
横浜の展覧会でやった即興切り絵、A3サイズ10分で下絵から制作。この作品は一番最後にやった作品である。やはり最後との方が出来がいい。前の作品を知りたい方もいると思うが、また次に。
昨日は油売りをした。力作でいい絵であったが、人物の表情とかがいまいちに思う、もう一度いつかやってみたい。
油売りは、食用・灯火用・頭髪用といろいろな油を内側が銅を張った入れ物に入れて、天秤棒で運んだ。
「油を売ってんじゃねえ」と子供の頃お父さんにしかられたことがあると思うが、油は粘りがあって、容器に移すときになかなか注ぎ終わらない。そこで、油屋さんはその間ぺちゃくちゃおしゃべりをしてくれたのだそうで、無駄話のたとえに使われたのである。
話は世間話が多かったと思うが、一つの話芸にでもなっていたのかも知れなし、それで、客の数も違ったことだろう。
油売りが左手に持っているものは柄をつけた「穴開き銭」である。「この穴に、油が触れたら御代はいらないよ」なんていってたらしいが、本当なのだろうか? 眼鏡は老眼鏡だろう。
ちなみに眼鏡は、室町末期に東南アジアから製法をおぼえた日本人が、作り広めたということだ。

魚は鮮度が命である。朝仕入れた魚を午前中には、お得意の家に届けたり、売り切らなければならないから、常に荒っぽく走り回っていたようである。
魚屋といえば一心太助。いなせで威勢がいいイメージである。その通りである。急いで走るわけだから、向こうから来る通行人に荒っぽく「どけどけ」とか言って走ったのかもしれない。
特に初鰹を競って食べた江戸っ子は、初鰹に大枚の金をつぎ込んで買ったようである。自然儲けが良いから、チョイわるが集まるのも世の習い。そうとう嫌われ者だったようである。
江戸では、たらいの中に、関西ではかごに魚を入れて振り歩いた。いや走った。
そういえば、魚を「さかな」と読むが、本来「さかな」は酒のつまみのことであった。宮中でさかなと言えばそのようであった。その「さかな」に一番されたのが「魚(うお)」であったから、「うお」のことを「さかな」というようになったのだある。

昨日の即興切り絵のお題は「獅子舞」。もともとインドから中国に伝わり、日本に伝来したという。伊勢の太神楽の方々が獅子舞をして全国の家々を厄払いをしたという。伊勢参りの御師の方々が、自分たちに所属する「講」の方々を、訪問し厄払いをしていたのかもしれない。
富士講という富士山信仰の方々に吉田(富士吉田市)の宿坊である「御師」が、宗教的なこともして、厄払いの札なんかを渡しに行ったのとよく似ている。
それが盛んになったのは戦国時代末期から江戸初期であった。獅子舞にも二種類あって、上の絵は一人であるが、この獅子に二人が入って踊る方法(この絵では本当は二人描かなければいけない。時間がないので一人にした。)と鹿舞(ししまい)という名称で呼ばれる角を生やした獅子を頭に乗せ、太鼓を首から提げて一人で踊る獅子舞がある。
前者は関西を中心に、後者は関東と東北であるという。ちなみに私が住んでいる鶴ヶ島にも町の文化財になっている獅子舞があり、鹿舞のほうである。
子供の頃はこの獅子舞が来て、怖かったものである。ある本には「若者の小遣い稼ぎであった」とあるから、そんな人たちもいたのかもしれない。
埼玉奥地の小川町の展覧会である。客も少なく寂しい展覧会である。朝日新聞の埼玉マリオンにも載せてくれる荘であるから、次第に客も増えるであろう。
昨日の即興切り絵は「夜鷹」をした。銀座伊東屋での草鞋之会展では一度「夜鷹」をやっている。だが、この「江戸の物売り」100点くらいそろえて、画集にしてみたいというアイデアが浮かんで、切り絵もコピー可能なB3サイズ(半分半分コピーしてくっつける)にして再チャレンジする事にした。

「夜鷹」というと、どうも東映映画で「千原しのぶ」あたりがやりそうであるから、ちょっとロマンチックに感じるが、実際は遊郭にも上がれない、おばあさんか病気持ちがやっていたのだそうである。絵の着物も上等な感じがする。もっとぼろぼろだったろう。
伊東屋で草鞋之会展で、「夜鷹」をしている時に、作家の平岩弓枝さんがいらっしゃていて、私の絵を見て「これではまだ女郎として使えますねえ」とおしゃったのを反省して、婆さんにしてみた。しかしまだ他にも言ってらして「夜鷹も胴元がいて、管理されていたそうですよ」何だそうで、その夜鷹はまだましで、管理下におかれていない夜鷹は、そりゃあひどいものだったらしい。
ということで「夜鷹」完成。ぱちぱちぱち。
昨日の即興切り絵は、見学者が多かった。展覧会の今までの即興切り絵作品を載せておく。今回は江戸の物売りをテーマにやっている。左から、これはテーマと違っているが、富士登山、その右は「らお屋」(きせるの管を交換する商売)、その右は「醤油屋」、一番右は油売り。サイズは55cm×80cm、制作時間30分(下絵を入れて)。

撮影・麺屋信玄オーナー・佐藤氏
幽霊というお題をもらったので、河童をした。そして、釣りをしているところにした。下絵も入れて40分 80cm×110cm



こんな展覧会初めて(4月18日)

銀行での展覧会は、一般的には素人の展覧会だが、銀行で張り付いて切り絵のライブをしていれば嫌でも目に付く、宣伝にはとてもいい。それに、街を動かしている大物といわれる人たちが、うろうろしている。
いろんな企画が持ち上がってきそうな気配だ。
ライブ作品をアップする。左から、冨士を持つ人・蟻の冨士登山・ふくろうの棲む冨士
即興切り絵・武田二十四将の図(2005年1月製作)
1年前の作品であるが、当時はデジカメで即興切り絵を映す習慣がなく、やっとすべてとり終えた。画像は百鬼丸が撮ったものであるから、劣悪なのは申し訳ない。
今更ながら、1m×80cmというサイズを下絵も入れて40分で、大衆の面前で作り上げたことに、自分で驚く。やはり、即興切り絵を本格的にやるんだという意気込みが現れたシリーズだと思う。







武田二十四将の即興切り絵
2005年1月12日〜17日の山梨県甲府駅前の山交デパートでの個展での即興切り絵。「武田の二十四将」を切った(解説は著述家の秋山氏)。その後の鶴ヶ島市中央図書館展で、続きを行っているが、その作品は後日掲載する。90×110cm・40分
2004年5月の山中湖ホテルマウント富士展で、親友で作家の・志茂田景樹氏とのコラボレーション・「語りと即興切り絵」80×110cm ショーは志茂田さんの童話の語りにあわせたその挿絵を即興でするというものだが、こちらもそれなりの訓練をしてきた訳ではなく、そんなことをすればインチキかなとも思っていたので、本当の本当、ただ、志茂田さんの奥様からどんな作品だか20分前に知らせてもらっただけの作業であった。一回目の夜は山中湖の平野の私の高校の学友である原町ロッジの長田一成君と夜中の2時まで飲んで、二日酔いになって、次の日のイベントは最悪のコンディションであった。その時の作品は富士吉田市の隣の西桂町の図書館でもやったのでそちらに寄付してに飾ってあるはずだ。

2004年2月のギャラリー新宿高野での個展での即興切り絵。ピエロシリーズ90×110cm気に入らない後の作品は破いてしまった。
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