日記9
(2010年12月4日・土)残念
残念ながら、今日は河口湖美術館には行かない。かなり、人が私に会いに来る予定であるがしょうがない。小説現代の仕事を完成させたい。
今まで、日記を日記9に毎日格納していたが、一週間分最初のページにおいて置こうか。見ていなかった人も簡単に見られる。
そういえば、セカンドバックを持ったが、そのせいで手帳というものを久しぶりにもった。一度だけ、手帳を持った経験があり便利だったが、セカンドバックを持つ癖がなかったため、ポケットに入れていて不便を感じて止めてしまったのだったと思う。
ということでセカンドバックを持ったのであるが、それが使いにくいのでダンボールで作った。それを布で覆って、紐をつけてバックにしてみた。忙しいのであるが、それをしないと不便を余計感じてしまう。中の物は四角四面の中に納まるので、それはそれで便利であるが、不便なところも出てきそうである。
(2010年12月3日・金)海老反る
流行語大賞には間に合わなかったが、海老蔵のご乱交。
驕ること。自惚れること。生意気なこと。これを総称して「えびぞる」という新語を作ったらどうだろうか。
「てめえ、えびぞってるんじゃねえぞ」とかにつかう。
(2010年12月2日・木)まだまだ続く忙しさ
ほとんど全ての締め切りを締め切りどおりに終えたが、たった一つ閉め切り絵を守れていないものがある。小説現代のグラビアで「吉原」の現代の風景を絵にするという仕事だ。
下絵はもう七分ほどで来ているが、とうとう明日までに切り終えたい、というより「催促」が来た。
明日締め切りの月刊ジョイノベルスの仕事も、今日朝出して、今ごろついていることだろう。考えてみれば締め切りの一日前だったんだなあ。珍しいこともあるものだ。
一つ角川春樹事務所から文庫が入ったから、今月は文庫が3冊に「ゆずりは」の表紙ということで、4冊の仕事という事になる。まあちょっと忙しいかな。展覧会もやっているし。
そういえば、先ほど、山梨選挙区の参議院議員の「米長」さんから直接電話が来た。
私の友人を通して、「冨士山の切り絵を切ってください。米長さんにプレゼントをしたいんで」という話があったので、昨日完成品を手渡したのだった。
その内容は「蟻の富士登山」という作品だった。すごくいい作品だった。感激して米長さんが電話をしてきたということなのだ。
米長さんと山梨で戦った入倉さんを友人であることから応援したのであるが、彼も私の切り絵を持っているし、双方に私の切り絵が渡った事になる。
だが、率直に感激の様子をかたってくれた米長さんには好感を持った。
確か、私は3回ほどお会いしている。
この大変な国政、頑張ってほしいものである。
そういえば、「切り絵の森」の館長の製粉会社「はくばく」の会長「長澤さん」が、米長さんの後援会長なのらしい。私とも繋がりがないわけではない訳だ。
明日は、河口湖美術館は休む事にした。
(2010年11月29日・月)富士吉田ガイド
東洋大学セミナーハウス河口湖は、とても贅沢な施設だった。これからちょくちょく使う事になるだろう。
昨日は、英語教室一行は到着したきり、どこへも出ずに、みんなで宿泊室の一室に集まって飲みながらお話をした。いつも早い私は早々といっても、10時頃リタイアして睡眠をむさぼった。その代わり4時には目を覚まし、5時に仕事をし始めた。
セミナーハウスの中は暖かく、談話室というところで仕事をし、朝のテレビも見たりもしていた。
市川海老蔵のミステリアスな災難を各チャンネルが報じていた。完治して?どういう顔をして出てくるのかが興味がある。世の中をなめていたような顔だたと感じていたからなあ。
さて、9時にはそこを出て、7人は与勇樹美術館へ。相変わらずすごい人形ばかりだった。館の方々は私が河口湖美術館で方々は知っていて、というより河口湖美術館の学芸員も兼ねている方々だったから、全員無料ではいることが出来た。ありがたい。
それから、今度は冨士山のロケーションを見に、ホテルマウント冨士へ。皆さん絶景に大喜び。次は吉田のうどんということだったが、吉田ではなく、忍野の吉田のうどん店「渡辺」へといった。やはり、皆さん「うまいうまい」とつぶやいた。
その次は、吉田の宿坊「御師の家」の見学。往時の富士吉田の繁栄の象徴の富士登山のメッカの歴史を学んだ。
その次は、その富士登山へと向かう行者が参拝してから向かうという北口本宮冨士浅間神社へと参拝。富士登山者はここにおまいりして、登山からの無事を祈願していったところを見た。
それで終わりのつもりが、30分ほど時間があったので、ワインが沢山ある店と馬刺しが向かい側で売っている肉屋さんにいった。
それで中央高速を通って、今帰ってきた。
何とスムーズに案内することが出来たことか。次の締め切りをでも何とかしなければ。
(2010年11月28日・日)今から
英会話教室のバス旅行で、河口湖に行ってくる。一泊で湖畔の大石というところの東洋大学のセミナーハウスに泊まる。
今日は本当は帰ってこずに、美術館で仲間を向かえる予定だったが、今日は河口湖のマラソン大会で、美術館の周囲がランナーであふれ帰り、客が入ってこられないそうで、午前中は休業ということで、昨日帰ってきた。
それで、今からこちらから出発なのである。
明日帰ってくる。
(2010年11月26日・金)江戸吉原の面影なし
江戸の吉原があったところに行ってきた。
若い頃に除いたことがあったが、全部がソープランドで、客引きとかがいて、そのつもりで行かなかったし、お金もなく入り口で帰ってきたことがある。
吉原のソープ街も、私が初めて行った頃に比べるときらびやかさが亡くなった印象である。いたるところが、空き地になっていたからだろう。聞くと、不景気で店が沢山あったという。
客引きは、息を潜めたようにして、ただ目だけを動かして、通り過ぎる人が客になる人かどうかを伺っている様子だった。
私は取材ということをいうと、目の色が変り、少し仕事仲間的な会話が出来る。
「今日は、取材だけ、遊んでかないの?」「一番高いところで、8万くらいかな。1万円もあるけど、おばあちゃんばっかだよ」
街を通勤の女性が歩いているかと思ったら、どうも店が駅かどこかに迎に行っているようだ。車から女性が出てきて店に入る。ちょっと寂しい感じがした。
江戸吉原をの気配があるのは、町全体が一段周囲の町よりちょっと高くなっているところだ。それだけだった。
それに奥に入っていくと、旅館とか名はあるが、昔は赤線か何かだったんじゃないかという古い建物がある。
この吉原を小説現代の3月号のグラビア用に絵にするわけだが、何か不安になる気が刷るほど絵にならなそうなのである。
知らされた締め切りは、やはり、名目で、まだ時間があると編集者から知らされたが、私の推理道理である。
さて、少し絵を作らなければいけないだろう。
今から、河口湖美術館に出発である
(2010年11月25日・木)テニスが生んだ人生
カレンダーになった作品のイメージで矢ってほしいという依頼の文庫が、今回の一連で仕上げた中になったが、なかなか難しかった。
小さくなって、それに縦長の絵という事になると、難しいのかもしれないと思ったりする。まだ結論を出すつもりはないが、考えなければならない。
私の場合、頭の中で、絵の想像ができる。それは誰にでも出来るものと思ってきたが、そうではないらしい。
だから、着ていくものなんかも、それを来たら他の人がどう見えるかということを頭の中で像を結ぶことが出来る。それができないと絵はかけないのかもしれない。
一生修行だと絵でも、何でも作る事に関わっている人は言うが、その通りだと思う。毎年新しいことが頭に浮かんでくる。その度に新鮮さを味わう。
考える。それを学んだのはテニスだった。考えないとテニスはうまくならない。そして、それを絵に人生に応用してきた。
私はテニスによって人生が変ったといえるのかもしれない。
(2010年11月24日・水)
今日は昨日が祝日で振り替えの休館日だと思ったら、違うようで、私は間違って河口湖美術館を休みにしてしまった。
今日と明日は美術館を休む。
美術館はいろいろな人に出会う。お一人妹さんが秦野市でギャラリーをしているので、頼みに来るかもしれないという話が合った。あちら方面でやったことがあまりないんでいい機会なのかもしれない。
それはともかく、来年の個展は、小川町の埼玉伝統工芸会館・坂戸市のレボヌー・鶴ヶ島市の「ううふ」と三つが決まっている。東京と山梨で一つずつといきたいが、まだ話がない。私はお金を出してする展覧会はしない。
外国での展覧会が入ってくるかもしれない。
双葉文庫が終わった。今から宅急便で出すところである。
電話で依頼があり、小説が送られてきて、作品を郵送するというのが現在の装丁のパターンである。昔はそうではなく編集者が出向いたと思う。いいのか悪いのか。編集者との関係は希薄になってしまっている。
さて、次の仕事、小説現代に入る。今日は川越の切り絵教室の日である。
(2010年11月23日・火)充実した一年
順調にハルキ文庫が終わった。明日が双葉文庫の締め切りだがあと一時間ほどで終わるが、今から河口湖美術館に向かう。
しかし、本来明日締め切りの月刊小説現代のグラビアの「東京名所図会」の絵の締め切りでもある。吉原を絵にする予定であるが、まだ取材さえ行っていない。木曜日に美術館を休んで、行ってこようと思う。
何とか最短で仕事をして納めたい。その後の仕事のスケジュールをいうと、中公文庫の上田秀人さんの文庫カバーが入っているから、それにかかるはずだ。まだ原稿が来ていない。
その後、月刊ジョイノベルの連載作品・ゆずりはの表紙絵・新富士吉田市中央図書館の陶壁画(3m×4m)という事になる。
それだけの量だったら、すきすきのスケジュールである。早めに済まして、友達のすし屋に飾る絵の制作、似顔絵2点、はすとカエルの絵、それからもう一つの絵と個人的な絵が多くなるが済ましたい。
いずれにせよ。忙しい12月になりそうである。
来年は、現在3回の個展が予定されている。外国に行く話もある。来年も今年と同じように飛ばすことが出来たら満足な一年になる。
だが、一年が早いなあ。早すぎる。
今年の箱根駅伝は、テレビで観戦しよう。例年通り、暮れも正月もなく働きながら。
(2010年11月22日・月)無料入場券
河口湖の紅葉がきれいだった。
河口湖美術館の平日の入りは、想像以上に少なかった。県民の日の土曜の入場者は無料ということもあって多かったが、町中渋滞の車の割りに日曜日も入場者がそれほどでもなかった。
後一月の展覧会期間だから、何とか口コミで来場があれば良いが。
まあ私はとにかく、出来るだけ会場には張り付く事にしている。
会場に張り付いて楽しいことは、スタッフとの交流である。初めて合う人ばかり出し、また、絵が好きな方ばかりだから、交流に無理がない。
今日は締め切りで、今から作品を仕上げる。今日はだから、美術館は欠席。明日の朝また出かける。
24日水曜日は、休館日で私も双葉文庫の締め切りである。木曜日はまた美術館であるが、24日の締め切りの小説現代が、やってない。まだ吉原取材をしていないし下絵も描いていない。大丈夫だろうか?
その進行具合によっては、美術館への足が止まる事になるのかもしれない。
美術館にお運びご希望の方は、無料入場券がありますので、メールにてご連絡下さい。
(2010年11月19日・金)臨時に帰ってきた
切り絵の森から、グッズを取に行ってきたが、帰りの山道がしんどそうなので、富士吉田には行かず、埼玉に帰って仕事をやっていた。
だから、今日一日、河口湖美術館は休んだ。今から山梨に出かける。
土日は、美術館が混むのだろう。どうなのだろうか。
もう行く時間である。本当は電車とかで行きたいが、あまりにも時間がかかるので、止めている。
(2010年11月17日・水)今日から河口湖美術館展出動
次の締め切りは22日のハルキ文庫。下絵は終わった。20日にでも上がるようだったら、埼玉に戻ってくる。立体だから、時間がかかる。無理かもしれない。
今日から河口湖美術館展に出動だ。
荷物は積み込んだ。展覧会が楽しみだ。
いってきます。
(2010年11月16日・火)
二日間日記を書かなくて申し訳ありません。
今日は、午前3時から仕事をした。特段珍しいことではなく、2時からはじめるのが理想的な形だ。
だけど、最近よく眠れて、寝過ごすことが合ったりするが、寝過ごすなんてことはあまりなかったから、悪いことではない気がする。
だいたい睡眠時間は6時間だから、何時頃眠るか想像つくだろうと思う。
とにかく日常が仕事だらけである。ただ、酒を飲んでるときとテニスをしている時は仕事を忘れる。
一年をとおして休もうと思っていないが、その代わり一日の中でそんな休息をとっている。
そんなわけで、今日はもうとっくに終わっていていい、講談社文庫を宅急便で出してきた。とっくに下絵は終わっていたがサイン会とか雑務が沢山あり、完成できなかった。
今日は、その雑務ばかりを昼間やりたいと思っている。この日記を書くのも雑務である。カレンダーの送付とか額入れとか、雑多なことは沢山ある。
明日は河口湖美術館に行くから、車に作品を積み込まなければならない。あちらではライブもするし、負担の仕事をしなければならない。私の展覧会は忙しいのである。
話は変るが、先日、東洋大学のテニス部時代の一つ上の先輩が来た。この近くの毛呂山というところにお母さんと住んでいる土地っ子である。
その彼がスナックに行って、そのママが切り絵をしているということで、私の名前を出したのだそうだが、私の名前を知っていたらしい。
そのママ方が、私の切り絵と自分の切り絵とは「流派が違う」といったらしい。
先輩は切り絵に流派があるなんて聞いたことがないから、すごい疑問を持ったらしい。素直な疑問である。
その切り絵の一派というのが、群馬の後藤さんという方を大先生として、全国組織を作っている切り絵団体なのである。
その手法というのは、写真を撮ってきてそれを拡大して、トレシングペーパーで映して、白黒のゾーン分けをして切っていくというやり方なのである。
デッサンをするという過程が抜けている手法なのである。これであれば、絵が掛けない人でも切り絵が出来るのである。
だから、「流派が違う」のである。
ただ、それで満足できない人は困る。その組織から出るのも大変な勇気がいる。大変だろうが、後の憂いがないような、自分でデッサンをして切るという切り絵の当たり前の手法を、ちっちゃな作品からでもやってほしいものだが。
ただし、その手法で満足している方は大いにおやりになっていいのだと思う。ただ展覧会のときは、デッサンをしてないことを入ってほしい。でないと、来た人は皆デッサンをしてやっている作品だと勘違いするからである。
切り絵の手法の狭義的なものに「一枚の紙をつなげて切る」のが切り絵というのがある。ただ、広義的に解釈すれば「紙をはさみかナイフで切る」とうのも切り絵であるのだ。それが、平面であろうが立体であろうがである。
狭義を振りかざして私の切り絵を見る方の視線は、敵対意識で一杯であるし、私の展覧会には顔を見せない。
(2010年11月13日・土)サイン会
さあ、恒例の東京工芸社サイン会。鶴ヶ島市の太田ヶ谷公園で市の商工会祭りがこの時期開催されるが、その時、東京工芸社が一ブースをもらって、カレンダーを只で配布している。
それで、一時間だけ私が借り出されてサイン会をするのである。
屋台も出るから、何か食べてこよう。
さてと、着物に着替えて。
(2010年11月12日・金)さあ、今日も
今日、河口湖美術館展の葉書を出す。全部で2000枚すった。
いつものことだが、どこに出そうか迷ってしまう。当然近場は出すのだが意外にくるのが遠くの人。その選別が難しい。
もっとも友達・知人・仕事関係にカレンダーを出した時に、展覧会の案内を同封したから、その人たちにはいいのだろうから、展覧会に来た人たちに出せばいいという事になる。
残念ながら、来週の水曜から私は美術館にいるようになる。きっと初日に来る人もいるだろうが、申し訳がない。
明日は鶴ヶ島で東京工芸社の私が作った自社カレンダーのサイン会である。二日間だが、沢山人が来れば良いなあと思う。
(2010年11月11日・木)肩こり、久しぶり
今日は朝から、肩がこっている。仕事も調子が悪かったが、何とか一つ終えて、宅急便で送れる事になった。
二日前に、中公文庫一冊。昨日双葉文庫一冊・ハルキ文庫一冊の依頼があった。ハルキ文庫は今月18日だという。急な話だと思うが、このハルキ事務所はいつも間際である。
ハルキ事務所は、書き下ろしの文庫が多そうだから、作家が書けなければ、他の控の作家のをねじ込むというのもあるんだろうと思う。
このペースでドンドコやっていこうと思う。
さて、先日、某大学の準教授と呑んで話をしたが、昨今の学生のことで悩んでいた。とのかく、何か学生のために企画しても、学生は出席しないのだそうだ。ためになることをである。
そしてその欠席の理由が、バイトということが多いそうだ。何にも優先してバイトなのだという。
学校よりバイトの方がお金も入るし、面白いんだと思う。それは事実だろう。
もう、学校で勉強したいという歳ではなくて、実践の年齢なのである。大学に行く人は学者になるとか、企業の研究者になる人だけでいい。親の人生を掛けてまで、親に負担がかかるという価値はない。私なんか、建築の大学を出て、絵描きである。大学を出たからたどり着けたということもあるが、でもあの四年かの全く充実していなかった生活を思うと、その4年間がもったいなかった気がする。
大学生は、皆バイトをして社会勉強をすればいい。大学より、バイト場所の方が彼らにとって大学なんだと思う。
大学は単位をとって、行きたい会社に就職するためのものだと思えばいい。授業なんかいらない。それじゃあ先生方も、かわいそうだから、何か方法を考えなくてはいけないけど。
とにかく、大学の先生は幼稚園の先生みたいになっているらしい。
(2010年11月10日・水)次々クリアー
無事に光文社文庫をクリアーした。今、講談社文庫とザブン賞のiイラスト2点を同時進行でやっている。
講談社文庫の下絵も、4時間かかって作った。かなりシンプルな作品だが、店頭でその効果を出してくれるだろう。
あとは、会員誌ゆずりは正月号。まだ下絵もやっていない。
それが終わって、今度は富士吉田図書館の陶壁画のイラストに入る。個人的に頼まれた似顔絵2点と蓮の花とカエルの絵もやらなくてはならない。
河口湖美術館の出席が来週の水曜からになる。いろいろ忙しいことがあり、しょうがない。展覧会の葉書も作った。遅れて送る事になる。その作業も大変だ。
NHKの朝の連続ドラマを見た。主人公の女優より、富司純子とともさかりえがとてもいい。ともさかりえの味のあるちょっとゆがんだ顔と表情がいい。
(2010年11月8日・月)光文社文庫
いい天気が続いている。
今日は、光文社文庫の正式な締め切りだが、残念ながら、明日にしてもらった。
ゆずりはの表紙・講談社文庫・ザブン賞の絵・小説現代のグラビアとまだまだ続く。そして、13日からの河口湖美術館展。私は14日の午後から行くことにするが、直前になるまでどうなるか分からない。
スリルのある毎日が続く。そういえば、カレンダーの注文が来ているが、遅くなりそう。
(2010年11月7日・日)東洋大学ライブ
東洋大のOB会が、東京の白山、本校の食堂で開かれた。私は切り絵のライブで参加した。
昨日の山梨切り絵の森から、今日の東洋大と何とかイベントはクリアーした。今度は9日締め切りの光文社文庫だ。
綱渡りだが、充実した日々を送っている。
皆さんは如何ですか。
昨日の山梨は、その日午前12時から働いて、作品を仕上げた。そして山梨切り絵の森へ。もうその時点で、疲れていた。
今開催中の仲間、「にい・みずよし」「柳澤京子」各氏とあうのが楽しみであった。
行って、少しの間だが「にい・みずよし」氏と会い、柳澤氏とも会った。久しぶりでもっと話をしていたかったが、こちらはクタクタになっていた。
車に積んであった、次の展覧会の河口湖美術館に搬入をそれからして、埼玉に帰るつもりであったが、とても眠くて無理だと判断して、実家に泊まった。
慌しい一日であった。
(2010年11月6日・土)山梨出発
今日は、山梨の切り絵の森のライブ。その前に河口湖美術館の展覧作品の搬入をしなければならない。
一人で車に作品積み込み、このアトリエが3階であるのが恨めしい。
もしアトリエを引っ越すとしたら、今度は一階にしよう。
テニスをしたいが、この二日間はできない。明日は東洋大学の入学案内行事に参加してきます。展覧会とライブをする。ちゃんとギャラが出る。
さあ、今日も一日頑張りましょう。
(2010年11月5日・金)忙しいというのに
忙しいというのにテニスをした。雨ばかり降って、それに土のコートでなかなかテニスができなかったから、無理して行った。
ちょっと前に、学生時代のボレーの握り方を発見した。そのグリップで、バックのドライブが出来れば、完全に大学4年の時のプレーができる。まだ、バックのドライブはまだだ。
歳のせいで力は落ちているだろうが、技術はまだまだ伸びる可能性があるという信念がある。
やはり、今日やってみたが、当時のショットがいっぱい出た。面白いように決まった。バックのスライスも良かったが、グリップを見つけたため、さらに良くなった。
フォアボレーにも影響がある。かなりよくなっている。確信の領域に行くのは、もう少し上級者をどんどん負かしていくことだ。
これからは、どんどん上級者に挑んでいく。たぶん何人かをゴボウ抜きしたと思う。うちのテニスクラブで、私より上位者が、もう少なくなってきているのだろう。若者も含めて、もう3人くらいだろうか。5人くらいだろうか。腕試しをしてみたい。
テニスがますます面白くなった。
あと残るのは、大学1年のときに全盛だったスマッシュだ。まだまだ完璧じゃない。
(2010年11月4日・木)一日延びれば何とか
昨日無事に、文庫を一つ納めて、今朝、ジョイノベルスの連載挿絵を仕上げて、宅急便で送った。
さあ次は、集英社文庫二冊。今日の締め切りだが、無理そうだ。明日の朝に
(2010年11月3日・水)酒飲んでうだうだしたい
昨日は予定通りの締め切りをこなした。何とか良い作品ができたなあ。
この調子で年末まで頑張ろう。いやよく働いた一年だったなあ。
温泉でも行って、昼間っから酒を飲んで、うだうだするのが良いのかな。手っ取り早いのは「切り絵の森」の近くにある下部温泉かな。
(2010年11月2日・火)今日締め切り
いつも締め切りが守れない。しかし、このところ少しそれが解消している。
今日は、幻冬舎文庫の締め切りである。ただし、やりきれない場合は4日でいいという話であったが、今日の出来上がりとなった。まだ完全には終えていないが、出来上がるだろう。
次は4日の集英社文庫なのだが、その下絵はもうほとんど終わっている。
がその前に、NPOのザブン賞の最優秀賞の文章のイラストを同じものを二点というものをやり終えたい。ザクっとした下絵は終わっていい感じなのであるが、切るための下絵には程遠い。
多分その終えたいというのは、希望的観測というのだと思う。私はとても楽観的で、いつも仕事を読み間違ってしまう。
とのかく、4日に集英社文庫を終え、すぐ、「ゆずりは」という会員誌の表紙をし、その後講談社文庫・光文社文庫と続けたい。
この間に、山梨の切り絵の森でのライブ、東洋大学でのライブ、13日からの河口湖美術館での展覧会の搬入もある。
おっとその前に、月刊ジョイノベルスの挿絵がある。4日締め切りだったはず。
12日に小説現代のグラビアの締め切りもあるはず。まだ、テーマの「吉原」に取材に行っていない。
いや、忙しいなあ。乗り切って、遊ぶんじゃなくて、部屋の片付けとか、雑務をこなそうと思う。
そうだ、領収書の整理も半年していない。展覧会が年末まで続くし、これをやり終えるのは、ひと仕事だ。
仕事が来なくてもいいから、それだけ空いている時間が欲しい。
(2010年11月1日・月)雨漏り
あんまり入っていなかった本箱の上が、雨漏りで、あまり本が入っていなかったので良かったが、少し被害を受けた。大家に今度こそ言っておこう。
昨日から下絵を書き始めたのが、終わり、今日は切りと立体だから、組み立てに入る。しかし、もう切り・組み立てには入ったのであるが、どうもやる気が出なくてはかどらなかった。それで、次の締め切りの方の下絵をやっていた。
下絵は楽だから、方向は定まったし、面白い作品ができそうである。 面白い作品と言っても、最近なかなかHPにアップしないから、HPの読者も、退屈だろうと思う。申し訳ない。
ポプラ社の小説新人賞に芸能人が受賞したようであるが、ポプラ社は児童書の出版社。なんで、大人の小説の賞なんだろうと思うが、子供が少なくなっての、将来のことを考えてのことだろうと思う。
出版の世界も大変だと思う。
(2010年10月31日・日)錬金術
通夜・葬儀・弔電ありがとうございます。
子供のころの家族のことを思い起こすと、涙が流れます。本当に幸せな子供時代でした。
これから、兄・姉・私、母の死をむかえ、ますます結束して生きていくことになると思います。
今日から、いつもどうりの仕事に戻ります。たくさんの仕事が締め切りが次々にやってきます。粛粛とこなしたいと思います。
小説の挿絵というものを、今は少ないがやってる。中のページだ。この仕事は挿絵画家としての人気のバロメーターである。それが少なくなったということは、挿絵界での人気が今ひとつだということになる。
一時は、その人気は大変なもので、毎月10日前後が締め切りの月刊小説誌のほとんどすべて、毎月連載でやっていた時代がある。(ある集まりで、隣に座った方に声をかけたら「俺は農業文学賞?をとってるんだ」と言って、私は叱られたことがある。私が声をかけただけである。その後自己紹介の時間になり、私が、連載誌を列挙して話をしたとき、その方は「そんなはずはないはずだ」といい、怒った顔をむけてきた。お別れして、後日、私がいったことが真実かどうか調べたらしく、「失礼をいたしました」という手紙が来た。その方、もしかしたら、何か精神的ご病気だったのかもしれない。まあ、その例のように、本当に私はたくさんの月刊誌に連載していたものであった。)
だが、そのギャラはとても安く、受ければ受けるほど、大変な生活になるということもある。私のように、凝ったりしているとなおさら大変である。
そんなことから断ったということではなく、自然になくなっていったのである。つまり、人気がなくなったのである。いろいろ理由があるだろうが、一つわかるのは、最終で私の苦手な分野の仕事が、重なって入ってきて、それで、人気がなくなったということが確かにあると思う。
歌舞伎の仕事、スマトラか何かの時代小説、官能の絵だとか。とにかく絵が浮かんでこないんだから、描きようがなかった。
カレンダーをお持ちの方はお分かりの通り、挿絵のスタイルが少し変わった。
このスタイルは、本のカバーがにも通用しそうなのである。
兼ね兼ね、挿絵が、そのままカバーの仕事になったら、時間もとらず、理想だなと思っていた。
表紙と中の挿絵というのは、これまではかく然と力の入れようが違っていた。
他のイラストレーターの方はどうなのか分からないが、私はそうである。
立体は確かに時間がかかる。しかし、一日一つのカバー画を完成するというスピードがついたら、とてもありがたいことだ。そんなことができるものなら、やってみたい。
これから、そういうこともできるのかもしれないくらいスピードが付いてきている。下絵を昨朝4時から8時まで、集英社文庫の花村満月著のカバーの下絵を、4時間で上下巻の二冊を描き終えた。それも、とても良い下絵だった。
平面の作品であるから、多分一日一冊ということになったはずであったが、母の葬儀があり、昨日には完成することができなかった。今日はその仕事を、中断して、11月2日の締め切りの仕事を優先させる。
その下絵も、今、だいぶ出来上がっている。これは立体作品だから、手間がかかるが、何とか一日でという目標の範疇にはおきたい。
前々から、私は好きで切り絵をしてきたわけではないといってきた。それは確かだ。本当に絵が好きだったら、中学高校で美術部に入って活動をして、美大にも進学していただろう。
切り絵を始めたときは、絵を描くのが不自由で、本当に「労働」という言葉の重ったるいニュアンス通りの作業の毎日だった。
今は、その頃に比べると、軽く絵が描ける。それはこれまで、とんでもない量の仕事をしてきた賜物である。
そんじょそこらの絵描きが到達できないほどの技術の到達点に来ているのだろうと思う。この仕事の量の多さは、多分挿絵をしている人間じゃないと到達するのが無理なのではないだろうか。私は、天才なんてうぬぼれた気持ちはない。もし天才だったとしたら、天才の中の一人である。
あるいは、この到達点は本当に絵が好きで、デッサンに没頭してきた天才的がな画家くらいなのではないか。
話は変わるのかもしれないが、展覧会をしていると、小学中学の同級生が来て「文昭より、俺の方が絵がうまかった」という奴が現れる。私は、絵の資質は子供の頃の上手い下手とうものばかりでない、後天的なものも左右するだろうと思うが、やはり、私より才能のある人がいたに違いないと思っている。
ただ、そういう人が、私と同じように才能に気がつかず、他の職業に従事しているとか、やむおえず、稼業をついだとかのことがあって淘汰されてしまったとうことがあるだろう思う。才能がその才能通りの職業につくというのは、なかなか至難の技なのである。
それに、才能だけでなく、私は錬金のすべも知っていた。これは、私が、モデルのマネージャーをしていて、今の出版社にすでに出入りしていたというラッキーがあったからだ。
ただ、錬金といったが、たいした錬金の金額ではなかったのであるが、絵で食べていく大変さを考えたら、とてつもなく30年プロでいたことは、凄いことだと思うのだが。
(2010年10月28日・木)母死去
連絡があって、数分で亡くなったようだ。私は、臨終に立ち会えなかった。87歳。
甲府生まれの、国鉄マンの家に生まれて、男4人女3人の兄弟で、長女だった。
旧姓は深沢。リュウマチを若い頃に病んだり、結核だったりしたらしい。リュウマチということでわたしも、甲府の病院通いのときに、連れられて、甲府の幼稚園に行っていたりした。
富士吉田に、おばさんが嫁いでいたことで、その世話で、富士吉田在住の教員の父・忠逸のところに嫁いだ。見合いを一度して、そのまま結婚、富士吉田に住んだ。
当時興隆だった、機(はた)を覚えて、家で、機織りをしていた。それは私が高校卒業まで続き、子供3人を大学までやる資金源を稼いでくれた。今考えたら、自分を犠牲にしてそこまで頑張らなくていいと思うが、この世代の父母は、子供を大学までやるということが、親の甲斐性と頑張った。
その上、子供からは面倒を見てもらえず、老夫婦の二人住まい、あるいは独り住まいといくことにさらされてしまった、そんな世代である。
その上、父とはあまり仲が良くなくて、毎日喧嘩をしていた。そんなこと書かなくてもいいと思うでしょうが、この喧嘩は、家庭内の雰囲気をとても悪くしていたし、私たち兄弟にも大きな悪影響だったんで、特筆したい。
私が、たまに学校を休むと、嬉しかったらしく、「たまにはいいよ、いいよ」頬ずりをしていた。たまな私の休みが、母親の保養になったらしい。
晩年は、サルコイドウシスという膠原病の一種にかかり、ステロイドを飲み続け、5年前に胃癌にかかって手術をした。
実家は兄が継ぎ、父母に孫も沢山出来、幸せな生活だったかもしれない。
若いときに私は、職が不安定で心配をかけたが、今は自慢の息子になっていたと思うが、まだまだ、現実はそれほどでもない。
明日、18;00に富士吉田シティホールで通夜、土曜日15:00から葬儀となっている。
ひとつ締め切りを終えて、通夜に臨みたい。
(2010年10月27日・水)帰郷
母危篤。
(2010年10月26日・火)今は昔の光景
ふと、授乳しているお母さんの姿を最近見ていないなあと思った。最後に見たのな、中央線の田舎に帰るときに見た電車の中だった。
私も若かったし、当然授乳している女性も若い。目の前ではなかったが、見るのをためらったものだ。
同じためらうのに、共同風呂に小さな女の子が入っているときだ。見まいとするので鬱陶しくて、いっそのこと入って来ないで欲しいと思うのである。
といっても、授乳は私が子供のころ頻繁であったので、それほど鬱陶しくはない。むしろ、もっとやって欲しいとおもうくらいだ。
私は母からの乳離れはかなり遅かった。最後は南蛮を乳首に塗られて、こりたことがあり、それで、母親のおっぱいから離れた。
もう見かけなくなった光景に、ばあさんの立ち小便がある。これは、下着をはいていない着物の時代の終わりと共に姿を消したといっていい。そういう時代ではないという前に、物理的に消えざるをえなくなった。
最後に見たのは、40年くらい前だろうか。畑の2メートルくらいある石垣に向かって、3人の着物姿、それも黒の紋付だったと思うが、3人揃って、立ちションをしていた。
それを写真にとっていたら、どこかのコンテストに入選するんじゃないかとおもわれるほど、見事に動作が揃っていた。それに、衣装が着物で黒でと揃っているわけであるから、何かショーを見ているようだった。
当然、立ち止まって見ていて、終わってからこちらにいっせいに視線を浴びせかけられたら、たまったもんじゃないから、そそくさと通りすぎたのであるが。
今日は仕事が忙しくて、吉原の取材はやめようと思う。明日には仕事を収めたい。
(2010年10月25日・月)久し振りの文庫
かつて、集英社文庫の編集者で、自分の仕事の文庫のカバーを全て私にまかせた人がいた。
もうなくなってしまったが、その頃は集英社文庫のカバー絵のかなりのパーセンテージをたんというしたものである。今では珍しい、ノンフィクションの本多勝一氏の文庫のカバーまでやっていた。現代ミステリーも、富島健夫さんのHなやつもである。
最近は、ほとんど仕事がない。花村満月さんの文庫が上下巻で二冊入った。
のんびりと思ったが、文庫が4冊の依頼になった。それも近頃珍しい取り合わせだ。講談社文庫・幻冬舎文庫である。締め切りが、とんでもなく早い。3冊は11月の頭、一冊は半ばである。展覧会もあるし。
しかし、こんなに忙しくなると、これが仕事の意識になるから困ったものだ。先日、展覧会が「仕事」という意識になったと書いたのにである。
とにかく本の仕事は手間がかかる。早く済ませよう。
(2010年10月24日・日)フィギア
浅田真央が、フィギアでひどい演技だったが、それはともかく男子の高橋にしても、キャラクターの魅力というのが、私には感じられない。単なる若者が、演技を上手にこなしているという感じである。
玉三郎が、出てきた頃の若者ゆえの色気というようなものが、ないとつまらない。
もともと、若者に人生を渡ってきた魅力なんてものはあるはずはないから、初々しい魅力というようなものが似合うんだと思う。
若者もトップになると、別の意識が出てきて、初々しい魅力が消えてしまうのだろう。
ジュニアの昨年の優勝者の日本人は、凛々しい顔をして高橋なんかより、いい面構えをしている。
そんな表情も、いつまでも続いて欲しいが、どうなんだろう。
私も表現者の一人であるが、本当に見てもらうということを考えると、人間というものはどういうものだろうか?日本人はどうなのであろうかと、さぐらなければいいものは出来ないと思う。
私は、内向きの絵を書くタイプではない。見る人を楽しませようとする絵かきである。だから、イラストレーターには向いている。たしかに。
江戸時代は、地面にちゃんと足をつけて、絵を作る側も、見る側もいたと思うが、明治になって、洋画が入ってきて、作る側も見る側も、文字通り浮き足立ってしまった。
本当に、見る側が何を観たいのかを、言わず語らず、考えて、見せる側も見る側も何とか大満足の瞬間を迎えたいと思うのだが。
私は、この日記で、誤字が多い、らしい。あんまり何度もチェックする時間はないから、それも味と思って読んでもらいたいと思っている。
むかし、芥川賞作家の女性「山田・・・」さんから、ハガキをもらったことがある。カレンダーをもらったお礼の手紙だったが、そんなに長くない文章の中に誤字が二つあった。
そして、志茂田景樹さんに昔質問して、字が間違ったり、下手くそだったりして出さないより、それでも出したほうがいいんでしょうかと質問したら、「出したほうがいい」と答えてもらった。
それから、私は誤字を全くではないが気にしなくなった。
(2010年10月23日・土)仕事という意識
これまで、仕事というと私の場合頼まれ仕事をさしてきた。
それも、主に出版の仕事だ。この頃は他の頼まれ仕事もある。言わば、切り絵という手法のイラストレーターである。
最近の私は、展覧会がかなりの年間で日数を占めている。それで、「自分の仕事」というのが、展覧会に移りつつあるというのがある。
これはいいことだと思っている。
それこそが私の本来の目標であった。
(2010年10月22日・金)笛吹けど踊らず
日本文芸家クラブの旅行の二回目を、事業委員長として企画した。行き場所は山梨県の河口湖一泊である。
前回の山梨旅行日帰りは、希望者ゼロで没。今回は志茂田景樹さんともう一人の会員の二人だけの現在希望者だけである。
多分、この企画は実現しないのかもしれない。
私はこの会の中では、実質入っている期間は長いが、出席していなかった。だから、会員と親交を結んでいる人がほとんどいない。
多分そのハンデが出たんだろう。
しかし、事業委員長のキャラで、人が集まったりするのも情けない話であるが、人が集まるのは確かに、行く人によってつられるものだろうからしかたがない。
事業委員長が人気を問われるものだとは承知していなかったが、ということで、今後の私の努力次第というわけだが、その努力というものも、お金になるものでないので、何ともおもはゆい。
これに懲りずに、企画をたて続け、いつかみんなの笑顔を見るのが目標ということになる。
さあ、やってやろうじゃないの。
(2010年10月22日・金)胡蝶蘭
アトリエの部屋が夏、暑過ぎて、ミニ胡蝶蘭が元気がなくなっている。春の勢いからしたら、花が咲くはずだったのだが、枯れはしないが全然夏から成長していない。
他に埼玉伝統工芸会館の前の展覧の方が置いていった胡蝶蘭をもらって今順調に育てている。これからが大変。温度管理である。昼は暖かいから良いが、夜である。
だが、楽しみだ。何とか花を春咲かせたい。
語学、英語ばかりでなく、色々な国の言葉を覚えたい。何とかならないだろうか。とにかく毎日やる、習うより慣れろ、そんな言葉を思ってやっている。
(2010年10月21日・木)カレンダー
毎年の恒例の、東京工芸社という印刷会社のカレンダーの仕事がもうすぐ出来上がる。
そのカレンダーのテーマが鶴ヶ島のお祭り「龍神祭り」なのである。もう10年以上も、そのテーマで追っかけているわけだから、最近はどんな絵にしようか、考えるのが大変である。
今年は、龍神を池まで運ぶ行列をかなり引いた絵でやってみようということにしていたが、カレンダーを横位置にできないということで、悩んでいた。つまり行列の横にぞろぞろ歩いている、その長さの魅力を絵にしたかったのだが、それが、縦長の絵になるとしたら、魅力が半減してしまう。
そこで、考えていた絵を止めて、3等身のマンガチックな絵をすることにした。ドクタースランプあられちゃんである
その下絵を送ったが、明るいカラフルということで歓迎してくれた。ほっとしている。
昔、白黒の地味な作品をやったことがある。それはある目論見があって制作したのである。切り絵の上に薄い和紙を乗せて、撮影してほしいとカメラマンにお願いしたのである。
その後、写真を見た私は、体中がひやっとした。「私がお願いをしたように撮影すると、こんなにひどいものになるんだ」と申し訳ない気持ちでその場でいたのである。印刷会社の人も、何も言わないが、「手を抜いたな」と思ったらしく、社内にそれなりの雰囲気が漂っていたのである。
そして、前もって話があるのが常識であるのが、作品を収めた後、ギャラを20パーセントも安くしてくれといってきたのである。
私は、その時点では仕方がないなという気持ちだったと思う。そして、カメラマンに電話して、カメラマンと話をしたところ私が目論んだ通りの撮影をしてくれていなかったことが分かったのである。ただ単に、和紙の上に切り絵をのせて、何のことはない背景を和紙にしただけの撮影をしたというのである。
カメラマンがそんなことをしてくれたもので、とんでもない安っぽい作品になって、私の目論見が外れた写真が出来上がったということなのである。
それで、この作品を私が望んでいた通りの撮影をやり直してもらって、カレンダーにしたのであるが、それが、今も印象に残る名作カレンダーになったのである。
勿論、次の年はギャラを元に戻さないとやらないと私は伝えて、もとに戻してもらった。
今はカレンダーの数字、会社の名前を切り絵で、カレンダーの全体のデザインもやっている。サイン会も無料である。ギャラはそのままである。
毎年新鮮な、作品を提供するというのが、カラフルとか豪華とかの前に一番大切なことである。私の大変さは、そこにある。
(2010年10月20日・水)友練馬から来る
昨日は、中学の同級生で、同じ美術を職業にしているということで、桑原が来た。
彼は父親が、富士吉田では珍しいプロの美術家だったのだそうだ。岡本太郎やもうひとり誰だったかが河口湖の来て、、彼らと交わることで、目覚め父親は絵描きになったのだという。
家は貧乏で大変だったという。
桑原は私と中学のとき口を聞いたことがない。顔は覚えている。
ある友人を介して、お互いに知っていたが、会うのは口を聞くのは初めてということであるが、実はそうではない。
彼が、朝日アドという広告会社にいたとき、私は彼にモデルを売り込みに行っているのだ。だから、彼と一対一で話をしているのである。しかし、その記憶がないという。当時はそのくらいの存在感の私であったのだ。それは仕方がないと思う。
ということで、二人の思い出をひきだそうにもお互いにないから、共通の友達も多いからその消息とか、これからどうするとか、今どうしているとか充実した話をした。
一軒目は、鶴ヶ島の至宝「ますみ」。魚がうまい店。
二軒目は、知るひとぞ知る謎の店「べにや」。ママがなかなかいい。しかし、二つも、安いお店である。
桑原は、芸大3浪のあと、デザイナーとなり、私があった頃は、まだそのデザイナーになったばかりだという。その後、朝日広告賞をとり、はぶりの良い広告ディレクターだったらしい。バブルのころは、すごかったのではないか。
これから、何回もあうことになりそうである。
ただ、アトリエで私の切り絵を見せたが、たぶん予想以上の作品だったんだろうと思う。桑原はそんな表情だった。
べにやの常連のUさん、とても糖尿病が進んでいる様子、私の恩人である。昨日は目に注射を打ったということだ。目にもう来ているのかな。声も枯れていた。
(2010年10月19日・火)明治は面白い
この間の、群馬の作家で二年間の歴史読本での連載を一緒にした水澤龍樹氏との、ツーリングの写真をアップできない。
細々と忙しい仕事があり、中々作業ができない。
ちょっと遅れているが、人物往来社のノベルスの仕事に今日から入りたい。このノベルスの作家の作品は一度講談社文庫あたりでやったことがある。なかなかミステリアスで、引きこんでくれるのでありがたい。
明治初期のカメラ屋さんが、実は剣豪で、西郷隆盛の顔の隠し撮りを政府から頼まれたりして、事件に巻き込まれたりする。
明治の話は、意外に知らなくて、小説でその当時のことを知らされて驚いたものだ。
徳川幕府が崩壊して、江戸詰めの大名や藩士たちは、街道を下って国に帰り、代わって、官軍の兵士たちが江戸に向かってくるわけだ。
一時的に藩邸なのど建物が空になり、調度品が盗まれたり、また売られたりしたらしい。日本のものというのがうとんじられていた時代なのだと思うが、日本の貴重な文化財が横浜から外国に大量に流れていった時代だったようだ。
また、ラジオ深夜便で、野村正樹さんという知り合いの作家が、前に話していたが、先日行った群馬の八高線なんかも、群馬の生糸を横浜に運ぶ為に作った線路らしい。秩父鉄道は、武甲山の石灰をセメントにして運ぶ為の鉄道だ。
日本全国の鉄道というのは、石炭を運ぶためとか、当時の富国強兵のための政策の一環で、作られていったわけで、最初は旅客用ではなかったようである。
それも、確か私鉄ばかりだったらしい。何故かというと、明治政府に当初お金がなかったからだという。後に民間から買い上げたということである。
水澤さんと話をしたが、日本のお城も無用の長物と化し、立派な城も取り壊されていって敷地に学校や官の建物が建てられて行ったというが、今もあれば、観光資源にはなっていただろう。もったいないことをしたと思う。
ブックオフに行ってきた。最近は、歴史の本と語学が中心だ。「謎の大王・継体天皇」。確かこの継体という文字が謎なのだということを聞いたことがある。つまり体制を継いだ天皇だということだ。天皇にも相続によて、系列が違う方に転換されることがあって、いつかの系列が、元に戻ったりするから付けた名前だということだったと思う。
この天皇の名前というのは、亡くなってからつけるものであるから、色々な意味が含まれていることがあるという。
徳なんてついている天皇は、天皇時代に陰謀で殺されたりした後、祟りが怖くて、名に徳を付けたりしているという。天皇にはならな方が聖徳太子も、生前は厩やどの皇子と呼ばれていたが、亡くなって後に聖徳太子と言う名が付けられたから、生前に陰謀で殺されたということがあるのだろうという。
「謎の豪族 蘇我氏」蘇我氏の出自というのは謎があるらしい。物部氏もそうである。
武士のことを「もののふ」というが、これはこの物部氏の音からきているという。物部氏は鉄を扱った軍事を受け持った一族らしい。
(2010年10月18日・月)
朝帰ってきた。今から、新富士吉田図書館の陶壁画の検討に入る。大塚オーミの今井さんが来る。
さて、超安で陶壁画が出来るか。予算が超安でなのである。
(2010年10月16日・土)欲張りな日々
昨日はすごい動きだった。妙義山の麓から朝8時にバイクで帰り、今度は車で甲府である。
裏春日通という、甲府の繁華街の旗のイラストを私がやったのである。そういえば、その写真を撮って来なかったか。
そのイラストというのは、その通りにある串信玄という料理屋さんにある。
3年前、そこの女将が高校の後輩であることから飲みに行くようになり、「武田の二十四将」という24のイラストを私の大きなイラストを店のインテリアに飾ってくださいと貸したのである。
ところが、そのイラストが風林火山博覧会の目にとまりしようされることになり、申し訳ないがはずされることになったのである。
その代わりに申し訳ないからと、作って置いて行った信玄の切り絵であった。
とても出来が良かった作品である。
というわけで、今度、商店会の旗として、店の外に作品が出ることになったのである。
残念だが、「一杯ご馳走する」という話であったが、カレンダーの締め切りが19日ということで、やむなくまたまた鶴ヶ島に戻ってきたのである。
今日一日カレンダーの下絵を書き、明日は山梨の市川三郷町でのライブをすることになる。その日は打ち上げに参加し、泊まり、次の日の朝帰ってきて、10時には英会話教室である。
英会話は、毎日とにかくどういう本であれ、ラジオであれ英語をすることにしている。
フランス語も、スペイン語も並行してやっていこうと思うのだが、どうなんだろう。
(2010年10月15日・金)スケジュールを変更
8時に群馬から帰ってきたが、今日は甲府の商店街の祭りでその幟に私の絵が使われたいた関係で、私がその商店会の協賛ということになって、テレビ取材を受ける。
今日は飲み会にさそわれるだろうが、仕事が忙しいので帰ってこようと思う。
日曜日に三郷の秋祭りがあるが、日曜日の朝早くに出ることにしよう。だから、明日は埼玉に入ることになる。
スケジュールを変える。
(2010年10月14日・木)多忙
今から、群馬だが、その後はやはり埼玉に帰って来よう。
明日は甲府のイベントが15:00にあり、テレビ取材を受けなければならない。明後日は、身延の切り絵の森だから、そのまま甲府泊の方がいい。
ということは、明日朝埼玉に帰ってきて、荷物を積み込んで、山梨ということになる。強行日程である。
日曜日は、山梨・三郷の秋祭りでライブ。朝早くに帰ってくる。そして、英会話教室。
火曜日には、クラスになったことがないが、郷里の同級生が鶴ヶ島に来る。学校時代は話をしたことがないが、モデルのマネージャーをしていたとき、彼が朝日アドという広告会社に就職していて、友達に紹介されて会社に尋ねて会っている。
それが、初めて口を聞いた最初だった。
それから確か展覧会に来てくれたことが最近あるんだったか。だが、最近も会っている。
だから、まだ、3回目か4回目にあう人物である。お父さんが絵描きで、彼も絵がうまいらしいから結びついた関係である。
ただ、私の同級生で、美術畑で仕事をしているのは、絵かきではプロは誰もいないと思うが、デザイナーとしては3人ほどいた。いたというのは、一人はデザイナーを止め、借金のために今は「ヤクザ」になっているというからだ。
私が新井薬師に住んでいた24歳から26歳まで、100mくらいの近所に住んでいて、彼としょっちゅういったりきたりしていた。
今は家族も消息がわからない。
とにかく、忙しい日々が続く。仕事も、山積みである。
昨日終わりに、埼玉伝統工芸会館に行った。ベルギー在住の大西さんに会うためだ。
ベルギーで個展はどうという話だが、しかし、国際交流を促進するための、国の機関と民間団体がこんなにあることを教えられたが、そんなに数が多いとは知らなかった。
私の周りの主に出版ばかりしている絵描きは、そのことを知らないのではないだろうか。絵の学校を出ていなくて、横の情報を得にくいハンディなのだろう。
そういう機関を利用して、国外に行くと良いということを強く勧められた。
来年も、スムーズに行けば、展覧会が外国でできそうだが、手続きという私の苦手な分野を克服しなければならない。
(2010年10月13日・水)明日は群馬
先日、埼玉伝統工芸会館に向かう途中の、信号待ちの道路上にミミズが二匹いた。それが見たこともないようなミミズで、黒くて細くて長かった。細さはそうめんのようで、長さは25センチくらいあっただろうか。
手のひらに載せたら、皮を食い破って体のなかに入っていきそうに細い。そんな想像をしたら気持ちが悪くなった。みみずにも色々な種類があるんもんだ。
今日は教室だが、人数が少なくなって、皆さん止めるにやめられなくなっているんじゃないだろうか。そう思うと申し訳なくなってくる。
明日は、歴史読本の連載が終わって、群馬の富岡に住む作家の水澤龍樹氏のところに行ってくる。
珍しいことに、二人でバイクでツーリングに行くことになった。妙義山の方までだ。そこで一泊する。
私が、24歳頃ボーイとしてバイトをしていた渋谷のキャバレーエンパイアーの、料理部の方の人だった小板橋さんとも参加してくれる。
この小板橋さんは、私と同じ東京の新井薬師に住んでいた関係で、一緒に帰ったり、新井薬師で飲んだりしていたものだ。
日大のボクシング部に所属していたそうで、花を上から押さえると、軟骨がなくなってキレイにぺしゃんこになる。それには驚かされたものだ。
それから、年をごまかしていて、ずっと私より一つ上だと思っていた。しかし、あるときになって、私より下だと白状した。でも、一つ下だ。とてもお人好しの人で、とても大好きな人である。
明後日は早々に、出て、15時には甲府に付かなければならない。いっそのこと、妙義山から、直接甲府にいこうか。そしたら、ゆっくりできる。着物さえ持っていけばいい。それとも、着物で群馬へ行こうか。さて、ルートを調べてみよう。
(2010年10月12日・火)鶴ヶ島で個展
昔、親父の手の甲を見ると、血管が浮き出ていた。自分と親父の手の差を感じたものだ。
きっと今の私の手の甲は、きっと昔のおやじの手の甲なんだろうなと思う。
昔、悪ふざけをすると父親が、自分の唾液を私になすりつけた。その唾液の臭いが臭くて嫌いだった。
あの匂いはタバコの匂いだったんだと思う。
タバコをやめて私も10年になったが、あの匂いが、タバコの匂いだったと最近わかった。
今は、タバコの煙が大嫌いだし、臭いも嫌いだ。
タバコを吸って前を歩いている人がいて、匂いがぷーんとしてくると、反対側を歩くようにする。
今日、鶴ヶ島のアトリエから150m離れた駅前の、「ううふ」というギャラリーに、個展の申し込みをしてきた。日は決まっていないが、考えてみれば、私が飲兵衛をしている店がこの周りには沢山ある。つまり、飲み仲間が沢山いるということだ。
その飲み仲間に見せるのに丁度良い場所だ。
何故、もっと早く気がつかなかったんだろう。
3月か4月になるだろう。
(2010年10月11日・月)
今日は暑い。
テレビを見ていたら、納豆ってやっぱりよくて、酢も良いそうだが、頑張って摂取しよう。
オール読物の締め切りがある。
(2010年10月10日・日)雨の日
兄貴と一昨日、回転寿司に入った。カウンターのその隣に兄貴の前の会社の後輩が座った。私の同級生だったらしい。人の顔がわかる私だが、今回ばかりは、似てるなあと思ったけど、違うと結論をして頭の中で消してしまった。
もしかしたらと、想像した人物かもしれない人から、メールが届いた。
「お久しぶり!
と言っても小学校以来ですから忘却の彼方のことなのかも知れません。
文昭君が富士吉田市仲町に住んでいた頃を覚えていますか?
もう50年が過ぎてしまいました。
昨日 文昭君の兄上様にひょんな処で(回転寿司)お会いしまして
就寝前に君のこと思い出しました。
年を取ると昔のことばかり思い出してしまいまして
文昭君が西湖の私の叔母の家に来ていた事も聴いてはいましたが
合うことも無かったですね。
山中湖のHOTEL マウント富士(私は親戚の結婚式でした)で若い頃の君の個展でほんの短い時間に
君の作品を見せて頂き、小学生の頃 たしか富士夫君モデルの版画でセーターの編み目まで
彫っていたことを思い出し、すごい才能が開花したんだなと思い、また河口湖精密労組組合の
切り絵を見て、作者名も聴かず君のこと思い出せました。
今日HPを見つけて活動範囲の広さに驚嘆致しました。
今は私も小さいながら会社勤務で多少は忙しくしておりますが
今後はスケジュールを確認させて頂き、展覧会等にも
お邪魔させて頂こうかと思っております。
今後のご健勝と活躍を!
お身体に気を付けて。」
浅香光代さんのところに絵の指導にいってきた。一年ぶりである。
電話をしていったものの、三階で朝香さんは頭に氷をのせて横になっていた。
ここのところ立て続けに仲間が亡くなって、その周囲のことで、毎日気持ちを患っていて元気がなかった。
そのなくなった仲間というのは、踊りの弟子の芸能レポーター・梨本、野球の親分・大沢監督であった。小林桂樹もそうらしい。
それに、聞いてはいたが前歯を七本も折ったとは知らなかった。プロレスラー相手に、どうしてそんなことになったのかを私は知らない。だから、上の前歯がない状態で話していたから、少し顔が変わっていたが、おかしい状態ではなかった。現在入れ歯を制作中だとか
彼女の絵の弱点は、リアルな絵をかこうとすること。漫画を書けばいいのに、見事な絵画をかこうとすることである。色紙にいくつも書くのは至難の技である。
それは、作品の出来にムラができて大変であるから、こういうやり方はどうかと提案してきた。
彼女にとって、疲れる毎日のようだったが、私が行って気がまぎれたようだった。笑顔が出てきた。
私が帰った後、医者が往診に来て点滴をしてくれるという。
また、私の推薦した技を習得できたか確認しにまた伺うことにする。
(2010年10月9日・土)世間は狭い
今日は、東洋大の校友会のこの度会長に就任した福島さんの、「励ます会」に参加してくる。
建設会社の社長さんをしていて、まだ付き合いが浅いが、なかなか味のある人だ。
校友会のスポーツサボートクラブの私も役員であるから、前回の会議のときにお会いしたら、「上野原の小林さん」の話が出てきた。
小林さんというのは、山梨県の上野原市の私がまだアマチュア時代にお世話になった、アパートの大家さんなのである。
彼は空手家であって、長くイギリスで空手の指導していて、私がアパートに入っていたときに、帰国したのであった。
福島さんも東洋大学の空手道部出身ということで、「小林からこの間電話が来て話をしたんだ」ということで、わかったのだそうだ。でも、どこで私のは話題が出てきたのだろう。「福島さん、東洋大学ですよね。私のところに住んでいた、百鬼まるさんというのは東洋大学卒なんですが、ご存知ですか?」というような話が出てこないとありえないことだ。
福島さんと、私がまだ、28歳くらいにお世話になった東洋大学卒業でもない小林さんが繋がるとはとても驚いた。
小林さんの奥さんというのが、聞いた話だと谷村工業高校から、プロ野球に行った井上善の妹さんだという。ただ、確認していない。
井上善さんは、西鉄のピッチャーで活躍し、その後ジャイアンツに行ったはずだ。私はかれば投げている姿を覚えている。左投げのピッチャーだった。かなり勝ち星を稼いでいるはずである。
実は、井上善の妹さんが、小林家のお嫁さんに来るというのも、うなずけるはずがある。
小林さんのお父さんは、読売新聞勤務で、その後読売ジャイアンツに勤務したときいているからだ。
私が小林さんのところにお世話になっていたとき、お父さんが亡くなった。起き上がって外を歩くという状況ではなかった気がするが、私もお話をしたことがある。とても、おしゃれそうで、文士的雰囲気があったのを覚えている。
その日は、私はいつももらっている冷蔵庫の氷をもらいに行ったら、、今お父さんが亡くなったといわれて驚いたものである。
30年前の話である。
(2010年10月7日・木)嬉しいメール
カレンダーを日本全国の友人に配っているが、メールでのお礼がきている。その中でのある人の文章である。
「貴方の才能と努力にいつも頭が下がります。
今年も嬉しいカレンダーありがとう!
確実に日本を代表する作家になられましたね。
どの作品も百鬼丸らしい小気味の良さが有り,人をワクッとさせます。
貴方は人間国宝になるわ。 」
私はもともと負けず嫌いであるが、そういう方は沢山いるので記述する必要もないだろうが、他には子供の時代から大学まで運動部に所属していた事が大きい気がする。
厳しい練習、理不尽な先輩、ややもすると私のお人好しが災いして、つけこまれて大変な想いをしたこともある。
中学時代、何か罰でひとつ上の「主将」にグランドを何周か走らされた。走り終わって帰ってくると「お前、一周誤魔化したろ。見てたぞ」という。確かにごまかしたときがあって、正直に「誤魔化しました」といった。それでまた、何周か走る羽目になった。
後から、同期の奴等も同じことを言われたそうだが、彼らは「いいえ」と答えたそうだ。
考えてみれば、その主将は練習を指導していたりするわけで、我々が何周していたかなんて見ているはずもなかった。
蛇足だが、その主将、ろくな男ではなかった。
我々同期は、彼にとんでもない愚劣なことを数ヶ月後されたのである。今は、中学校の校長をしている。
嬉しい話も入った。故郷の富士吉田の新築図書館に私の絵を飾りたいので作ってくださいということである。
それから、某出版社から、仕事の話が来たが、普通の仕事なら、小説を送りますので読んで絵をお願いしますと電話が来るが、来てくれという。普通の仕事の依頼ではない。社長に会ってくださいとまで言われた。
もしかしたら、何か企画物の表紙を私が全部担当するのかもしれない。例えば雑誌の表紙をずっと任されるとか。
今日は今から、山梨である。高校の一つ先輩の集まりにゲスト出演ということになっている。30人くらい集まるのだそうで、そこでライブなんかする。
そして、明日は身延町の切り絵の森でライブ。
休みなしでやっているが、一日の中で、結構休んでいる。明日夜帰る。
(2010年10月6日・水)吉原は9日
今日はパーティ、浅香さん、吉原取材のはずだったが、パーティの日が9日だったので、予定を9日にした。
他に明後日の予定も、明日だった。
大幅な予定の修正である。
さて、私は考えた。日本人は絵がわからないなんて言われているし、思っている。何故だろう?って。
実はわからないんじゃないんだと思う。
私は、ゴッホが好きだが、写楽と比べてどちらが好きかと聞かれれば、写楽である。ルノアールと北斎を比べれば、北斎である。
考えてみれば、物凄く手が器用で、色々な先鋭的なものを工夫してこしらえて来た日本人。絵という分野は最高に進んでいて、それを見慣れている我々日本人は、舶来モノが好きだし、だから優れていると思いたいが、どう見ても日本の絵画のほうが良いと思うだが、俺の審美眼がないのかなとかっとうしているんではないだろうか。
日本人は近代以前は、文盲が多かったから、絵が異様に発達したということで、浮世絵に親しんでいるし、漫画にも親しんでいる。
日本は高度な絵の社会だったのだと思う。
考えてみてください。江戸から明治になり、軍艦や兵器を自前で作って、列強に肩を並べ、世界戦争までおっぱじめた珍しい国ですよ。とにかく手仕事にはものスゴイ能力を発揮する人種ですよ、日本人は。
そう思うと、日本人が理解できない絵というのは、たいした絵ではないと思った方がいいと思うのである。
日本人として、しっかり地に足をつけて、西洋に惑わされず、純粋に日本をやっていけば、第二の北斎が日本から生まれるだろう。
私はやっぱり、世界に行かなけりゃあ。
(2010年10月5日・火)明日は吉原
明日は、東洋大学の校友会の新会長の福島さんを励ます会いうのに行ってくるが、ついでに11月締め切りの小説現代のグラビア現代・江戸名所図会の仕事の取材に行ってこようと思う。
場所は吉原。お歯黒どぶを一周して、なかも覗いてこようと思う。風俗店ばかりだと思うが、不慣れだが入ってみるのだ。
写真もたくさん撮ってこようと思う。
その後、浅草に回り、浅香光代さんに頼まれている、絵の教授に行くことになっている。正月以来の面会である。
明日は、ずっと着物で袴姿で東京を歩くつもりだ。雪駄が履きずらいんだが、履きやすい奴を書いたいなあ。痛くなったしょうがない。
そうだ、今度、「週刊 百鬼丸」というメールを一週間に一度、友達、仕事関係に送ろうかと思う。大変だけど、できる範囲内で。
(2010年10月4日・月)彼岸花
彼岸花が、埼玉県日高市の巾着田(きんちゃくでん)で有名になり、そのためか、私の方も、昔に比べるとやららめにするなあと意識するようになった。
小川町の埼玉伝統工芸会館に向かう途中には、一杯という表現ではたりないくらいの彼岸花が咲いている。
だけど、考えてみれば、この彼岸花の葉というものを見たことがない。きっとあるんだろうと思うが、調べてみよう。
最近、彼岸花を切り絵にする人をたくさん見つけるが、切り絵に向いている作品だと思う。だが、きっと私もできるんだろうと思う。
じゃあやらないと思う私である。
(2010年10月4日・月)私がやったビン

もう、25年くらい前に、電通から依頼された、珍しいなめたけのびんである。
たまに見かけるが、買ってHPにアップしてみた。このイラストを知っている人もいるのではないだろうか。
今度、この長野の会社に、連絡をしてみようか。
小学唱歌がラジオから聴こえてきた。「赤とんぼ」という歌だろうか、「桑の実を食べる」という詩が入っているが、どうも、現代の子の合唱らしいが、どうも現代の子が歌っているとしたら、歌っている子供たちは実感もなく歌っているに違いない。
そう思って聞くと、とてもつまらない歌に聞こえてくる。
(2010年10月2日・土)今日は群馬
今日は小川町のライブ、もう行かなければならない時間だが、この日記を書いている。今13:00だ。
ライブの後は、8月いっぱいで終わった、展覧会の打ち上げで群馬に行ってくる。群馬の大泉で私の友人がセッティングしてくれる。
あまり行ったことがないところで宴会をするというのも、ありがたく旅気分でいい。
旅行をしていないが、仙台のあいつ、静岡のあいつ、館林のあいつはどうしているのかと、早く行かないとと考えてしまうが、忙しくてとてもいけない。
相変わらずいいペースで仕事をしている。
(2010年10月1日・金)街路樹が栗だったら
街路樹がくりだったらと、自転車をこぎながら思った。一番嫌な街路樹になるだろうと、一人で笑った。
TBSがバックアップしている横浜ベイスターズを身売りするかもしれないという。昨年、私が「唐招提寺」という番組の切り絵の仕事を頼まれたTBSビジョンの人が、テレビ局にお金がなくて大変だということを話していたが、その通りなんだろう。
プロ野球のオーナー会社の推移を見ると、その時代に一番景気の良かった業界がわかる。私が物心ついたときは、映画会社は大毎(大映と毎日新聞)・東映、以前には松竹というのもあったようだ。新聞社は大毎:読売・中日・後に産経。鉄道が国鉄・阪急・近鉄・南海・阪神 他は太洋・広島。後にスーパーダイエー・オリックス・楽天・日本ハム・ソフトバンク。日拓ってのもあった。
新聞社ははぶりが良かったんだねえ。これから、なくなっていくんだろうな。映画業界もすごかった。今はバラバラだ。
今日から、タバコの値上がりである。私は10年前に禁煙した。それまで何回もチャレンジ失敗だった。
その頃、私はペーパークラフトの野田亜人氏と知り合った。彼はペーパークラフトの創始者的な存在で、当時テレビチャンピョンで、優勝してばかりいた。昔「リードコミック」という漫画誌の表紙を飾って、一世を風靡した人でもあり、私の尊敬する人だった。
知り合って、この人に誓えば、禁煙できると踏んで、禁煙したのである。見事成功し、私はパチンコと共にタバコを辞めたのである。
タバコ地獄から抜け出られて良かったと思っている。
絵本と漫画をやってみたい。でも、そうしたらどうやって稼ぐんだろう。最初は儲かりそうもなさそうな業界である。とにかく、来年から少しずつ。
(2010年9月29日・水)星野氏、奮闘
星野氏と中村獅童
友達の彫刻家・星野氏からメールが届いた。
『9月7日(火)東京赤坂にある「草月会館」で初代中村獅童(現中村獅童のお父様・萬屋金之助の兄)の三回忌法要が行われ、私の制作による「初代中村獅童」のレリーフが遺影の代わりに献花台に展示されました。この模様はフジテレビ(全国)にも流れ私の制作したレリーフも写りました。』
という内容だ。
私はあまりメールで自分の活動を友達・知人に配信しない。これはいい線で活動だと思った。
これから、なにかあったら、皆さんに配信しようと思っている。だが、またパソコンにしがみつかなければならないなあ。
これまで、宣伝が地味だったことがわかった。
さて、楽天がパ・リーグ最下位に終り、野村が復帰かもしれないという。私はとことん野村が嫌いだから、とても嫌な気がしている。
野村より奥方の野村沙知代が嫌いなんだが、あんな女を、はびこらせている旦那が嫌いなのである。
江戸時代だったら、切腹で等の昔に亡くなっている。野村なんて出てこないで欲しい。
(2010年9月29日・水)文庫次々と終る
文庫が終わった。鈴木英治さんの文庫本書き下ろしのシリーズ「勘兵衛シリーズ」の最終巻である。ここのところ私が担当しているシリーズが完結し始めている。
それはともかく、今月は多くの仕事をした。この次の仕事は、頼まれた「蓮にカエル」の仕事になるだろう。次は私の同級生がオーナーの麹町の寿司屋の仕事ある。魚シリーズを立ち上げようと思う。作品もでかい。多分、途中で中断することになるだろう。手間がかかりすぎて。
第一回は、キダイ、体の小さなものを群れで描いたものを作る。多分一週間くらいはA2サイズの紙だからかかるだろう。いずれにせいよ。何匹入れるかで、時間が変わってくる。
その次は、実業之日本社の締め切りが月曜日の連載作品。
その次は、ゆずりはというセレモニーホールの会員誌「ゆずりは」の表紙連載。5日くらいまでには終えたい。
その次は、歴史読本連載二年の最後の作品である。
その次は東京工芸社という鶴ヶ島の印刷会社から頼まれている連載カレンダー。評判がよく、もう10年以上続いている。今年は手間のかかる作品になると思うので、大変なことになりそう。10月15日くらいの締め切りである。
その後は11月13日の河口湖美術館での展示作品の、花魁ちゃまの制作とつわもの達もの続編ということになるだろう。展示は立体のカバー画もするつもりだ。
切り絵の森に続き、私に張り合いのある展覧会になるといいと思っている。
(2010年9月28日・火)不思議な線
今年スペインに行ったが、飛行機はシベリア上空を飛んでいく。もう15年近く経つだろうか?フランスの取材旅行をしたときもシベリア上空を飛んだ。
だが、不思議な光景を見る。こんなところに人は住めないだろうというところに、小さいが町があったりする。なかには滑走路があったり。それがかなり頻繁に出てくる。
それから、人工的に引いてある線が上空から見える。道路としか思えないが、こんなところに道路が何であるんだろうと思った。それがかなりの頻度で出てくる。
話は変わるが、「勝ちに行く」と言う言葉がある。この言葉が嫌いである。
どう見ても勝ち目がない相手に発する言葉だろうと思う。サッカーの岡田監督がよく使うが、彼のやたらに真剣な顔つきが私は嫌いなので、そういうことになるのかおしれないが、「明日は、手強い相手だと思いますが、どう戦いますか?」というような質問が飛んだとき返す答えである。
答えになっていない。全知全能を振り絞って、戦うという意味なんだろう、勝てる可能性があることは全てやるということなんだろう。
だいたい、この言葉に「どうやって勝ちに行くんですか?」と質問すれば、「だから、勝ちに行くんです」と繰り返して来る気がする。
今は、各スポーツ団体が、流行のように使っているに違いない。
全力を尽くして戦いますでいいんだと思うが。あまり辻褄が合わない表現に思う。
年寄りが好き
瀬下塾の私はOBという扱いになっているらしい。私の名札にそうあった。
瀬下さんが作った「ペンの森」は15期の卒業生を輩出しているらしいが、主に来たのはその卒業生たちだった。だから、若い。
その多分20歳前半から35歳前後の若者たちに、私の方から話をする気はしない。若者の顔が、私にはいつもつまらないように映ってしまう。確かに、本人たちも、自分がつまらない人間なんじゃないかとまだ思いがちの年代だから、それが顔に出ているということなのだろうか。
私は年配者のほうが、好きである。
その卒業生たちの就職先というのが、テレビ局とか新聞社とか出版社なのである。それも大手の。
全体をとおして、あまり面白くなかったパティであった。瀬下さんに会えたのは嬉しかった。彼は私のことを「お前」と言っていた。あまり聞かない言葉だったが、親しみの裏返しだったんだろう。
他に政治評論家の嶌信彦さんが来ていた。
話は変わるが、前のあるパーティで祥伝社を辞めてフリーの編集者になった同年の猪野さんが私に言っていた。「もうこの歳になったら好きなことをしたほうがいいよ」って。パティというのは色々な言葉に出くわすこともある。
今は、頭をちらほら通り過ぎることが多い言葉の中の一つになっている。
人生はいろいろなことが分かったところで死ぬものなんだなあ、きっと。
(2010年9月26日・日)サンデー毎日
まだ、切り絵を初めて4年くらいだっただろう。サンデー毎日の表紙に私が抜擢された。33歳くらいだっただろうか。
まだ、文庫本・単行本の表紙を30冊くらい(現在650冊くらい)やったころなんだと思うが、驚いた。
そのサンデー毎日の私の担当をしてくれていた瀬下恵介さんが、毎日新聞を止め、マスコミ界に有能な人材を提供しようと私塾を開いた。ペンの森という名なのである。
私がまだ連載中のことであった。
その塾の15周年とあるが、計算が合わないから、最初は、瀬下塾っていってたから、そこから「ペンの森」になったんだろうから、ペンの森というようになって15年ということなんだろう。
とにかく私は久しぶりに瀬下氏に会いに行ってくる。場所は水道橋だという。
この瀬下塾は、たくさんのマスコミ関係に人材を輩出しているという。最初はいくぶん出席したが、どうも私とあわなそうな人ばかりな感じだったので自然と足が遠のいた。
今日もそうならなければいいが。何せ知らない人ばかりだろうし、知っている人とあうとしたら、それはあんまり話したいくない人ということになる(そうでもない人も当然いるのだが)。
今日あった、塾の人がこのブログを見るかもしれないが、それはそれで面白がるのかもしれない。それで、いい。
(2010年9月26日・日)鉄道事故
今日は久々の鶴ヶ島の教室、つまりアトリエでの教室である。私のアトリエは、エアコンは使っていないので、夏の教室は無理だった。それで、久しぶりの教室なのだ。
私はといえば、今年の夏は、山梨と、埼玉小川町の展覧会場に入っていたので、暑さから逃れられた。来年も小川町の展覧会が8月中盤から10月中盤まであるのだが、7月から、8月中旬はどうしたものか。殺人的な暑さである。エアコンは致し方なしというところか。
太田市、今付いているエアコンは、古くてもう駄目だろう。買い換えるようだ。
携帯に沿線情報で東上線・川越線の情報が入る。3日に一度、人身事故による運行不能という情報が入る。死ぬのに一番みじかなものなのだろうが、悲惨だと思う。鉄道関係者もまさか死体の処理まですることになるなんて、入社のときやるとは思わなかったろう。
確か、週刊写真誌に、生首の髪の毛を持って走っている運転手の写真が乗っかっていたが、今もその状態なのだろう。
私は切り絵の森の山梨県身延町から富士吉田に向かう途中の青木ケ原の樹海を、最近よく通る。
その度に、自殺の名所というのが頭をもたげる。先日も、軽装の日本人が一人で歩いていたが、自殺者じゃないかとつい思ってしまう。
昔、アマチュア時代、山梨県上野原の警察署にラーメンの出前で行っていたが、富士吉田警察の応援で警察官がかり出されて、青木ケ原の樹海の捜索に行ってきたのだそうで、私に死体の写真を見せてくれた。
一番印象に残っているのは、ちょっとふっくらした男性の、青あざになった顔の死体だった。死ぬと血液が下の方に溜まってしまうので、青紫になった部分ができてしまうのだと説明してくれた。
戦場の写真もそうだけど、確かに惨たらしいが、まだまだ、死体を見た恐怖をの実感が足りない。沸かない。
みんなそんなものなんだろう。実感が沸いたら、とても、怖くて生きていける気がしない。人間鈍感だから、生きられるんだと思う。
(2010年9月24日・土)たかり
子供のころ社会科で、私は鉄道の名前とか山脈の名前とか、県庁の所在地とかを覚えるのが得意だった。
川の名前もよく覚えた。先生が、利根川とか天竜川は一級河川ですとか説明してくれたものだが、今私の近くの小さな川も一級河川になっている。私は幾らなんでも変だと思う。
なんで、こんな小さな川までそうなの?
一級河川は、管理が国になるらしく、地方自治体は一級河川に川がなることで、管理が必要なくなるらしい。
国の管理ということは、いずれにせよ、私たちの税金でやっていることである。どんな仕掛けになっているのかわからないが、こういうわけのわからないことはやめてお欲しい。
川の管理なんか、地元の人がみんなでどぶさらいをすればいい。無理か!少なくともみんなでお金を出し合って。
河川改修も、とりや蛇が住まなくなるような綺麗すぎる河川もどうかと思う。住民のドブさらい程度でいいと思うのだが。
駅前の放置自転車も、我々住民に集っているようなものだ。駐輪場が沢山あるのに、そこに止めないというのはけち根性のたかり屋である。その他にもたかりは一杯ある。
このたかりを辞めさせないと世の中良くならない気がする。
蛇足だが、川の改修工事は、そのうちにやっぱり鳥や蛇や水生生物が生きられるのが良いと、コンクリートの川を壊して、また工事を始めるだろう。これで土木業者は救われる。
(2010年9月23日・金)作戦
昨日は冷たい雨だった。仕事が立て込んで、切りをつけたのがAM11:00だったが、それから、雑務をこなし、友人を見舞に病院に行ったら、、もう2時だった。
冷たい雨の中、小川町までバイクで行くのをあきらめて、埼玉伝統工芸会館に連絡した。
今日は、文庫の仕事をしよう。27日の締め切りである。
来月、川越の岡田畳店(私の常設ギャラリー)の私の特別展をしようか迷っている。本当は、連載が終わる、歴史読本の作品の披露をしたいが、作品管理が悪く、展示が順調にできるかと、その影響で少し気持ちが盛り上がらない。
連載の後は、個展をして作品をみせたいのだが。
岡田畳店が出来る前は、私は連載作品など、そのまま仕舞い込んで、誰にも見せずにいたものだった。
これから、まめに作品整理をしていき発表していく姿勢になろうと思う。
個展というのは、今は必ず会場に行っているので、生活にリズムがなくなり、終わった後の気持ちや仕事のローテーションの修復がやっかいになる。
11月13日からの河口湖町立美術館での展覧会は、4人の団体展であるが、郷里山梨の中でも、生誕地であるから、そんな地での公の展覧会としては、一番大きな所での展覧会となるので、できるだけ、毎日会場に行っていたい。
いっぱいハガキを出して、お客に来てもらおうと思う。あと二か月、何とか花魁ちゃまの数を増やすのと、つわもの達もあと一つは少なくとも完成させたい。それらを中心に出品したい。
それにしても、来年の外国での展覧会がない。一度はやりたいのだが。
(2010年9月22日・木)涼しさに期待
珍しく文庫が一冊入ってきた。この頃は、文庫の仕事が入って来なくても大丈夫なような仕事をしている。展覧会・ライブ・創作制作を中心にスケジュールを作り、その中で、頼まれ仕事をこなしていくという方法だ。
何としても、頼まれ仕事を従属的にしていかないと、私の目標は達成できないと思っている。
今日は雨だ。涼しくなるのは大歓迎だ。たくさん仕事ができる。有り難い。
埼玉伝統工芸会館に行ってくる。
七人のつわもの達の制作をすることになると思う。
(2010年9月21日・水)ナースのおばちゃんたち
久々の市の健康診断に行ってきた。この病院は、胃腸病院なのであるが、鶴ヶ島に出来て最初の頃の客であり、私の主治医である。
もう、15年くらい経つのだろうか。ここの受付の女の子は、たぶん当時は高校でたてではなかっただろうか。鶴ヶ島で一番可愛い女の子だと思っていた。あれから、15年経ったとして、今は多分33歳くらい。今も受付にいる。どうも結婚そしたような感じではない、とこのくらいに話をしておこう、この日記を見ている人は女性も多いから、興味津々、みみがだんぼになっているだろうから。
さて、その院長先生にカレンダーを持って行ったが、血液検査をしに行ったナース室で、看護師さんにカレンダーを渡したののであるが、皆さん私の職業を知っていて、わーとかカレンダーを見て騒いでいた。「テレビを見ましたよ」という人もいた。
そういえば前に、ここで胃カメラを飲んだと言うより、鼻からだから、差し込んだという言ったほうがいいんだろう。少しは楽だろうと思ったが、クライマックスの胃を空気で膨らまされるのは苦しい。空気が入って、げっぷをするななんて無理だった。
今日は、今年最後の「夏日」だという。来年もこの暑さでは、農作物の品種の改良とかをしていかないと不作になる。それに、から梅雨だったりしたら、もう夏はギブアップということになる。
昆虫も、暑さに強いものしか生きのこっていかないだろうし、きっと突然変異で暑さに強い蝶とかとんぼとかが残っていくという現象が現れるのだろう。そして、そういうのが増殖していくことを願いたい。
(2010年9月20日・月)ファイト漫々
先日二日続けてテニスをしたが、ご老体の方々、皆さん相変わらず来ていたらしく、よくこの夏の暑い中無事でいられたと思う。
一昨日と昨日、山梨切り絵の森に行ってきた。ライブである。
私は展覧会はしていないが、ライブをするのであるが、さすがに私のバックに私の展覧会がないと、作品の購買率は下がる。ちょっと頭に痛いところであるが、継続は力なりで、何とか浸透して行くと有り難い。
ここのところ、ライブばかりではない仕事をこなさなければならないが、出版の仕事がかなり少なくなっている。
これを気に、自分の仕事をどんどんやっていこうと思う。
今日は埼玉伝統工芸会館のライブである。
明日は市の健康診断を受ける。忙しくてできなかったが、血を取られたりする。何か気晴らしになりそうな気がする。
(2010年9月18日・土)今日も山梨
カレンダーを全国の知人に毎年送っているが、それに添付する文章を書いた。まだ、ざっと書いたんで、手直しが必要だが掲載してみる。明日帰ります。
今年はカレンダーの趣を変えました。
6年間連続でやらせていただいていた埼玉伝統工芸会館の特別展の個展に、依頼された仕事でない、私が発案して作った作品(本来そういう仕事を常にしていなければならないと思っている)を展示いたしました。
その作品のひとつがカレンダーの作品です。
近年立体の切り絵を手がけてきましたが、平面の作品も小説の挿絵なんかでやってきました。それが、やっと平面での自分の画風というのが確立してきました。
一方私は、自分で発案する仕事というのが、たくさん頭に浮かんでいます。これを一生かけてやるには、時間のすこぶるかかる立体ではやり切れないと思っていました。
だけど、やりたい作品が、平面でも十分に迫力を示してくれる平面の画風を確立することができたことで、この「七人のつわもの達」を作ることが出来ると確信しました。
蛇足ですが、「七人のつわもの」でもよかったんですが、私の大好きな野坂昭如さんの「エロ事師たち」「騒動師たち」とかの「たち」のニュアンスが大好きで、あえて「達」つけました。
この「七人のつわもの達」の時代設定は平安から応仁の乱くらいの設定でしょうか。なんとも長くてあいまいな設定ですが、詩(私の文)にあるように、お百姓が自分の土地(生活)を守るために武器を持って武士化して、必死に戦っていった様が、何とも本来の動物としての人間のあり方ではないかと以前から惹かれていました。
この文章を書いている時点で、まだその七人は完成していません。完成したら、どこかで発表したいと思います。作品は等身大の作品です。なぜかその大きさにしたくなったんです。
この作品の下絵は4月に展覧会のために行ったバルセロナのホテルと友人の家で描き始めました。それから、6月に郷里の富士吉田の関係で、切り絵ライブショーをするためアメリカのワイオミング州ジャクソンホールに行きましたが、そのホームステイ先であるグレックの家でも描き続けていました。
この作品は、この十年前の週刊文春で連載した宮部みゆきさんと組んでやった小説「ゼプツェン」のちょっと前から始め、以後全作品何も見ないでデッサンするという方法で描きました。下絵を気ままに描いて意のままに完成していくのがとても気持ちよく、「俺は絵描きになったなあ」感じたものです。
それまではどうしていたか知りたいとお思いでしょうからいいますと、ポラロイドで、自分のポーズを写真にして、それをデッサンして作品にしていました(写真をトレースなんかしていません)。ただし、顔は作っていました。
もうプロ生活30年になります。アマチュア時代を入れますと32年です。アマチュア時代が短いのは、とてもラッキーなことでした。
24歳から2年半、コマーシャルモデルのマネージャーをし、出版社に営業で出入りしていたラッキーがありました。下絵で使っているとレッシングペーパーは、大学時代の建築学科で親しんだ紙でした。
海があるという理由で27歳のときに愛知県の常滑に焼き物修行に行った先で、焼き物と切り絵の融合ということを考え、試しているうちに焼き物をやめ切り絵始めましたが、駄目な私を誉めてくれて、切り絵作家になるきっかけを作ってくれた佐藤さん(現外山さん)との出会いもラッキーなものでした。
初めて東京の出版社を回り、1月ごとに仕事をいただいたJTBの旅編集部の方々にも感謝です。彼らは10年くらい途切れることなく私に連載の仕事をくれ続けました。
思えばラッキーといろいろな人のお世話になって来ました。
切り絵作家の故宮田雅之さんと肩を並べるのが、私の責務だと思っていますが、巨星に、私が一生かかっても至らないのかもしれません。でも、がんばってみます。
来年は還暦です、
(2010年9月17日・金)ラジオ深夜便
夜中に起き出して、それが私の朝であり、一日の仕事の中心の時間である。小説その他の文字を読むときはそうではないが、下絵を書いているとき、切っているときは大体がラジオを聞いている。
最初はNHKのラジオ深夜便である。3時からの日本の歌は楽しみであるし、1時からと4時からのゲストのトークもタメになることがある。
そのゲストのトークでは、先日、草鞋の会の4人の一人「原田維夫」が二日に渡って出た。外に、銀座の元「龍」のママで俳人の岡野イネ子さんが何回も出ている。でるたびに私に電話やら、知らせが来る。なかなか私が生で聞けない時間であるので、録音して聞いていたりする。私はその時間酔っ払って爆睡中である。
それから、最近は5時からは何放送かな?「てっちゃんのラジオ」、いまにてつお?だっけ?まだ聴き始めたばかりで、覚えてないが、なんかしゃべりが、曲があって味がある。
6時からは吉田照美の文化放送を聴き始める。彼は面白いが、ちょっと冷めた感じがたまにキズかな。もったいない気もするが、同じ歳だから、とても親近感がわく。
それに月曜は私の絵を4枚も買った、井沢元彦氏がゲストコメンテーターとして出る。実際はぶっきらぼうな人で話悪い人なのだが、彼のおちゃめなところが出ている。現在私は彼の歴史ノンフィクションを読んで勉強しているみであるので、私の恩師でもある。
さらに、私は彼の本の装丁を7冊くらいやっているはずだ。
8時ちょっと前の、同番組中にやる「武田鉄矢のコーナー」もさすが武田鉄矢面白い。
こうして、私の朝の段取りは終わるのである。
(2010年9月16日・木)お人好し
右側を歩いていると、左側通行の人が前から来ると、左によけてやったりする。
自転車で左側通行をしていると、前から来る右側通行に自転車に道を譲って、右によけたりする。
こちらの方が法律を守っているのに、自らこうしてしまう。これは何だろう。
一番思い浮かぶのは「お人好し」。
これは確かにある。私はすこぶるお人好しである。
だが、今度来た自転車には道を譲らないぞと決心をして、道を譲らないこともある。
一番怖いのは、踏切である。遮断機が上がって、右側通行の自転車が向こうからやってくる。私が右側に譲る後ろから自動車が来るから、私が危険に晒されることになる。そんな馬鹿な話はない。
自転車の右側通行の危険なところは、もう一つ。左側通行で、左折するとき、対向で右側通行して来た自転車と鉢合わせになることである。
バイクに運転中、私はそれに出くわしたことがある。ぶつかりそうになったばかりでなく、私の方は大型バイクだったから衝突回避後、転倒しそうになったのである。
道によっては全員が行列して左側通行をしているところがある。この近辺では、川越市駅から本川越駅に乗り換える人が歩いている道だ。
こういうのはどうなっているんだろう。
(2010年9月15日・水)捻挫
もう何日テニスをしていないんだろうか。一月半くらいにはなっているんじゃないだろうか。
右足の捻挫だが、学生時代の捻挫の症状が、吹き出た感じだったが、自転車をこいでもまだ現われる。もう、テニスが出来ない体なのかもしれないと思ってしまう。
右足の捻挫は、くるぶしの下の足首のじん帯を伸ばしたということなんだろう。だから、右足のくるぶしから下の筋力が弱くて、右側に垂れ下がった状態にいつもなるんだろうな。だから、右足だけ、たまに歩幅が大きかったりして不思議だった。左と同じ歩幅の意識で歩くと、垂れ下がっている分、右足は早く着地してつまづくから、それを防ぐため補正するんだろう。それで右足の歩幅が自然に大きくなっていだんと思う。
人間というのは良くできているものだ。
とはいえ、右足のくるぶしの下を吊り上げていなければいけない足の側面の筋肉はいつも緊張しているという理由で、いつもこっていたということが分かった。
テーピングというのがあるが、それをみると、テーピングする方法というのが、外くるぶしの下を持ち上げるようにテーピングするから、私の推理と合致した。
私は常にテーピングをして歩かなければならないことを悟った。
今日は涼しい。雨が振っていたがやんだ。ちょっとテニスに行ってみようか。
(2010年9月14日・火)しつけ
異論はあろうが、しつけは親がやるものじゃなくて、社会がやるものだと思う。
あんな立派な夫婦のこどもでなんであんな性格の子が生まれるんだろうと思うことがしばしばある。これなんかはその証明である。
こどもは、12・13歳で他人の飯を食わせる。奉公に出す。これが一番のしつける方法だ。高校生はもう無理だろう。大学生になったら、誰もしつけられない。まだ、素直なうちだ。
昨今子供を「しつけ」と称して、親が折檻して死なせるが、親がしつけにこだわってやると、子供は甘えたり、なめたり親をするから、そうとうきついやり方をしないと「しつけ」られないだろう。
だが、結果子供の心に脅えが出て精神障害も起こりかねない。
礼儀は生きるために必要不可欠なことである。そのために奉公先では、奉公人にしつけるのである。
学校にしつけて欲しいという親がいるが、それは間違いである。学校は死ぬか生きるかのところではない。それれこそ、退学させられると思うときぐらいである。退学させられたら、生きるのが大変な人生になるかもしれないと察知するからである。
昨日の日記の、若者たちだ。彼らの礼儀がなっていないのは、まだ、礼儀をがなっていなくても食っていけるからだ。それだけ、甘い世界にいるんだろう。その若者たちが働いているとすれば、会社にとってはイメージ的にはマイナスになっている若者だろう。
いずれにせよ、生活力のない若者たちである。
(2010年9月13日・月)
昨日、山梨から帰ってきた。ふだん、土日に車を運転するということがなく渋滞に巻き込まれるということはなかった。
人が遊んでいる時に客相手に仕事をするという事になって、渋滞が身近なものになってきた。一つの締め切りがあって、やっぱり無理して山梨でやって、宅急便で東京に送ってれば、今日という日が緩やかだった気がするが、今からもう少しで出来上がる絵を切らなければならない。
そして、もって行くつもりだ。
そういえば、富士吉田のガストで仕事をしていたら、けんかが起こった。喫煙空間の方で離していた若者5人が大騒ぎをしていたのを、やくざの方がほかの客のことを考えて静かにしろと言ったら、若い奴が何か言い返したらしい。若い奴がなくられていた。
ガストには、飲んで朝にガストで閉めるというパターンがあるらしく、半分よって大騒ぎする若者が多いから、こういう事態も怒るのもよくわかる。でかい声でしゃべる。これみよがしに大声で笑う。笑うと同時に手をたたく。面白くないことをさも面白そうに態度で示すのである。
話で一番面白いのは、悪事でもいいことで、自分がしたことのない体験話をすることである。若いときというのは、体験話が少ない。「こないだああしちゃってよー」「それで」「こうなったんだよ」とういう話である。私が若いときのことを考えると、面白くなかった。
若いときは、苦労を買ってでもするときだ。いろいろなものをぎゅうぎゅう詰に詰めて、そして40歳50歳で花開かす、これがパターン。
「昔は、馬鹿をした」なんて結構年配の方が語るときがあるが、「馬鹿をした」というのは「つまらない」から馬鹿をしたんである。馬鹿なことをしないと面白くないと思うからだが、その馬鹿なことも、結局面白くなかったりするからエスカレートする。
もう子供の頃のように面白いことがないのである。一番面白くなることはギャンブルである。パチンコとかそんなギャンブルもあるが、それは仕事である。雇われていたとしても、多少のギャンブル性はある。将来のことが自分で判断しなければならないからだ。
社長ともなれば、嗅覚を働かせて、今どういうことをすべきか考える。ギャンブルだと思う。だから、仕事というのは飽きずに長続きする。
(2010年9月11日・土)これから山梨
切り絵の森でライブに行く。埼玉伝統工芸会館でのライブの予定だったが、母親のこともあるのでだ。
10時からのライブには間に合わないようだが、10:00・11:00・13:00・14:00の4回のライブを毎日やろうと思う。15:00からもいいのかもしれない。
来週の土日も切り絵の森だから、相当山梨に行く事になる。帰りの渋滞が嫌だと思うが、月曜日は締め切りの仕事がある。もう下絵は終わっているから安心だが。
そういえば、昨日はやまなし大使の集まりが、六本木であった。東京は久しぶりだった。160人くらいのやまなし大使がいるらしいが、昨日は元ヤクルトスワローズ監督の古田の奥さんの中井美穂さんが、書生姿の私に話しかけてきた。結構長く話をした。「いつもそんな恰好をしてらっしゃるんですか」というのが、最初の言葉だった。
その他、たくさんの人と話をした。
(2010年9月10日・金)高橋春雄
週刊文春を読んでいたら、4コマ漫画の高橋春雄さんが、60歳になったので、今週で仕事を止めるとある。
私より一つ上の昭和25年生まれらしい。いしいひさいちさん同様、好きなコマ漫画家であった。
もっとも、締め切りのない仕事はまだまだして行くだろうが、追っかけられる仕事はおしまいにしたということだ。私も締め切りをもつ身だが、この人の締め切りの数は尋常じゃあなかっただろう。
60歳で、止めるというのもうなずける。
私はといえば、来年がその還暦であるが、まだまだ思いを遂げていないという状態だから、こんな心境にはなれないし、そんな蓄財もない。
私はこれからの人間ですとほうぼうに触れ回ってる始末である。
頑張って高橋春雄さんに追いつきたい。
(2010年9月9日・木)
最近何ヶ月、出た本や挿し絵をこのHP上にアップしていない。スキャン疲れしているからだろう。本をスキャナーで取り込み、このHPにアップするには、さらに画像を荒く(軽く)しなければいけない作業がある。
申し訳ありませんが、もう少し待っていてください。
さて、11月・12月には河口湖町立美術館で地元のプロ作家4人展をする事になった。安井賞他数多くの賞を獲った洋画家の桜井孝美さん、日本昔話の絵を担当した前田さん(小学校の頃良く遊びに行った同級生のお兄さん)、もう一人は知らない。
毎日いるように基本的にはしたいので、あちらに宿泊したいと思うが、実家に泊まりたいところだが、アパートを借りてもいいと思っている。私が他に泊まったら、兄は寂しがると思う。
しかし、この夏切り絵の森と埼玉伝統工芸会館のダブルの個展をこなして、やはり、生活は殺伐とする。名刺の整理、領収書の整理が滞るし、雑多な仕事が山積みである。
10月には、私の常設ギャラリーで、個展をしようと思うのだがちょっと悩む。
毎年、カレンダーを数多く二人の送っているが、今年は河口湖の展覧会のはがきが出来るまで待っていよう。カレンダーの封筒に同封したい。そういえば、封筒の住所ラベル貼りもあるなあ。だいたい1300くらい配るのだが。
(2010年9月8日・水)雨だ
昔、美術の団体展に参加したことがある。お袋が見に来て、人の作品が分からなくて「こりゃあ、何をいいたいでー」と私に質問したことがある。
お袋に限らず、そういうふうに見る人が沢山いる。こういう質問をしなければならない美術的状況はよくないと思う。
江戸時代以前にはそんな質問が飛ぶような絵があったのだろうか。文盲の人が多かっただろうから、絵はできるだけわかりやすくしなければいけなかったろう。
私は、それほど絵を深読みしようとは思わないから良いが、見る側も「わかんねえなあ」と思い、見せる側も「分かってもらえない」絵を描いているのは、悪循環だと思う。
私にしても、どうせ分からないから「見たくねえ」と思われることもあり、食わず嫌いにされて、大変迷惑している。
だから、こちらから行って見せるようにして、絵に導く今は必要があると思う。
そして、展覧会に来ていただいたら、たっぷり堪能してもらって、「来て良かった」といっていただくように努力するようにすべきだと思う。
(2010年9月7日・火)今度生まれたら
お袋の具合が悪く、一日伸ばして帰ってきた。ちょっと回復した様子、ほっとした。
帰りの車で、日本の歴史上で、今度生まれたら、何時代が良いだろうと考えた。やっぱり江戸時代だなあと思った。
きっと、お百姓に生まれているだろうから、飢饉なんかがあって、大変にしても、平和な江戸時代が良いと思う。その時代に生きたわけじゃないけど、平安とか、鎌倉とか、室町というのは土地争いが凄かったらしい。もちろん農地のだ。
その農地の裁判をしてもらえることで鎌倉幕府が生まれたというから、大変なものなのだろう。それに武士は、土地を護るために農民が武装したところから始まっているという。
それを考えたのも、この暑さ。子供の頃は高度成長の時代で、なんていい時代に生まれてきたと思ったものだが、地球がこんなになるとは思わなかった。
近年、40度を超える日が訪れるだろう。どうなっちゃうんだろう。
身延の切り絵の森から帰ってきたのだが、作家が帰ってしまって、誰もいなかった。一人ライブをして来たが、山梨に百鬼丸がしみつつあるのが、肌身で感じている。
これからもどんどんやっていく。
(2010年9月4日・土)山梨へ
今から父の三周忌の法要で、山梨に行ってくる。明日は切り絵の森のライブをしてくる。
切り絵の森では、企画第二会のメンバーがいるはずである。皆さんと話をするのが楽しみである。
テレビの天気予報では、これから一週間晴れ続きである。彼はじめている木もあるし、どうなっちゃうんだろうと不安になる。足首の捻挫で、明日のテニス大会シングルスは欠場だが、他のメンバーも欠場は多いのではないだろうか。
6日の朝に帰ってきて、その日は作家の稲葉稔さんと、文庫本連載の打ち上げである。
昨日は、大手出版社・K社の編集者がカバーの校正でやってきた。行きつけの鶴ヶ島の飲み屋さんで飲んだが、ママが私の行く末を心配しているが、「百鬼丸さんは巨匠ですよ」(これはおべんちゃらではないだろう)の一言に、うれしそうにしていたが、鶴ヶ島でも、郷里の山梨でも私のようなレベルの切り絵作家がゴロゴロいると思っていて、私は大変な思いをする。
私が気にしなければいいのかもしれないが、私はそこをかなり気にするタイプであるから、そこは動かせない。
(2010年9月3日・金)年下に
最近、会う仕事相手が、皆年下になってきた。前は時々上だったりしたが。今は全部年下になってしまった。
昔は、いかにも親しげな会話もしたもんだが、今は皆さん私に丁寧な言葉で話しかけてくる。
そういえば、先日小説Gの来年の3月号のグラビアに、新江戸名所図会なる企画があり、絵描きさんが描く現代の東京の名所(主観的に)を描いてくれという話が舞い込んできた。
最近月刊小説誌なんて、ほとんどやっていないが、こう企画が入ってくるところを見ると、まだまだ私も認知されているんだと驚いた。その担当者は、私のことをかなり評価しているような口ぶりだった。昨年の時代小説の挿絵画家13人展を見に行って私の絵にぶった曲げたのだという。
かなり月刊誌からというのいているが、再評価もあるだろうと思うが、また、あの時代のような活動は半分したくない。それはギャラが安くて大変なのである。
今は、かなり早く仕事を済ますことが出来るから、そうでもないのかもしれないが、昔は下手くそで時間がかかって、大変なスケジュールをこなしていた。
さて、そのグラビアだが、一度行ったことのある吉原にでも行ってみようか。浅草も良いなあ。私らしい絵を描いてみたい。
(2010年9月2日・木)外科医
子供の頃なりたい職業は、野球の選手に、相撲取りだった。
野球は、手首が強かったのを除けばそれほどの選手ではなかったと思う。投手にしかなれなかったろう。相撲は、小学三年の時に、クラスで一番になったから、相撲取りになれるかなと思った。
しかし、こうナイフを使うのがうまくなった今、やったら凄くなったろうと思うのは外科医である。ダブルのは私の恩人の手塚治虫さんの「ブラックジャック」である。私は今ブラックジャックになれたのかもしれないと一人満悦するのである。
ただ、頭が付いて行かないし、お金の計算はからきしだから、法外な値段を吹っかけられない。
細かければ細かいほど、能力を発揮するだろうから、脳外科なんか最高にむいているのかもしれない。
今度生まれ変わったら、脳外科を目指したい。
この外科医の日記は時々書いてみようと思ったのであるが、ついつい忘れてしまっていたのである。今回は思い出し、すみやかに私の携帯のメールでパソコンの方のメールにメモ的に送ったのである。これから、忘れないうちにそうしようと思う。
(2010年9月1日・水)倉庫は一杯
今日、やっと単行本のカバーの絵が終わった。やっぱり人物画5人となると時間がかかる。どうも楽観的に考える質で困る。
今日も一つ締め切りである。挿し絵だが、頑張ってやろう。
その前に、埼玉伝統工芸会館に行って残りの作品を持ってこないといけない。
今、切り絵の森からの荷物も届いた。また、アトリエの倉庫は一杯になる。
(2010年8月31日・火)ショルダーバッグ
今まで大きめなバッグを持っていたが、気軽に、必要なものだけが入っているA4サイズのバッグというのはもったことがない。
この歳になって、初めて持ってそれが便利だということを知った。
これまでというのは、財布と携帯と鍵をポケットに入れていた。だから、その必要な3点がばらんばらんにどこかにあると探すのに手間がかかって、なかなか外出できなかったりした。
今は、バッグにその三点は入っているから、バッグを持てば、自動的に入っているわけだから、簡単である。これで、ストレスもたまらないし、時間の節約になる。
ショルダーバッグには、他に切り絵の7つ道具を筆入れにいれて、それから、近眼・老眼鏡を入れてある。いつでもどこでもこれで切り絵が出来る。携帯の充電器、カード、歯ブラシ、ボールペン、印鑑、名刺が入っている。
私は財布を持つのが遅かった。学生時代の末期に初めてもった。それまでポケットにジャラジャラであった。
もっと早く気づいていたら。
(2010年8月30日・月)今日は山梨
今日は山梨。切り絵の森の搬出の日である。運搬は全部向こうでやってくれるので、梱包方法を伝えに行くだけである。だから、午後一でで帰ってくるつもりだ。
自転車やバイクに乗って、今日はこの日記を書こうと思うと、アトリエに着くと忘れていたりする。今日もそうだ。何の日記を書こうとしたか忘れた。
埼玉伝統工芸会館の展覧会も昨日終えた。暑い中の展覧会だったが、私のファンの方は良く来てくださった。有難う御座います。また来年も暑い時期の8月9月のかっきり2ヶ月である。一年間頑張って面白いテーマでやっていこうと思う。
中島さんいつも有難う御座います。関口さん会えずに申し訳ありません。また、私の仕事で驚いてくださいね。
(2010年8月29日・日)さあ行ってくる
昨日は、切り絵の森での私の一日の売り上げが、過去最高額になった。嬉しいことだ。
売れて欲しいと安くつけていた作品が売れないとがっかりするが、それが少し売れたのである。
それから2012年の「切り絵の森」での個展の打診があった。受けようと思う。2012年は、埼玉伝統工芸会館での個展も多分あり、展覧会づくしという事になりそうだ。切り絵の森は、アパートを借りていつもいるようにしたいと思っている。
さて、今日は埼玉伝統工芸会館の個展最終日である。たくさんの人が来るだろう。
あと一週間でほっとする。
次は11月13日から12月23日までの、河口湖美術館だ。この期間も泊り込みで毎日通いたい。だが、その前に岡田畳店での個展も企画しなければ。
考えてみれば、出版の仕事というのはほとんど長くて一ヶ月前に仕事の発注がくるから、2年後とかいう仕事は皆無だった。これからは何年先のスケジュールというのが決まっていくのだろう。
生活が変る。この呼び水だったのは、切り絵ライブの人気だろう。
(2010年8月27日・金)山梨に行けず
締め切りで、予定の山梨にいけない。私が行くことであちらで、会うつもりの方がいたら、今日は出来るだけ断念していただきたい。
しかし、近頃の仕事のスピードはすごい。昨日はは単行本の絵を完成させて、納品したが、今日も締め切りである。だから予定の山梨にいけない。これから、今まで以上に多産に切り絵を製作して行く事になりそうである。心境の変化というところか。
ライブをしていると、いつも流れている出版の仕事の作品に影響しているのがわかる。それは思いもかけないことだった。一つは線の変化である。私の線がこの頃鋭くなったといわれることがある、それはライブのせいだろうと思う。
昨日は、第一人者という言葉にカチンと来て日記を書いたが、この言葉は、自分がそうでないと自覚しながら使ったら、卑怯者である。客を欺く事になるからである。(自覚がなく使ったとしたら、自分の絵が見えていないので、何を言ってもしょうがない)
それから、下絵をトレースして切り絵をしているプロ作家も、ペテン師である。ただ、「そうして私は描いている」と公表しているなら、ペテン師ではない。何故なら、切り絵を見に来る人は、作家が自分でデッサンして描いていると思っているからである。ファンは写真を引き伸ばして、白と黒のゾーン分けをして描いているとしたら、どれだけがっかりするだろう。
私は今はスラスラ下絵は書けるようになったが、最初は下手くそで、思うように絵がかけなくて、下絵に何日も掛けた。今本のカバーの絵に4時間ほどで描ける下絵も当時は、2日くらいかかったと思う。手をデッサンするのに一日がかりという日もあった。今は何分である。
そんな苦労をして、描いた下絵である。それを、安直に下絵を処理して切り絵にして、「先生」なんて呼ばれている人がいる。
こういう人間が、大手を振って表を歩いているとは、日本も悪くなるはずである。
(2010年8月26日・木)第一人者
切り絵作家のI・N氏が、丸善で個展をするという宣伝が新聞に載っていた。私より一つ上のベテラン切り絵作家である。
バーの切り絵で、一世を風靡している。だが、その宣伝文句に、「切り絵の第一人者」とある。この「切り絵の第一人者」という言葉を少なくとも私は活字で使ったことがない。確か、福井理佐さんも使っているらしいし、関口コウさんも使っている。
まさか本人がそう書いてくれといったとは思えないが、関口さんは年齢も重ねられているからともかく、あとは安直に使って欲しくない。亡くなられた巨匠・滝平二郎さんや宮田雅之さんが使うんだったらともかく、切り絵界で巨匠なんてのは今いない。
まして、私の個展に来て「百鬼丸さんは切り絵界の第一人者だと思います」「百鬼丸さんの切り絵を盗みに来ました」というI・N氏である。かなりの私に対する恩もあるだろう。切り絵の本を多数出しているが、私のテクニックを参考にしているところがあるはずである。
私は思う。ほとんどデビューが30年前の一緒で、確かにアイデアが良くて、それなりに活躍はしているが、最初は出版社廻りをして、ところが私がもう、その席にどっかと腰をかけていたということで、断られたり、使われる機会が少なかったにしても、私とライバルになるくらいの実力になっているはずである。しかし、私とかなりの差が開いている。
私は、彼が、もしかしたら写真にトレペをのっけてをトレースして切り絵にしているのかもしれないと思っている。絵に動きがないし、表情もない。そんなことをしていたら、私を抜けるはずはない。
第一人者なら、私に落とし前をつけてから言ってほしい。
(2010年8月25日・水)たぎる炎
今月は珍しく文庫本の依頼がなかった。その代わり単行本の依頼が二冊。忙しかったので、それでよかったと思っている。
だが、依頼がこれから少なくなることもあるだろう。新しい私と同じような画風の画家が現われれば、仕事が減る。それが、下手くそな人でも、編集者がこの程度ならいけると思えば使うだろう。
時間がたつと住むところが換わることはありえること。私もその過渡期である。私は切り絵作家として出版業界にいるが、本来、切り絵の世界にもっと出張って、今はスターがいない切り絵界の巨星にならなければいけない使命もおびている。
私は一般に知られていないだけ、知られればそれなりの評価は受けるはずである。
これから、まだまだ、炎を燃えたぎらせていこうと思う。
(2010年8月24日・火)今年のカレンダー
今年のカレンダーが出来た。今年のカレンダーはすこぶる気に入っている。毎年、赤字だと思うが、今年は何とか大量に買ってくれる企業が現われることを期待している。
こういうカレンダーを作ると、もう手を抜けない。毎年自分が勝手に作った絵(頼まれて作った絵ということではなく)をカレンダーにして行く事になりそうだ。
カレンダーを待っている方は楽だろうが、こちらは大変である。
今日は締め切りがあるので小川町には行かなかった。電話をしたら、私が来ることの確認電話が入っていたようだ。申し訳がない。そういう問合せが多いらしい、ありがたい。
(2010年8月23日・月)申し訳ない
8月最後の一週間だ。今週は金・土曜日と山梨の切り絵の森のお祭りに参加して、日曜日は埼玉伝統工芸会館である。両展覧会が同時日に終わる。少しずれていればよかったが、それが残念であった。
昨日の日曜日は、伝統工芸会館で、今夏一番の入りだったと思う。しかし、全体を通して入りは悪かった。
猛暑だったということもあるだろう、不況というのもあるだろう、それともう一つは一番の購買層の団塊の世代が、一つ歳をとったことだろうと思う。
この埼玉伝統工芸会館での展覧会は、埼玉の奥地であるが、半ば観光地である。だから、東京からも結構いらっしゃる。銀座の下手なギャラリーでやるよりはずっと客が入る。
展覧会でむなしいのは、客が来ないことだった。銀座ででもそうである。客が来てくれるところが一番ありがたい。
伝統工芸会館では、今年私を訪ねてこられる方が多かった。しかし、その半ば以上はお顔を憶えていなかった。申し訳ない。多分3回くらいお顔をあわせるとわかるようになると思う。もちろん。一度で覚えた人も沢山いるのですが、
何せ、顔の憶えはほかに人よりすこぶる良い。自信を持っているが、展覧会となると、これは手に負えない。
ただ、この会館の不安は、伝統工芸がこれからますます落ち込んでいくのではないだろうかということである。
そのために、私に一肌脱いでくれと頼まれているのである。
(2010年8月22日・日)あと一週間
2ヶ月の展覧会は、やはり、そう長くは感じなかった。あと一週間で終わりである。
何とか実物大作品が3作出来るようであるが、あと1作は作りたいと思うが無理だろう。この七人のつわもの達は、冨士河口湖町立美術館展に出品して完成したいと思う。もしかしてそれでも完成は無理かもしれないなあ。
今日も暑い。今から埼玉伝統工芸会館に行く。
(2010年8月21日・土)良いこともある
昨日は芥川賞・直木賞のパーティで出席予定だったが、行かなかった。久しぶりの東京と思っていたが、これで、何ヶ月も東京に足を運んでいない。
カレンダーが出来た。「七人のつわもの達」の「邪鬼」をカレンダーのイラストにした。この七人の名前は、全て好きだった「伊賀の影丸」の敵方の名前から取るつもりだ。邪鬼は阿魔野だったっけ?苗字が。「あまのじゃく」から来ているんだろうね。
早速、友人の飲み屋に、500円だけど、宣伝してと只で配ってきた。今年のカレンダーはすこぶる良いから、企業で何十枚も買って使って欲しい。伊東屋のカレンダーフェアにも出してみたい。
そんな時朗報が電話で入った。盟友の、現在読売新聞で連載している宮城谷昌光さんの小説の挿し絵をしている原田維夫氏から、銀座の一階に、「草鞋之会の常設ギャラリー」を作りたいという話があることが知らされた。これは私がバルセロナで個展をするのをプロデューしてくれた月尾嘉男さんからの話であるから、かなり確率の高い話だ。
実現すれば、驚きの出来事である。毎日行ってライブしてもいいくらいだ。
それから11月13日から12月23日まで冨士河口湖町立美術館で、地元プロ作家4人展の展示がある。山梨で、切り絵の森の展覧会があって、引き続きである。
山梨は、新聞テレビで私のことを知っている人は埼玉より多いと思う。しかし、展覧会を本格的にやってこなかったから、どんな絵を描いて、どんな人なのかということを「切り絵の森」での個展前は知られていなかったと思う。ファンは圧倒的に埼玉のほうが多い。
開催中は実家に泊まって、毎日通いライブを披露してこようと思う。山梨に、ファンが増えると思う。楽しみだ。
(2010年8月20日・金)主役へ
母親は肺炎で、元気が亡くなっていたようだが、快方に向かっている。
今日は小川町に行ってくる。仕事が忙しい。出版の仕事以外の仕事が、増え続けている。この方向は大変良いことだと思う。
前に書いたが、本の仕事は魅力的な仕事だが、私が脇役になっているから、それが問題だった。出版の仕事をするんだったら、私の本が出るとかになればいいんだが、そのうち絵本とか漫画を出せればと思っている。
「七人のつわもの達」というシリーズを今やっているが、、このシリーズは全てTシャツにしたり、グラスにしたりして行くが、これが売れて行ってくれてブームにでもなってくれると良いなと思っているが、宣伝が貧弱でとても無理なのかもしれない。
このHPで注文があれば良いが、全くないといっていい。
(2010年8月19日・木)ダイエット中止
ダイエットは中止。歳をとると、痩せない事がわかった。これ以上食べないと、多分骨粗しょう症になったり、後々後遺症が残りそうである。何せ、それほど食べなかったが、もう、危険である。
それより、運動する事に精を出そう。テニスも、健康のためにしよう。テニスをして仕事をさぼっていると思うのは止めよう。
出来るだけ歩こう。
今日は母が入院で山梨に行ってくる。
(2010年8月18日・水)「切り絵の森」雑感
私が相談役となって、切り絵作家を招集して出来上がった山梨富士川「切り絵の森」の第一回の展覧会がもうすぐ終わりである。私も、関わったのでちょっとした思いがある。
入場者数は少ない、といっても2万人が入ったというから、今時では成功だったのではないだろうか。自分が出品しているのでなんだが、かなりのハイレベルな切り絵を展示できて、内容的には素晴らしく評判がいい。大成功といって良い。
今後のことだが、私が声をかけた柳澤京子氏・にいみずよし氏・知らない切り絵作家の3氏が登場する。知らない切り絵作家に関しては、知らないが、見た感じでは申し訳ないが、私だったらプロデュースしないだろう。
それはともかく、今やっている作家が4人、作品を買い取られて常設会場に展示される事になった。私のライブを見たい方は見ることが出来る事になったのである。ときどき、行って皆さんを楽しませたいと思う。
まずは、よかったよかった。今月末には4人の作家が一堂に会する。嬉しいフィナーレだ。
皆さんもう時間が少ないですよ。見に行ってください。埼玉伝統工芸会館もよろしく。
(2010年8月17日・火)今日も暑いなあ
右足首の捻挫状態は、捻挫をした覚えがないのにその症状が出るということは、老化だろう。ここは学生時代に捻挫したところだった。きっと、他の場所にもそういうのが出てくるんだろう。
きっともう直らない。
昨日はテニスをした。2試合ダブルスをしたが、滝のように汗が出て、2試合で止めた。私は全然水をもって行くクセがなくて、試合中水を飲まなかったりするから、とても危険人物である。それにしても、コートは満員であった。
今日も暑い。今から埼玉伝統工芸会館(ちょっと長すぎる名前だなあ)に行くが、この暑さじゃあと客も来ないだろうなあ。
しかし、テニスから帰って来て体重を調べたら、68.2kでその後昼寝を一時間ほどしたら、トイレに行ったにせよ、67,6kくらいになっていたから、汗でかなり水分が飛ぶものだと、感心した。
テニスの仲間が、テニスを終えて、水風呂に入って冷えたビールを飲んで昼寝をするといっていたが、ご隠居さんの最高の過ごし方だなあ。
(2010年8月16日・月)アニメーター
今、アニメーションの時代なのだろう。私が行ったバルセロナでも、アメリカでも、アニメーターが私の絵に興味を示していた。
昨日は日本のアニメーションの仕事をしている人がやってきた。「これほどの、画力のある人が、アニメーションの世界にはいません」といいおいて帰っていった。
有り難いことだ。
展覧会もまだ引っ張りだことは行かない。これからいろいろなところでやって行きたいのだが。
そういえば先日、美術館関係の人と話をした。公の美術館のである。当然赤字で運営に苦慮している。
しかし、前にも書いたが、生きている人の展覧会をすると大変な事になるらしい。「あいつがやって何で俺にさせてくれないんだ」という文句が続出するのだそうだ。地方に展示場持つ自治体が頭を抱える一番の問題なのである。
地方の自治体の展示場が活発に使われていなくて、私のような人間が発表の場を探しているという変な現象が起きているのも、そのせいなのである。絵描きというのは、自分の絵のレベルが分からない下手くそな人が沢山いる。
絵だけではない。かつて私がやっていたモデルのマネージャの時代に、モデル募集の広告に、とんでもない人が現れたりするのであったが、どの世界にもいるようである。(だが、そういう人たちをターゲットに新聞広告の募集を毎日出し、入会金とレッスン料を徴収してそれで運営しているモデルのプロダクションがあった。今でもあるようだ)
私はかつて、ある市の美術協会にも入っていて市の美術展にもたった一人だけ招待作家として、特別扱いされていたことがあった。ところが、協会の中に不満な人がいて問題になり、私は一般の人と同様にお金を払って出品する事になったのである。
ある人から、百鬼丸は素人扱いされているんだぞ。直ちに止めろという忠告が入って退会した。
今だったら、その感覚はわかるが、当時は分からなかった。
(2010年8月15日・日)七人のつわもの達
さすがにお盆休み。来場者は今回の展覧会で一番だった。
私のライブをご覧になった方で、昨年劇団プークの牡丹灯篭の私が作ったTシャツを着たかがた現われた。このTシャツは、10着くらいしか作っていないんで、その中の一人の方が現われたのである。嬉しいことである。大宮の方だった。
これから何回も足を運んでくださるだろう。
東洋大の建築を2年前に卒業した青年とご両親もいらっしゃった。青年は2年前の川越のあるってアートのボランティアガイドをしていて私のことを知っていたという。これからもよろしく。
今日で、「つわもの達」シリーズ3作目が終わる。このシリーズは、当初8作を予定していたが、現在4作の下絵が完成し、2作の下絵が未完成である。展覧会終了までに4作ができれば良いと思っている。
このシリーズは、出来たら「七人の侍」を真似て「七人のつわもの達」というタイトルにしようと思う。だから、あと3作を作らなければならない。
来年は、三国志のシリーズを立ち上げるつもりであるが、登場人物が多すぎて、誰をしようかと思う。それに三国志といっても、吉川英治は読んだが、柴田錬三郎とか北方謙三とかも書いている。どの三国志を選ぼうか。
それにしても、等身大の切り絵シリーズを立ち上げるとしても、保存が大変という事になる。今は紙をつなげているので、また剥がして保存しようと思っているが。
(2010年8月14日・土)
埼玉伝統工芸会館の初めての夏休みの展覧会も終盤であり、明日が客の入りのクライマックスなんだろう。
しかし、全体を通じて、客の入りは悪かった。これは例年のことらしい。
先日富士急ハイランドへ仕事で行ったが、富士急ハイランドも同じように例年夏休みの前半中盤は駄目らしい。だから、こちらの方も後半に期待がかかる。
今回のテーマの「つわもの達」も好評である。まだ作品は2点しか作っていないが、下絵が飾ってあるので、それだけでも良いといってくれる人が多い。これが終わると、今年中に原宿での個展、冨士河口湖町の美術館での個展と続く。このつわもの達が中心になっていく事になる。
来年も埼玉伝統工芸会館での個展があるが、今度は童画と三国志の「切り下ろし」をやってみたい。
(2010年8月13日・金)紅の拳銃
昨夜見た赤木圭一郎の最後の出演映画の題名である。私はどうも、この時代が懐かしいタイプである。
私がまだ小学生だった頃の映画が好きだ。映画全盛の時代である。歌もこの時代の歌をカラオケで歌うことが多い。
時代は下った学生時代のフォークソングも当時は良く歌ったが、今はほとんど歌わない。神田川なんて、学生が同棲をしている歌だよね。貧乏だって、彼女もいない男にはとても贅沢な境遇だといって良い。そんな歌は腹が立って歌えない。
歌といえば、舟木一夫くらいが、懐かしくて良い。
赤木圭一郎は、昔調布に住んでいた頃の住宅のそばにあった日活撮影所で、ゴーカートを撮影所ないで乗り回して、壁に激突してなくなった。住んでいた当時、ここで亡くなったんだと思ったものだった。
その他に、調布には大映撮影所があった。両方の撮影所ともほとんど貸しスタジオという感じで精彩がなかった。日活撮影所の敷地の一部はマンションになっていたし、映画学校だったりしていた。
調布へは、時代劇のエキストラとなって、時代衣装を着てみたいということで引っ越したが、引っ越したとたんサンデー毎日の表紙が決まったりで、忙しくて実現しなかった。
調布ではそのほかに、裸婦デッサンの会に顔を出した。それまで、何も見ないで漫画を切り絵にして行ったが、それを始めてから人間も見て書くようになって、画風が変った。
(2010年8月12日・木)百鬼丸を切った
石原裕次郎の「錆びたナイフ」を3日前に見た。見たことがあるんだろうと思ったが、初めてだった。
裕次郎が歌う「錆びたナイフ」は、カラオケで歌う歌だったが、映画が初めてだったとは知らなかった。
昭和30年代の風景が見られる。フロントガラスの真ん中に桟(さん)がある車が走っていた。こんな車があったんだねえ。そして、煙突が沢山見える。もう一度しっかり風景だけでも見てみたい。
昨日はライブで、「どろろ」の百鬼丸を切ってほしいと注文があった。うまく切れた。ライブでは百鬼丸を切るのははじめてである。注文した人が買っていった。
切りながら、お客さんが、しきりに私の絵に感心したとおっしゃっていて光栄だった。出来上がった百鬼丸の絵に、とても驚いていた。
ほんの少しテニスをした。スマッシュを試したかったからだ。完全でないのはスマッシュ・サービス・フォアボレーなのだが、スマッシュとサービスは同じものだから、スマッシュが出来ればサービスは出来る。もしかしたらスマッシュが出来るようになればボレーも、同じ理由で出来ないとしたら、できるようになるのかもしれないと思っている。
スマッシュは、学生時代一番得意としたものだった。しかし、高学年になると出来なくなっていた。その理由は、握る方法と位置が違っていたからだと思っている。その感触を思い出すため、ファーストサービスではいつもフラットサービスをやって探していた。
学生時代は考えもせず振れば入っていたから、たいしたテクニックがいらないはずである。昨日はあることを試してみた。内容は秘密だ。それが当たった。やはり凝ったテクニックの問題ではなかった。まだ微調整が必要だが、40年振りである。
(2010年8月11日・水)和紙グッズ
埼玉伝統工芸会館の和紙制作部から、グッズの開発を頼まれた。本格的に始動するのは、展覧会が終わったあとだろう。
和紙の需要が減っていることからなのだろう。しかし、和紙の使い道の、主たるのは、昔は今のノートとか本・障子紙のようなものだったろうから、とんでもなく需要が落ちている事になる。
考えてみれば、昔は和紙のノートとか本だったわけだから、高いものを使っていたのだと思う。機械ですいた和紙だったら、どのくらい洋紙に対抗できるのか分からないが、それでも高いのだろう。
和紙の一番のネックは、この高価である事なんだろう。
いずれにせよ、グッズを作って販売して買ってもらうというのは大変なことだと思う。私がやったからって、この時代に売れるとは思わないが、それでも売れるかもしれないと思うものを希望を持って作るほかはない。
他にも、私と組みたい工芸の方もいるのであるが、私はまだとても個展はともかく、それ以外での営業力はない。名前で売れたららくだが、そんなことはとても悲観的だ。
しかし、それだけ工芸が貧しているという事だろう。
(2010年8月10日・火)お盆で人出はどうだろう
体重が増えてしまった。昨日は友人と飲んでしまったからだ。
中島さん有難う御座います。目に見えてこのHPを見ている人が増えた感じはないですね。残念です。またよろしくお願いします。
昨日は暑くなかった。テニスをしようと思ったが、雨で駄目だった。右足首と右の手首が悪いので、出来ないのはいいのかもしれない。右の手首は元々じん帯を伸ばしているので、時々出てしまう症状だが、右の足首は、学生時代に捻挫したことがあるところで、捻挫した症状が出るのは、老化して、古傷の症状が出たのかもしれない。捻挫をした覚えがないからだ。
それに、この右足首は、なかなか直らない。
今日は埼玉伝統工芸会館だ。
(2010年8月9日・月)福島から
切り絵の森から帰ってきた。まあまあの人出だった。私の方は二日間で、6作の即興ライブ作品を作ったが、完売したのはありがたい。
福島から、私に会いに4人の切り絵愛好家が来た。にぎやかな菅野さんという男性1人に女性3人だが、とにかく矢継ぎ早に面白いセリフが飛んでくるから、他の3人も私もたじたじである。
こういうタイプの男性が私の飲み友達に一人だけいる。かずという飲み屋に出入りしている山崎社長と呼ばれている人だ。実際社長なのだが、立て板に水という感じで、冗談が出てくる。こちらはニコニコ聞いているだけで精一杯。
これまで生きてきて、二人しかこういうタイプと会っていないんだから、すごい才能である。
それにしても、私のHPを見ている人が予想以上に増えているのかもしれない。毎日のカウンターの数字を見ているわけではないので、その辺は分からないが、私のファンの中島さんという方がカウンターの毎日の数字をチェックしているというから、彼に聞けば最近はどうなんだろうと尋ねる事が出来る。
この日記で呼びかけてみようか。中島さんいかがですか?
他にも私の留守中に何人か、私を訪ねて来ているらしい。
(2010年8月7日・土)今日は切り絵の森
この日記を読んでる人が、予想以上に多いようだ。
留守をして、HPの日記が更新してないのは、申し訳ない気がする。
私に、広告会社から宣伝のバーナー(こういう言い方でいいのかな?宣伝のテロップ)を入れさせてくれと何社から来ている。条件さえ合えば、採用するつもりだ。そのうちに宣伝がHPに入る事になる。
この広告会社からの申し込みは、ある程度のアクセス数がないと誘いがないようだから、普通のHPよりアクセス数は多いようだ。
それに切り絵作家でグーグルで検索すると、切り絵作家百鬼丸という項目が、検索項目とは別のところに、頻繁にアクセスがある人だけの欄の中に入っている。切り絵作家では蒼井さんと福井さんの3人だけだ。
今日は山梨の切り絵の森に行く。スタッフに会うのも久しぶりだ。今やっている埼玉伝統工芸会館の展覧会も人の入りが悪い。
切り絵の森も、来場者は少ないだろう。どこもこの時期は少ないそうだが、今年の熱さでさらに少ないと思う。私が行くんだから、人が多く着て欲しいが、その告知をしていないだろうから、そんなことはないだろう。せいぜい、私のHPを見ている人だけだ。
明日かえって来たいが、渋滞になるだろうから、実家に泊まって、月曜の朝になるだろう。
(2010年8月6日・金)志
最近はテレビも見ないが、民放の金欠で、思うような番組が作れないようだが、NHKは、予告を見る限り元気そうだ。
また、NHKの教養番組を見たいと思う。
明日は久しぶりに山梨である。切り絵の森に行ってくる。
次の切り絵の森の作家は、私が招集した、長野の柳澤京子氏と、横浜のにい みずよし氏と知らないもう一人の作家の3人が決まっている。
彼らがいるときには遊びに行ける。皆さんに会うのが楽しみである。私の切り絵の何点かを買って、切り絵美術館に所蔵される事になっているようだ。だから、私もまだ関わる事になる。
ライブもたまにはしに行こうと思う。
山梨県の各方面から切り絵を扱うという事に、かなり批判が会ったが、抵抗してやっと実現した美術館である。何とか死守して欲しい。
ここで行われる展覧会の作家たちをまとめられるのは私だけだろうと思う。我々切り絵作家のよりどころとして皆さんをまとめて、この美術館に協力してもらうようにして行く努力をしてみようと思う。
名前はみんなと相談して決めよう。楽しみが増えた。前に言ったが、歳をとるとやりたいことやらねばならないことがこうして増える。
(2010年8月5日・木)江戸
親父やお袋の兄弟の数を考えると、ついつい江戸時代の庶民もそのくらいの生んだろうと思うと、そうではないらしい。
あんなに兄弟がいるというのは、歴史上珍しいらしいということだ。
本を読んで知ったのだが、だいたい一世帯、5人ぐらい子供を作って、二人か三人死んで、多くて3人の子供を育てたらしい。極端に多い家もあっただろうが、育てるのが大変だったろう。
徳川将軍家の子供のことを知ると、驚く。将軍の子供がいつの時代でも、どんどん死んでいくのである。8代将軍の吉宗は、紀州藩の3男坊だったが、兄二人が死んで紀州藩主となり、徳川宗家に跡取りがないので将軍に抜擢されている。
女性も産後の肥立ちが悪かったりしてよく死んでいる。
江戸初期の江戸の町は、女が一で男が九という割合だったというが、吉宗の時代でも、女が4で、男が6というから、男の出産確率が高いといっても、女性が亡くなる確率が高かったこともあるんだろう。
日本を変えてしまったものに車があると思うが、もう一つは高学歴だと思う。私も大学に行ったが、人生の中で一番からだが若くてしっかりしている時期に、親のすねをかじっているというのは、間違いだと思う。確かに、将来学者になるくらいの人は高学歴でもいい。才覚のない人のことを言っているのだ。
最近の親はしつけがなっていないというが、そうではない。江戸時代も、寺子屋(寺子屋は、読み書きそろばんと生きるためのことしか教えない。それに一つの部屋に、全部の年齢の子供がいるから、年長者とかがマナーを教える事になるのだろう)とか行儀見習いにどこかの侍の家に女は奉公に出されることが多かったし、行儀の悪い人間は、いい働き口がないだろうからと、かんねんして行儀は良くなる。学生時代に、乱れた服装をしている人も、就職となると髪を整え服装を正すというのがそれだろう。とにかく、江戸時代もしつけは、外部に頼ったのである。
人間生きるか死ぬかという時には、それが生きられる方向なのかと分かれば、行儀も直る。現代は親が、生きる保障をしているから、行儀が悪くても、いいだろうと甘えているのである。男は、もう働けるような身体になったら、どこかで働いた方がいい。でも、働いていても、悪もいるなあ。こういうのはなんなんだろう。もともと本能が欠けているのかな。
そして、学校に今はしつけを頼ったりするが、学校は生きるか死ぬかの場ではないから、こうするんだよという知識は与えられるが、しつけを実行しなければならない切実な場所ではない。それを生徒は読みきっている。知識として知っているから、いざ生きるか死ぬか問い立場に立たされたときに、ちゃんとする。
私は学生時代、コンプレックスを持っていたし、不安もあった。それは、働けるのに働いていない、手ごたえのない中途半端な立場にいたわけで、時代に流された自分のせいであるが、自分の個性のせいではなかったこともあるのだと思う。きっと、ほとんどの人と一緒に中学を卒業して働いていれば、余計なコンプレックスも少なかったと思う。
歳をとるといろいろなことが見えてくる。政治家の若者が、年寄りの政治家を引退とか言うが、正しい老人だったら、若い奴らよりましな気がする。
歴史はいつも、新しいことの積み重ねであるから、過去の歴史が参考ならないこともある。現代ほど、人間にとっての未知との遭遇がある時代はなかっただろう。だから、なかなか人生や人類の方向とかの舵を取るのは難しいと思う。しかし、若いものには任せて置けない事態が来ているのかもしれない。
歳よりはぼけて入られない時代だ。
(2010年8月4日・水)一日が早すぎる
昨日は埼玉伝統工芸会館を休んだ。今空を見ると、晴れているようだ。今日も暑くなるだろう。
今月中に、時々は体重が66kg代になるといいなあ。きっとなる。それに、健康診断も受けなければ。
やることいっぱい。それにしても一日が早すぎるから、なかなか進まない。
(2010年8月3日・火)走らないと
先日の東洋大学のセミナーハウスでのミニ展覧会で荷物を運んで、古傷の右手首のじん帯を痛めてしまったが、よくなったと思っていたが、今日東京から帰ってきて、テニスをしたら、また痛めてしまった。
あまりやっていないテニスであるが、さらに控えよう。9月には、テニスの大会に出る。4年ぶりくらいだろうか。無謀にも55歳シングルスである。まず体力的に無理だろう。技術的には、優勝してもおかしくないと思うが、子供の頃小児結核をしたせいか、持久力が極端にない。
だから、ベースラインで打ち合うなんてことは、してられないから、まだ完璧じゃないボレーのためにネットプレーをしなければならなくなる。
その大会は、9月5日である。走ってみようか。まだ、故障があった。何故だか右足首が痛い。
(2010年8月2日・月)二泊
二日間、小川町で宴会があったので、民宿に泊まってしまった。
初日は生徒と、昨日は山梨から兄が来たので、泊まった。お陰で体重計に乗るのが怖いので、今日は表示取りやめ。
二日とも、小川町の焼き鳥や「日の出」で飲んだ。兄が、うまいといって、10本お土産に買っていった。前にも書いたが、ここの焼き鳥を食べると、どこの焼き鳥もまずく思う不幸がおこる。
今日は埼玉伝統工芸会館が休みである。東京に行く事にした。
(2010年7月31日・土)富士吉田名物
一日に、高速で朝帰ってきて、小川町の展覧会場に行き、夕方また同じところに向かうというのは初めてのことだ。疲れているんだろうと思ったが、そうでもなさそうだった。
先日行ったワイオミング州ジャクソンホール行きの報告に、「ジャクソンへまた行く、積み立ての会」に呼ばれていってきたのである。
面識のある人も何人かいた。その中に、朝倉加代子さんという、私の3歳ほど上の幼馴染がいた。
朝倉さんのお母さんは、なかなか威勢がいい人だった。
ということで、この会はまた二年後に今度はコロラド州に、吉田の火祭りを再現するために行くのだそうだで、私もそのメンバーに入rt、二ヶ月に一度行われるこの「ジャクソンの会」に出席しなければならなくなった。二ヶ月に一度故郷に帰るというのもいいテンポなのかもしれない。嫌々ではない。
富士吉田には、この積み立てとか無尽とか言われる組織が、名物のようにあって、一人が複数の組織に参加している。一月に一度とかにみんなであって、食事や宴会をするのである。例えば、今度のジャクソンの会のように、市で募集したジャクソン旅行へいった人たちが、このまま解散するのはもったいないからと、会を作るのである。
だから、学校のPTAの組織なんかも、終わってもそのまま個人的な会として存続して行ってるはずである。そんな組織が信じられないほど、しつこくいうが沢山あって、面白い文化を持ってる町である。 もしかしたら、江戸時代の冨士参拝の「講」の名残なのかもしれない。
富士吉田に、飲食店が沢山あるのもそのせいだろうし、その会を通じて、ビジネスが広がっているというのもあるだろう。
こういう組織に入るのも私は初めてである。
これから暫く毎日、小川町の個展会場に足を運ぶ生活に入る。
(2010年7月30日・金)体験竣工式
帰ってきた。だが、また午後5時には山梨に向かう。今日の朝は涼しくていい。
河口湖町大石に完成した東洋大学セミナーハウスの竣工式というのを初めて経験した。宮司が、神棚の前で、祝詞をいい列席者が、礼をしたり拍手を打ったり。このようなことが、連綿と何百年と続いてきたのだろう。
神棚の上にはお神酒があり、その左右には作物が飾ってある。パイナップリもあるが、ちょっと趣が違って、やはり日本の古来のものを置いてほしい感じがした。
そのお神酒を出席者が、小さなお皿で飲むのであるが、渡された皿に酒が入っているとはしらず、勢いよく取り上げたのでこぼしてしまった。
建物が安全に使われ、そこで暮らす人々に幸あれという趣旨で、神棚を設けて祈るのであろうが、この科学の時代前には、そんな願いは神仏にすがるほかなかったのだろうから、本当に真剣だっただろうと思う。
昨今の、世界の事態・日本の事態を見ると、そんな時代に戻ってもいい気がする。
中学のミニクラス会をしてきた。
(2010年7月29日・木)私の美術館
今日は、河口湖町大石にある東洋大学のセミナーハウスの完成竣工式である。それで、10時までに車で行く。
富士急ハイランドに私のグッズをいれて欲しいと、富士急行の方から要請があった。グッズを入れるということは、各々の取り分とか考えるとなかなか大変らしいが、それでも、頼まれがあるということは嬉しいことだ。
そういえば、セミナーハウスのほうは、私の一日展覧会ということで作品をもって行く。大学のほうも私のことを全面的に応援しているようで、この建物のあちこちに私のイラストが現れる。まるで、私のギャラリーという事になりそうだ。実際中にギャラリー空間があり、私の絵が飾られる事になるようだ。
実現すれば、私の美術館が初めてできる事になる。だが、この文章を書いたことが恥ずかしい結果になることもあるので、話半分で聞いていてほしい。
(2010年7月28日・水)痩せない
痩せないなあ。なおいっそうカロリーを獲らないようにしているんだが。テニスをして、ポカリスエットを2リットル呑んだのがいけないのかもしれないなあ。お茶か水にして置けばよかった。
歳をとると痩せない。高齢の人が太っている人が多い理由がよくわかった。その原因は新陳代謝が悪いということだが、平にいえば、体温が低くなっているということだ。
歩くかは知らないといけないかな。明日、あさってと、宴会が続く。
(2010年7月27日・火)富士吉田
今日は山梨である。したがって、展覧会会場には行かない。昼に行って、ひさびさに吉田のうどんを食べてこよう。
(2010年7月26日・月)ぼやき
昨日の日記は、切り絵交遊録のために書いた日記である。しかし、切り絵作家の紹介といっても、なかなか難しい。
話はそれるが、山梨のある人によると、私は出版社から本を出していないし、賞を獲っていないんで、そういう人より、安く見られるのだそうだ。
私が本のカバー画を700冊もしていて、新聞連載・週刊誌も何回かして。そういうのが、賞や出版本を出しているということよりステイタスにならないというのである。
だが、今日本の切り絵作家で、カバーを頼まれてできる人がいるだろうか。作風が内容とどんぴしゃなら、少しはあるだろうが、毎月私のように依頼があるということはいないと思うし、小説の挿し絵の連載をできる人もいないだろう。一人やっている切り絵作家がいるが、レベルは低すぎる。私は知らないが、他にもいるらしい。
私が、本を出していないのは小さな出版社と付き合いがないからだ。傲慢な言い方かもしれないが、それは事実である。画集なりを出している出版社は小さな出版社が多いのである。大手は、給料が高いから、一般的に売れない、画集に手を出さないのである。
ありがたい事に本を出している切り絵作家の方で「百鬼丸さんが切り絵界の第一人者だと思います」といってくれた人が何人もいる。その中で、目ずらし人は林家正楽さんである。こんな事にこだわるのもどうかと思うが、手塚治虫さんも自分が一番でないといやだったそうだ。そんな事にこだわる百鬼丸なのである。
(2010年7月23日・土)鰯
展覧会のない日の土日は、出来るだけ小川町の伝統工芸会館でライブをする事にしている。今の展覧会が終わっても土日にはそうする事にする。
昨日のお客さんの中に、展覧会前に会館でライブに出会われた方がいらっしゃった。
お客はすこぶる少なかったが、あり難いことだ。
やっと、この作品の2mバージョンの準備が出来た。一日くらいで切り終わりたいが。
今日は土曜日、きっと客が多いだろう。先週は、実は私は三連休だとは知らずにスケジュールを組んだのだった。もし、知っていたら山梨には行かなかったろう。日曜日にはたくさんの私のファンの人が来たようで、申し訳なかった。
さて、友人から頼まれている魚の絵だが、やはり鰯は時間がかかる。別の魚にしたい。その仕事もある。
(2010年7月23日・金)暑い日
昨日は知り合いが二人見えた。一人は、相撲は今場所好調の豊真将のファンであり、私の年配の女性のファンである。もう5年、どこの展覧会にも来ていただいている。
凄く遠慮がちが方で、楽しんで帰ったのかなと不安になるが、電話が来てとても楽しかったと声を弾ませて話すので、ほっとする。
もう一人は、弟子であるが、もう最近来ていない。話していたら、耳が遠くなったと奥さんに言われるというが、確かに話していると聞こえなそうなのである。
そして切り絵の創作意欲がわかなくなったとも言う。私は切りたいものが沢山あるが、普通はそうなのだろう。
(2010年7月22日・木)途切れた
埼玉伝統工芸会館での展覧会で、昨日は私のファン及び知り合いが来ていたのが途切れた。もっとも午後から行ったから、午前中に来たかもしれない。
あちらに行くと忙しい。毎日何点かライブ作品を作る。それから、下絵だけの作品を仕上げなければならない。また、注文の仕事もこなさなければならない。今やっているのは、B全版の大きさの龍に乗っている龍馬だ。武州そばの社長が私に、小川町の七夕祭りのために作ってくれと依頼してきた。
それから、高校の友人のすし屋用の絵。頑張ってやらないと、後がつかえている。
それにしても、来てくれる客が、皆さんすごい展覧会だといってくれる。ありがたい。
ライブ作品の価格を下げた。展覧会の時には少し高めにと思ったが、買いにくくなったようだ。
(2010年7月21日・水)ルーズソックス
一昨日、日本一うまい焼き鳥屋さん、小川町の「日の出」で埼玉伝統工芸会館のスタッフと群馬の大泉町のH氏と呑んだ。
それで、通いのバイクを置いていく事になり、今日はそのバイクを取りに行った。
東上線に乗り小川町まで行くのだが、たくさんの学生たちが電車に乗っていた。いろいろな制服の学生で一杯だったが、故郷の富士吉田では、そのようにいろいろな制服が交じり合うという光景を見たことがない。だが、それぞれの制服とも皆整っていてきれいであった。
ルーズソックスが、退潮していたのは暫く前に知ったが、いつごろからなくなったんだろう。頻繁に電車に乗らないからわからない。
今ルーズソックスをはいていたら、勇気が必要だろうなと思いながら、いたら目立ってカッコいいだろうなと思った。ルーズソックスはファンションとしては好きだった。ただ、そればっかになると、つまらなくなる。
男が席から立ち上がると、ズボンがずり下がっていた。このファッションが流行ってから長い。もうそろそろ違うものに変ってほしい。男のパンツなんて見たくないもの。流行はルーズソックスの長さまで続くんだろうな。後どのくらいなんだろう。
ファンションというのは人が皆右に行けば、自分は左へ行くのが極意だと思う。
(2010年7月20日・火)雑草盆栽

ベランダにおいて置いた鉢に雑草がきれいに生えた。これは何という草なんだろう、良く見かけるが。2・3日暑かったのに水をやらなかったので、ちょっとかれたところがある。それで、今アトリエの中に入れて、丁寧に育てる事にした。
それというのも、埼玉伝統工芸会館で、雑草の盆栽の展覧会をしていて、雑草もきれいなものだなあと改めて認識したのである。
甲府の友人から昨年もらったミニ蘭である。冬大ピンチだったが、蛍光灯で暖房してやったら、見事に復活。もうすぐ花の芽を延ばしてくるだろう。こちらも楽しみである。
雑草の盆栽はまりそうだ。
(2010年7月19日・月)ブルーベリー摘み体験
山梨の切り絵の森に2日間行ってきた。昨日は、山梨の明野町にある「ブルーベリー明野」に、その農園のチラシを作ってくれとの依頼が前からあり、打ち合わせに行ってきた。
明野町というのは初めて行ったが、高原のいい町であった。なだらかな斜面に、さくらんぼ畑とか他は忘れたが、いろいろな果実を栽培して、流通ののっけるのではなく、お客が果実を積むという体験農場として、そして、他は自社工場でジャムにしているということだった。
着いたブルーペリー明野にはたくさんの観光客が、ブルーベリーを積んでは口に運んでいた。その他、アイスクリームとかジュースとかも売っていて、とても繁盛している風だった。
ということで、私も経営者の清水さんに連れられて、栽培農園に足を運んだ。ブルーベリーの食べごろは、色もあるが他に2箇所のチェックポイントがあり、先端のがくのような部分が、外に反り返っていることと、横に太っているものだという。
その他は、多少すっぱいというが、私はそのすっぱいのがブルーベリーのチャーミングなところだと感じた。私も遠慮がちに摘み取り、口に運んだ。初めてのブルーペリー摘み取り体験である。ブルーベリーは好きな果物である。
農場の土の上は、木の木っ端を砕いたものが敷き詰められていた。これはカブトムシが大好きそうなものだなあと思っていたら、その通りに、夏にはいつもネットで覆われた農園の内側にびっしりカブトムシがいたのだそうだ。ただ、カブトムシの害というのがあり、今では全て、手取りで駆除していないそうである。
ネットをしていなかった以前は、きっとこの住処からたくさんのカブトムシが山々に飛んでいったことだろう。見てみたい光景である。。
ところで、今日は小川町の展覧会に行くが、その田舎も、また山梨の身延の田園にも、チョウチョが飛んでいなかった。多分全国でその現象はあるのだろうと思う。とても、怖い足音が聞こえてきそうな状況である。
(2010年7月17日・土)増量
初めてのことだが、レストランで徹夜した。混んで来たら出ようと思ったが、まあまあの混み方で、出る必要がなかった。
気が付いたことは、一時一掃された学生たちが、ぼちぼちまた来始めている。この学生たちは一人で必ずやっていない。だから、にぎやかになってしまう。それに、お客が一杯になっても、退去しない。これがいけない。
私は悪いので、レストランでたくさん食べたのである。体重が1kも増えてしまった。
一日、行くのを止めた山梨の切り絵の森に今日出かける。月曜には埼玉伝統工芸会館に行く。土日祝日は私の稼ぎ時だ。普通の絵描きのパターンはとっていない。
(2010年7月16日・金)久々の徹夜
何年ぶりだろう、徹夜をしている。完全な徹夜ではない。眠くなったら、椅子で眠るようにしていた。それというのも、この切る仕事というのは、手がきかなくなる時間が決まっている。
だから、手にビーンと筋肉が張ったような状態になったら、切れない。そんなときは本を読むか、眠るかするほかはない。
1時間くらい休むと、元の手に少しは戻る。マッサージもする。
4時に、NHKラジオの深夜便を聴いていたら、盟友の原田維夫氏がしゃべっていた。私が作った草鞋之会のメンバーの4人のうちの一人だ。
私のほかの3人は大活躍で、私はどちらかというと、この中では落ちこぼれてしまったのかもしれないが、この中に入っていなければ、全くの普通の仕事量ということだから、考えるのは止める事にする。まあ良かった点は、この中では私がかなり年下であることだ。
そして、彼ら3人とは別の道を歩もうとしているという事になるのかもしれないが、まだ途上である。
(2010年7月14日・水)嬉しい
さすがに雨の日だけあって、客の入りが悪かったというより、ほとんどいなかった。それでも私のファンの友達が二人見えた。
こんな事にこだわるのもどうかなとも思うが、まだ私のファン・友達の来場が絶えた事がない事になる。
展覧会のメインの侍が、やっと一つ切れた。これからそれを拡大して切り絵にする。それが、6体あるからいつ仕上がるかどうか。
下絵がいいといってくれる人もいるので助かる。
そういえば、下絵に皆さん感心してくれる。これだけで展覧会になってるなんて言ってくれる。嬉しい。
(2010年7月13日・火)整体
腰が痛い。頭も痛い。昨日は、中国整体院に行った。両足をもまれたら、ものすごく痛かった。相当腰は悪そうだ。たまには通わないといけないなあ。
ということで、今日5時に予約した。
この整体院の陳先生と話をしていたら、私の3ヶ月行かなかった間のことを良く知っていた。スペインに行っていたこと、アメリカに行っていたこともだ。それというのも、私の弟子のお母さんが私の紹介で、毎日通っていてほとんど報告状態で伝えているらしいからである。
(2010年7月12日・月)いか
昨日の昼飯に、イカを食べた。前日に埼玉伝統工芸会館から200mくらいにある、日本一の焼き鳥屋さん「日の出」に行く約束をしていたが、昼のイカが胃にもたれて、食欲がなかった。
焼き鳥は3本しか食べられなかった。日本酒は四合。何とか「酔っ払い」の域に入って帰ってきた。
通っているバイクは置いてきた。今日は会館は休みであるが、電車に乗ってとりに行くつもりだ。
サッカー・ワールドカップの決勝をしている。解説が中田英寿である。
私は、この人が好きではない。笑いもすぐが、能面のような顔の印象である。山梨県出身であるのだが。
この人が今度のワールドカップの日本メンバーだったら、今回ほどの日本の選手のまとまりがあったのかなあと思う。
チームワークを言葉に出しながら、「チームワークがない」と怒ってばかりいて、一番乱しているのは本人だったりすることがある。
民主党が負けて、菅首相に責任問題というが、ここまで票を取れたのも菅さんが首相になったからだろうから、責任をとる必要はない。消費税を上げて、日本人もそれに耐えていかなければ借金はなくならない。もし、消費税が高すぎたら、下げればいい。
(2010年7月11日・日)ぎっくり腰
軽いぎっくり腰になってしまった。埼玉伝統工芸会館のロビー内の私の仕事場は、文机である。これが腰に良くなくて、悪くしているところに、重いものを持ったものだから、ぎっくり腰になってしまった。
まだ、歩けるほどであるからいい。
切り絵の大作が、今日一つ終わる。何とか早く終わらないとと思うが、今週は文庫の締め切りが3冊である。それから会員誌一誌の表紙。ファイトが沸いてくる。
(2010年7月10日・土)皆さん有難う
バルセロナの宿泊先のホテルで知り合った、足立さんと鷲見さんが展覧会に見えた。足立さんは名古屋在住の方。
お二人とも外国に一人で行ってしまうというつわものである。
私も夜まで付き合いたかったが、締め切りを抱えていて、新人物往来社に行って仕事を終えなければならず、残念だった。
6日に始まった展覧会も、客の入りは今一どころではないが、私のお客は途切れることがないのが嬉しい。
最近はそのファンの方々が、私の切り絵作家としての行く末を心配してくれる人が多い。
私の技量に比べると知名度が低すぎるというのである。
今はファンも増えたが、私をプロデュースしてくれる人との出会いというのが確かにない。不況とかの外的状況もあるだろうし、私のやり方も悪いということもあるだろう。
ファンの期待にこたえなければいけない使命感はいっぱいあるから、とにかく動いている。
68.4kg
(2010年7月9日・金)パーチメントクラフト体験

早速体験してみた。私の展覧会の会場の隣で、2週間おきにクラフトの業者というか、先生がワークショップをする。昨日はパッチメントクラフト。
固めのトレッシングペーパーを耳かきのような形で、さっきっぽが丸い球になっている金属の棒で、強くこすって、膨らましたり、はリで穴を開けたりする。そして上のようなレース模様の造形を作るのだが、とんでもない時間がかかる。
その時間のかかり方は切り絵と同じだから、プロの私としては辛抱できるし、人より少しは早いのかもしれないが、その私がこりゃ大変と思うのであるから大変な作業である。この仕事は、とレッシングペーパを二枚上重ねるか、デモしないととても労力に見合った報酬が得られるかどうか。
作品がどうのこうのより、そちらの方が気になってしまった。私は途中で時間が来たのでギブアップ。
トレーシングペーパーの半透明の魅力、擦ると白くなるのも面白い。もっと他の活用法がないか考えてしまう。
始動してくれたのは私の小川町の切り絵の弟子である吉田さんである。面白い事に小川町のカタカナと思ったら、大宮から通っているという。大宮から来ている別の吉田さんという弟子もいるので、大宮の吉田さんは二人いる事になる。
この、埼玉伝統工芸会館にいるといろいろな工芸家が、ワークショップにくるからいろいろな体験が出来る。
増えちゃった。68,8kg。
(2010年7月8日・木)雑体験家
読書家とか冒険家とか家が付く趣味?がある。雑学というのもある。雑体験家というのはどうだろう。
いろいろな体験をすることを収集するのだ。これは私には向いていそうだ。今から遅いかもしれないけど、その雑体験家になってみようかな。体験したことをここに書く。いいなあ、これは。
このHPに、雑体験蘭を設けてみようか。
体験ではないが、まず体重減少のための荒療治。体重公開。
67.70kg。ここまで公開すれば、何とかするだろう。皆さんも楽しみですねえ。
(2010年7月7日・水)台風の思い出
客が少なかった。午後からである。会館の分析によると、午後からの突発的な豪雨を懸念して客が少なかったんではないかということである。
確かに東京では想定外の雨が降って、大変だったようである。
思い出すのは、1982年の台風である。山梨県の上野原町(現・上野原市)の桂川のほとりといっても、もう相模湖のほとりと言ってのだろう。境の陸地にアパートがあったのだ。
台風が、大きくて上野原まで来る間に各地に被害を与えてきていた。
だが、私のアパートは桂川の増水で、相模湖の水位が上がり、アパートがチャッポリ相模湖になってしまったのである。といってものんきな気持ちではない。まさかと思っているうちに家に水が入り、畳が浮き上がったのである。家の中ではちょうど、足一杯の高さになった。
とにかく、当時一番高価だったビデオ(その時クリントイーストウッドの荒野の用心棒を見ていた)を高みにおいて家を出た。家を出たとき床の高さが増すから、水は胸まであった。
がけ崩れでなく、水位が上がっただけだから、危険はなかった。上野原のがけ下にアパートがあるわけであるから、外に出ると10メートルほど歩けば、陸地が見える。何だという感じ。
管理している横浜の相模湖のダム・相模ダムの放流が遅れてしまって、こういう被害になったのである。
この後の家の片付けが大変だった。全世帯に被害に世帯に見合った保証金が出た。
(2010年7月6日・火)勝負の展覧会
7月8月の小川町・道の駅での個展が終わると、秋である。早い。昔の半年か4ヶ月くらいである。
まだ下絵であるが、等身大の絵というのは迫力がある。早く完成しなければ。
琴光喜が出てこない。あまり気の大きそうな人ではないので、相当落ち込んでいるだろう。
(2010年7月5日・月)さあ搬入。
昨日は、今日の搬入で積み切れなくて、二往復というのが嫌で半分の量を運んだ。
その途中、久々に大変な量の雨に襲われた。私のところであるバイトをしている新井さんは、耳が聞こえない人だ。だから、窓を開けて雨が降ってきても音で分からない。
アトリエは、毎年のようにエアコンを使わない。だから、普通は窓を開けている。ラッキーな事に彼は窓を開けずに熱い中、作業をしていたらしく、アトリエはずぶぬれにならなかった。しかし、私がアトリエを留守にして、彼が一人でいるとき大雨になることはあるだろう。
ある程度は我慢しないといけないかな。
私が初めてやる、等身大の武士の切り絵。作品がでかいだけに迫力がある。でも、まだ下絵である。それでも迫力がある。全部で7点。そろったら壮観だろう。
大関・琴光喜が、相撲界解雇というのは驚いた。芝居も、相撲も芸能スポーツ系は、もともと地方巡業とかの興行をやくざにゆだねていたことが、過去多かっただろう。時代が変わっても、やくざとの縁が切れずにいて、いつかはこういう事態になったんだろう。
大多数の人は、そういう想像はするだろう。相撲協会の過去の親方たちも、やくざと関わり賭博もやった人が沢山いておかしくない。
給金直し(勝ち越し)のために、八百長をするばかりでなく、やくざの相撲賭博のために八百長をしたことも昔は沢山あっただろう。
(2010年7月4日・日)収穫一本
梅雨になり花粉症が、収束しつつある。
アトリエの外に植えたきゅうりがなりつつある。一つ早速収穫したが、梅雨時のきゅうりだけあって水っぽい。料理をしなくても、そのまま食べられるところが良い。
でも、一番は成長する姿を見ること。どうもボーっと見てしまう。でも、こんなひと時があるのが良いんだろうな。
(2010年7月3日・土)下絵ですけど
花魁11体。あと4体はしたいが、仕事の催促が来た。そちらは明日までにしてしまおう。アイデア勝負の仕事なんで、アイデアが面白ければ、切るのは早い。
とにかく、花魁あと4体。
アシスタントに来ている新井さんが、もう一方の武士(つわものども)の方の作業をしてくれている。一つしか切っていないから、下絵を楽しんでもらう事になる。
今度の展覧会は、これまでの5回と違って、展覧会のための切りおろしである。武士は、等身大の完成すれば大きさになる。下絵を見ただけで、迫力満点である。
皆さんすみません。2ヶ月の間に全て完成させます。
(2010年7月2日・金)黒い紙
私が使っている切り絵用の黒い紙は、切り絵を始めたかなり早い時期に銀座の伊東屋あたりで見つけたと思う。だが、今では売っていないから、販売元に、直接注文している。
その紙はマットペーパーといって、シルク印刷で、表面に黒のペンキ?が塗ってつや消しである。
この紙を使っている切り絵作家は、いなかったと見ている。使っているという声を聞いたことがなく、紙を見ると切り絵を趣味にしている誰もがこの紙を使いたいといってくる。
ふつう切り絵作家は、ラシャ紙とかベルクールとかいう品名の黒い紙を使う。その紙は染めてある紙だから、裏も表も黒である。
だから、切る時は下絵と黒い紙をホチキスでとめて切っている人が大半である。しかし、二枚になるから相当厚くなって力がいるはずだし、ずれる可能性もある。
しかし、私の黒い紙は裏は白であるから、裏に下絵を反転させて転写して、裏から切るから、一枚の紙を切ることですんでしまう。とても合理的である。
近年、多少この黒い紙は普及していると思うから、販売会社に様子を聞いてみたい。
だが、様子を聞き忘れて、100枚注文した。ライブをするようになって、黒い紙の消費量が増えた。
(2010年7月1日・木)展覧会、波高し
花魁ちゃまシリーズ8点完成。これじゃあ少なすぎるなあ。あと12点くらいは欲しい。
(2010年6月30日・水)来年は童画
誕生日があった6月も、今日で終わりだ。アメリカにも行ってきたし、柴田さんのオペラに舞台美術として参加(オペラのタイトルが私というのが印象的)し、切り絵の森でメンバーの全員と遭遇した。6月は、かなりの数の人と遭遇している。
7月に入り、埼玉伝統工芸会館での展覧会が2ヶ月続く。切り絵の森と並行してである。伝統工芸会館は、夏休みで来場者が多く、その時私のライブで楽しんでもらおうということで、ラブコールを受けたわけだ。
来年も埼玉伝統工芸会館での展覧会が決まっている。これまでしなかった、童画をやってみようかと思っている。考えてみれば、私がその世界をあまりしてこなかったのは不思議だ。きっと楽しい童画ができるはずである、という言葉を出したいほどやるきがむらむらしている。
7月には、東洋大学の河口湖町のセミナーハウスが出来て、私がデザインした部屋名の看板がその中に収められる。
請けている仕事のことを考えると、また忙しい月になりそうだ。
(2010年6月29日・火)手拭い
昨日の英会話教室で手拭いについて話した。私がアメリカに手土産に手拭いを持っていったからだ。
だが、先生によると使い道が分からなくて、放っておかれる可能性があるという。あちらで、使われるランチョンマットとかならいいそうである。
外国みやげに安価でいいと思ってが、これは考え直さなければいけない。
さて、私はTシャツを沢山作っているが、このホームページを見ている方でも、買いたい人がいるのかもしれない。そろそろそのTシャツのコーナーを作りたいと思う。
何か、作って欲しいグッズはないですか?ご提案いただけたらありがたい。
(2010年6月28日・月)私を目指して

切り絵の森のでの写真 左から酒井あつみさん・関口コウさん・関口さんのマネージメントをしている並木さん・筑紫ゆうなさん・百鬼丸
山梨の切り絵の森に行ってきた。日曜日には、雨も少なくなり、かなりの客が来た。
この切り絵の森では、私の切り絵と私?に会いに来たい人が多いみたいなのだそうだ。それは嬉しいことである。切り絵の森では何故か分からない様子である。「百鬼丸さんには、ネットワークが出来ているんですね」と訳の分からないことを言う。
土日は、この切り絵の森のお祭りということで、展示している作家・関口コウ氏・酒井あつみ氏・筑紫ゆうな氏そして私が召集された。それで昨日の昼飯は、今回切り絵の森で展示をしている四人の作家が初めて一堂に会した。そして、なかなかないことなので皆で写真に納まった。
あと二ヶ月の展覧会であるが、意識しなければ、多分4人が集まることはないだろうことから、私が切り絵の森に行く日に、集まるかどうか分からないが、皆さんを招集する事にした。
次の切り絵の森の作家のメンバーも決まったようである。もしかしたら、少ない切り絵であるが、現代展示のメンバーもある一画に作品が残るようである。たまには、そうなると行くことが出来るし、今のメンバーも誘えば、8人の作家が会することにもなるだろう。楽しいことである。
帰りは、筑紫ゆうな氏を甲府駅まで送った。切り絵の巨匠・故宮田雅之氏が、中国での個展の帰りの飛行機の中で亡くなったのであるが、、お父さんの筑紫哲也さんが同行していて、筑紫さんの目の当たりの飛行機内で亡くなったことを聞いた。生々しい話である。
もう何年経つだろう。この宮田雅之さんが筑紫さんのニュース23というニュース番組に出演して、それを見た私が、筑紫さんに宮田さんの後にも、私のような切り絵作家が存在するという趣旨の手紙を番組に送った。
その返事が自筆で筑紫さんから返ってきた。内容は忘れたが、丁寧に原稿用紙一杯に書いてきてくださった。
それから何年かして、ザブン賞実行委員会というNPOが発足、筑紫さんが会長で、私が理事という立場で会す事になり親交を結んだ。娘さんが切り絵作家であることを知り、今回切り絵の森に出品の依頼をした。そして、昨日は車で甲府に送ったのである。ちょっとした因縁である。
昨日の客の中に、若い個性的な出で立ちで、切り絵の森に家族で来た人がいた。私が東洋大出身であることを告げると、「東洋大学の教授の本を作っていますよ」という。彼は静岡市に在住のグラフィックデザイナーであるのだ。
「文系の教授のでしょ?」と私。「いや、ナノ研究所とかいう・・・」というのである。
このナノ研究所というのは、工学部(私の母校、アトリエから歩いて10分)のキャンパス内にある、どうも世界的に有名なバイオテクノロジ-の研究所らしいのである。このナノから今年の4月に、外国にスタッフが行くので、お土産に「百鬼丸さんの手拭い」をもって行きたいということで、私の作った「花魁ちゃま」手拭いを160くらい納品したのである。
また、そのナノ研究所のインドの留学生たちの前で、昨年の11月の学園祭で、切り絵のライブを披露したのである。それからのナノとの付き合いである。
その、静岡のデザイナーは、9月に鶴ヶ島を訪れるという。またまた楽しみである。
最近は偶然がてんこ盛りである。
(2010年6月25日・金)ジャクソンホール3
息子のウォーリを、手のひらの上で立たせて遊ぶホームステイ先の家主のグレック。彼と奇遇なことがあった。
アンディとティタンを車で観光中で、昼飯を食べた。下の写真のベンチで腰掛けて食べているのがそれである。このあと、レストランスペースに向かっていると、レストランの屋上に、グレックがいたのである。私が先ほど分かれて、こちらに来ているのは知らないはずである。
グレックは、他の人と来ていて、友達が「変な恰好をして歩いている人がいる」ということでグレックが見たら私だったというわけなのである。だが、彼が手を振る前に、私が気がつき手を振った。彼はサングラスをかけていたのであるが、例によって私の識別眼が良くわかったのである。
写真のポルシェは、彼が乗ってきたポルシェなのである。彼はポルシェを3台持っているという。それに何台か車が他にもある。
このジャクソンホールの人たちは、お金持ちが多いが、その中でもすこぶるの金持ちのようである。
彼の家でパティがあったが、そこには市長やワイオミング州の日本領事も顔を出したのである。驚いた。
グレックは不動産業を営んでいて、設計もやるという。お父さんの事業を引き継いだようである。
下の複数で写っている写真は、父の日ということで、家族と友達が集まってお祝いをした山のうえのホテルのものである。それで、 みんなで、朝食を食べたが、アンディによると、そのホテルは『私にはとてもいけない高級なホテル』なのだそうだ。
グレックは私に気前よくいろいろなことをしてくれた。私は、火祭りの運営委員のキャンデラや他の人との交流もあり、グレックが私と話したがっていたのであるが、期待に答えられたかどうか。
このグレックの奥さんは、とてもスレンダーで美しい人である。書くのが遅れたが、グレックは35歳、奥さんのアイリーンはいくつか分からないが、同じくらいなのかもしれない。私の子供である年齢である。
彼女は、昼間黒いビキニの水着で日向ぼこをしていたことが2度あった。アンディと一緒に目撃したが、「こんなことは経験したことがない」と途惑った様子だった。
昨年私は、このジャクソンホールの火祭りに呼ばれたのであるが、その運営の長であるキャンデラが病気で、火祭りが開催されないので、来年にするという通知が来たが、運営の長が病気であることで、お祭りが中止になるというのは日本人からしたら、不思議なことである。それほどキャンデラの存在が大きいということであろうが、日本では誰かが変りにやるだろう。
上記の日本領事であるが、この方は久保さんといい、何と東上線沿線の小川町の出身なのだそうで、双方おどろいた。小川町といえば、私にとっても毎年展覧会をしているところで、知り合いも沢山いる。今年も7月6日から2ヶ月間展覧会をする。不思議な縁である。
さて、昨日は三つの場所に行った。
富士河口湖町大石に出来る東洋大学のセミナーハウスの部屋の看板のうちあわせに、豊島区の要町の設計事務所を訪ねた。そのあと、麹町の私の友人が経営するすし屋を訪ねた。何と文芸春秋のビルのすぐ裏である。高層ビルのテナントとして入っている。私はその店を個人ギャラリーにするつもりである。
その後はNPOのざぶん賞の会議に出た。仲間の原田さん・蓬田さん・西さんと作家の安部さんが来ていた。会長の月尾嘉男さんも来ている。会議の後、久し振りに彼らと話をしたが相変わらず楽しい。
彼らと組んでいる草鞋之会の20周年はみんなを呼んでパティという話も出たが、パティをするとツキが逃げることが多いと原田さんの提案で、旅行をしようという事になり、京都に行く事になった。楽しい旅になるだろう。
さあ、今日から2泊3日で山梨・身延の切り絵の森に行ってくる。切り絵の森の公式な呼び出しなので、宿舎もあてがわれる。これまで、私が切り絵の森に行ったのは、全くの応援の手弁当である。山梨県の出身の切り絵作家として、責任を感じているからだ。
土日は、切り絵作家四人がそろう。一泊は実家。二泊目は「こんなところに先生と待っていいんですか?」といってきたらしい、私のライブ作品を二点買ってくれた、民宿太田に泊まることなっている。
アメリカに行って、今度や山梨、気持ちのいいほどのアクションである。
中心地
祭りの準備
ホストファミリーの家
アンディとティタンで
昼ごはん
グレックのポルシェ
市長さんからバッチをもらう
祭りの前
祭り始まる
ホストファミリーのウォーリーとウイリー(犬)
ウォーリーが好きな遊び野生のムース
私のバックにムース
野生のバッファロー
ティトン山脈
(2010年6月23日・水)ジャクソンホール
ワイオミング州ジャクソンホールから帰ってきた。私の郷里・富士吉田の火祭りを真似たフェスティバルで、切り絵のライブやワークショップ(教室)をするためにいった。
まず、ジャクソンホールを飛行機から見たところ、民家がなく、草の生えただけという景色が続いていたのにはおどろいたが、それは国立公園内に飛行場があることからであった。知らなかった私は、どえらい過疎のところだと思った。
それに、ロッキー山脈の標高が1300メートルくらいはありそうなところで、空気が薄く、毎朝空気の薄さで頭痛を感じた。
収まると思っていた花粉症は、何故かひどくなった感じもして、もって行った花粉症のくすりが有り難かった。
フェスティバルは、「吉田の火祭り」を真似て、松明が7つ灯された。
山岳都市同士の友好を目的に、歩いていたジャクソンホールの人たちが、何年か前に冨士山のある富士吉田を訪れ、その時行われた日祭りに感動して、祭りを真似たフェスティバルを毎年するようになったのだという。
たまたま訪れた時に私は火祭りのポスターをしていたので、それで、その制作者に来て欲しいという要請が会って訪れたというわけだ。
(2010年6月16日・水)バルセロナに続いて
さあ今日は、ワイオミングに行ってくる。14時30分のユナイテッド航空だ。ユナイテッドというと皆、テロにねらわれ易い航空会社という。ちょっと不安。
まだ、荷造りである。
山岳のある町同士の交流を模索している方が、冨士山を訪れ、たまたまやっていた富士吉田の火祭りに感動、ワイオミング・ジャックソンホールで火祭りを毎年催しているということだ。その方が、吉田の火祭りで私のやったポスターを見て、「この作者に、ワイオミングに来てもらいたい」ということで、招待されたのである。
テント内での個展とどこでやるのかわからないが、切り絵のライブをする。
通訳もやってもらえるとのことで、少し安心。
行ってきます!
(2010年6月15日・火)実り
三階建てビルの三階にアトリエがあり、窓からの日差しが凄いんで、昨年は窓の外にゴーヤを植えたが、今年はきゅうりを植えた。
窓をきゅうりの葉で覆うとしたら、もう一つ大きな植木鉢を買ってきて、3株ほど増やした方がいいのだろう。
生き物を育てるというのは、とても嬉しい。これは本能なんだろうな。
いただいた蘭なんかが多いが、それを今まで枯らしてきたのは悲しいが、冬を切り抜けるのが難しいんで仕方がない。
でも、今度いただいたら、しっかり管理して枯らさないようにしたい。
さいわい、昨年もらったミニ蘭が、とても元気で、この勢いだと蔓を伸ばして花を咲かせるだろう。この蘭は冬は、プラスティックの箱に入れ、電球型の蛍光灯を入れてその熱で暖房をしていた。それで、蘭の生存の限界15℃を下回ることがなかった。
蘭の花咲くのを、きゅうりの実がなるのを待ちわびるのは、とてものどかな気持ちになり、幸せなことだ。
(2010年6月14日・月)ますます忙しい
最近人に会うと、「歳のことを考えて行動しないと」といわれる。確かに歳のことを考えて行動してはいない。
でも、前にも書いたが、歳をとればとるほど、やらなければならないこと、やりたいことが増えてくる。それは、皆さん共通したことだと思う。だから、同年代の人と話をすると「忙しい、忙しい」とおっしゃる。
確かに昔と違い、忙しくしないと儲からないというのはあるだろう。新幹線や、飛行機で日帰りが出来たりする時代だからのんびり仕事をしていられない。
私の場合、小説本のカバーの絵を制作するのがこれまで仕事だったが、ほうぼうでのライブ活動展覧会が増え、また、独自の新しい絵を発表するという計画もあり、複合的に仕事が増えている。
また、来年からは年に一度は海外で個展をしたいとも考えている。
しばらく歳を考えない行動になると思う。
友人から連絡があった。
麹町にすし屋を開店させる(文芸春秋から2.3分、友人はオーナーの立場。5月16日の日記の亡くなった人の弟)ので、店に切り絵を飾りたいということだった。こちらから逆提案で、「俺のギャラリー」にしてくれと頼んだ。私の作りたい作品を飾るということだ。勿論お客に買ってもらうことも出来る。
考えてみれば、東京にいくらもある和風の店に私の切り絵が飾られたことはない。不思議である。
すし屋の壁の絵と考えるとまた制作意欲がわいてくる。ますます、忙しい。
若いときにかなえられないことが、年齢を重ねると実現できることが多い。それは自分の力量が増すというのもあるだろうが、友人知人が歳をとって、実質、社会を動かしていることもかなり大きいと思う。
若い時期が空回りしがちなのもうなずける。
(2010年6月13日・日)今日も
何とか、埼玉伝統工芸会館のライブは予定通り済ませた。全体的には体調は戻らない。
今日も、会館のライブがある。
夜は、東洋大学工学部テニス部と現役の集まりがある。私がOB会長だから、議題を整理してプリントしなければならない。
20年やってきたOB会長を降りようと思う。
(2010年6月12日・土)珍しい二日酔い
明け方のたうちまわった。頭も痛かったし、吐きもした。10時には直った。
明け方人間にしては、仕事が一日分停滞した感じでもったいない。
(2010年6月11日・金)目が開かない
起きると、目ヤニで瞼がくっついている。指で開けないと目が現われない。昨日は医者にいった。
売薬を飲んでいたが、それが切れたので、行った。
耳鼻咽喉科は、道路のはすむかいで、歩いて10秒である。かつて、鶴ヶ島に耳鼻咽喉科の病院が少なかった時にはこの病院にかかるのに何時間もかかったものだが、今はとても空いていて、行った時には客は誰もいなかった。
確か院長が、老人介護のほうに力を入れるために、一時耳鼻咽喉科を閉鎖した時に客が離れたということもあるだろう。
この病院に南極の石があったり、写真があったりするから、院長が若いときに南極の越冬隊の医師でもしていたんだろうか。
私のアトリエの目の前の和風レストラン「とんでん」には、25年前には、木造の二階建てのアパートがあった。私はそこに学生時代住んでいた。だから、今のアトリエの大家と同じである。
その大家は長峰さんといって、「長峰園」というお茶製造をして方で、県会議員でもある。かつては鶴ヶ島駅周辺全部、長峰さんの土地であった。
駅から歩いてくると、今でも長峰さんの土地が点在している。
(2010年6月10日・木)花粉症
花粉症のせいだろうか、その薬のせいだろうか。眠い。
梅雨になれば自然に症状はなくなるのだが、春が行ってしまうのも寂しい。
今日は締め切り一つやってしまいたい。
明日は山梨に行って帰ってきてから、日本文芸家クラブの総会という事になるのだろうか。恐ろしい一日になりそうだ。
(2010年6月9日・水)今度はワイオミング州
来週には、故郷・富士吉田の関係で招かれて、アメリカのワイオミング州ジャクソンホールに行って来る。あちらで、富士吉田の火祭りを真似たイベントがあって、切り絵を披露したリするらしい。日程に展覧会とかあるが、どの程度かわからない。
額に入れずに作品はもって行こうと思う。立体は額に入れたのを二点ほど。それから、カレンダーを100枚、黒い紙B4を50枚持って行く。
子供たちにも教えるらしい。まあ、やったことのないことだから、いい経験になるだろう。
その前に仕事を全て済ませたい。
英語は万全ではない。
(2010年6月8日・火)脱毛
東洋大学の硬式テニス部OB戦が、一昨日の炎天下で行われて、帽子もかぶらなかったためか、今まで頑張って発毛剤で生えてきた毛が、抜けた。
洗髪して、今までなかったような抜け毛の量だった。発毛剤で培った毛はとてもひ弱いことが分かった。運動の時は帽子をかぶり、終わったらすぐ洗髪すること。どうも汗も悪いらしい。
誕生日のお祝のメールが、今迄で一番多かった。
有難う御座います。来年の還暦のゴールを健康で迎えたいと思います。
菅首相
首相が変った。まあ、頻繁に首相が変るが、誰もが口にすることは、外国人があの国はおかしいと思うだろうねということだ。
これも、江戸時代から100年も経たずに、第二次大戦を起こした特殊な国だから、ありえること。
日本文化、日本人が特殊な歴史を持っていてしかたない。
江戸時代以来、その文化が内にありながら、欧米の皮をかぶろうとしているんだから無理がある。
首相がころころ変っていることは、日本人が変っているからだ。
特に、学生運動で培った揚げ足取りの多弁な訓練をした団塊の世代が、沢山いるんだもの政治は大変である。
しかし、我々がのんびりしている間に、地球規模で得体の知れないことが起こるのかもしれない。
これからの首相に、期待することは、民意に沿うことではなく、民をどれだけ説得出来るかであると思う。
(2010年6月7日・月)誕生日
私の誕生日。59歳である。
歳をとると、やらなければならなおいこと、やりたいことが増えて本当に忙しい。
でも、それは私のとって手ごたえのあるもので、嫌ではない。
若い頃は、たいした経験もないから面白い話を聞けず、話せず、面白がったりしてるだけで、実は面白くなかった。でも、今は歳を重ねた人と話をするとそれぞれに年輪の入ったお話が聞けて面白い。
3日前の彫刻家の星野敦氏と会って話をしたときも、彼の冒険旅行を聞いたようでとても面白いものだった。
この歳になると、本当にお別れが多くなる。
人恋しい年齢である。
主将が換わっていた
3月の東洋大学の硬式テニス部の追い出しコンパで挨拶をした新主将が昨日のOB戦で姿が見えず、主将も換わっていた。
母親の体の具合が悪く、お父さんが定年を迎え、大学に通わる資金がなくなり、大学を去って実家に帰ったという。
彼にとって、大変な時期を迎えているのだろう。真面目な学生だったから、何とか乗り切って行ってくれるだろう。
また一つ別れだった。