最初に出てくる。

 以前は百鬼丸で検索すると手塚治虫さんの漫画「どろろ」の百鬼丸が上位に来た。

 理由の二つ目は、見に来る人が代わり映えしなければしばしば立ち寄らないと思ったからだ。

 絵なんて毎日できるものではないから、そうそうHPにアップできない。文章ならば、何とか毎日書けそうだったからだ。

 私のHPは自分で立ち上げたし、毎日自分で更新している。

 会社に委託すれば、お金はかかるし、毎日なんて更新が出来ない。とても不便である。

 それから、表紙があって、クリックしていろいろなところに飛ばすというのも面倒で、他の人のそういうHPだととてもいらいらする。だから、下にさげていけば大体あらかた見られるようにしてある。

 それから、全体に気どりたくない。出来るだけ、まんまの方が読んでる方が自分に投影できて面白いと思うからだ。

 私は「感覚がそれほど人とかけ離れていると思っていない」と思っている。